中華圏以外の映画

青春18×2 君へと続く道(2024/日本=台湾)

旅行記が好きだ。
自分もblogやZINEで書くこともあるし、他人の書いた旅行記も楽しい。
旅先の情報を旅行記から得るのも利点の一つではあるが、旅人自身のキャラクターや旅による思考の変化を読むのもまた楽しいからである。

ジミー・ライ(頼吉米)による旅行エッセイ《青春18×2 日本慢車流浪記》を原作に、我らが張震が製作総指揮を、『新聞記者』『余命10年』の藤井道人が監督を務めた日台合作の『青春18×2 君へと続く道』は、2006年夏ごろの台南と2024年春の福島への旅を重ねて描いた文字通りの青春映画。主演はドラマ『時をかける愛』でブレイクし、映画『ひとつの太陽』日台合作ドラマ『路~台湾エクスプレス』に出演した許光漢(シュー・グアンハン/グレッグ・ハン)と、藤井作品の常連でもある『一秒先の彼』の清原果耶。

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台湾版予告編

原作者のジミー・ライは嘉義出身で、エッセイの舞台も嘉義だそうだが、映画では台南へ変更。
なお原作は未読。邦訳も出版されていないしね。

自ら設立したゲーム会社の取締役を解任され、取引先との引継ぎのために日本に渡ったジミー(許光漢)が、かつて送られてきた手紙の思い出に誘われて鉄道で旅に出る現在と、その送り主である4歳年上の日本人女性アミ(清原果耶)と故郷の台南で出逢う18年前が重ねられて語られる。彼は台南の高中でバスケットボールに打ち込んでいたものの、ケガで競技を断念した。台北の大学を受験した高校生最後の夏、バイト先のKTVに現れた彼女と出会ったジミーは、その夏の思い出をなぞるように、大好きな『SLAM DUNK』の聖地、鎌倉から旅を始める。

ジミーのスラダン好きがアミとの始まり。そして彼は早春の由比ガ浜に、彼女とバイト仲間と共に遊びに行った台南の海岸を重ねる。若者たちがはしゃぐその風景は『風櫃の少年』をオマージュしたような画であるので、観ているこちらもまたデジャヴュを抱く。
日本人監督が撮った台湾と言えばかつてここでも書いた『南風』や今関あきよし監督の『恋恋豆花』が思い出されるけど、どうしても観光目線で撮られがちになってしまうのが気になって仕方がない。九份が『千と千尋の神隠し』のモデルとか舞台とかなんていつまで言っているつもりなんだ、と本当にイラッとする(実際後者の作品では九份で登場人物がそのように言う場面があって頭を抱えた)
この映画も観光映画の側面を持ってはいるのだが、ほぼ台南を舞台に展開する台湾パートでは、赤崁樓や安平などの台南名所はあまり登場しない。その代わり、力を入れて描かれるのはジミーとアミの交流になるからか、『風櫃』を始めとした台湾青春映画のオマージュがふんだんに盛り込まれている。アミがジミーのバイクにタンデムして夜の台南を走る疾走感は、長年台湾映画を観ている観客なら感じ取れるものであろう。台南出身の祖父を持ち、自身も留学経験を持つ藤井監督の思いとこだわりは、台湾パートの方に強く表れているのがよくわかる。だから、ただの観光映画には収まらないと思っている(個人の意見)

ジミーの旅は鎌倉から品川・新宿を経由して中央本線で松本へ、そこから飯山線と上越線で長岡へと進み、そして只見線で新潟との県境に近いアミの故郷・福島の只見へとたどり着く。信越を経由する大回りのローカル鉄道旅で彼が出逢うのは、同郷出身の居酒屋店主劉(ジョセフ・チャン)、18歳年下のバックパッカー幸次(道枝駿佑)、長岡のネットカフェで働く由紀子(黒木華)只見の酒店主中里(松重豊)そしてアミの母裕子(黒木瞳)。劉とは台南の思い出を語り、幸次とは岩井俊二監督の『Love Letter』についての思い出をシェアし、由紀子の力を借りてジミーは長岡から新潟中部の津南で行われるランタンフェスティバルへと向かうが、それは全てアミとの思い出をなぞっての行動。とある批評で台湾パートに比べて日本パートは表面的になっているとあったけど、日本パートが観光映画の役割を担っていると考えてみればそれはもう致し方ないのではないか。実際、日本に先行して台湾で公開されたこの春以降、只見線を始め、この旅のルートを利用する台湾人旅客が増えてきたとも聞いている。

18歳のジミーと4歳年上のアミの、台南を舞台にした(ジミー曰く)恋愛以前の交流は結局成就せずに終わりを迎える。アミの現在は只見に着くまで明確に描かれないが、察することができるのなら彼女がもうこの世にいないことに早くから気づくのだろう。残り少ない命を精いっぱい生きる若者の恋愛ものは『世界の中心で愛をさけぶ』など日本映画で多く取り上げられ、藤井監督自身も難病に侵された女性の恋愛を描いた『余命10年』を撮っている。若い男女の叶えられない初恋の終わりにどちらか(特に女性)の死を持ってくるのはあまりにも残酷で安易に感じるし、実際21世紀初頭からの日本映画の恋愛ものはその手の展開があまりにも多すぎて、恋愛ものが好みではない身としてその手のネタはどうも食指がそそらない。この件について話し出すとキリがないし、ひたすら脱線していくので止めておく。

恋愛は成就しなかったものの、アミとの出会いは確実にジミーの将来を開いた。そして、二度と会えないことが明らかになったことも彼の人生に大きな傷を残し、冒頭で描かれる経営する役員解任の決議の場面の意味が明らかになる。アミは初恋の女性の範疇を超えた、ジミーの青春と希望のシンボルであった。そのことを悟り、只見から東京に戻って桜を見るジミーは18年かけてのアミとの思いを心に封印し、自分の青春期に終止符を打つ。そして故郷で新たな一歩を踏み出す。


ところでジミーが生まれたのは1988年の設定。台湾の戒厳令が解かれて間もなく生まれているということだ。
スラムダンクと言えば『あの頃、君を追いかけた』にも登場しているが、時代設定は90年代後半だから当時のジミーはまだ10歳になるかならないか。いかに息の長い人気を誇っていたのかというのがよくわかる。台南での主な舞台となるKTVでは日本の某アイドルの歌が流れるし、五月天と並んでミスチル(この映画の主題歌を担当している)にも言及される。台湾をよく知らない若者たちは、日本のコンテンツがほぼリアルタイムで入ってくることに驚くようだが(オンライン交流を見学する機会があったが、台湾の高校生の日本アニメの知識が日本の子より詳しかったりするので感心したことがある)ポップカルチャーからのつながりや共有から友情を深められる可能性をこの映画から感じ取ってもらえるかなと思った。
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昨年日本で上映された(現在Netflixで視聴可能『僕が幽霊と家族になった件』ではゲイに無理解な堅物の刑事を演じたグレッグ(最新の表記に従って「グァンハン」で書くべきなのだが、こちらの呼び方が慣れているので)だが、この映画では36歳の現在と18歳の少年を見事に演じ分けていて、これまで観てきた作品での演技も含めての芸幅の広さに感心した。『あの頃』のチェンドンは17歳からの約10年間を演じていたし、彼に限らず台湾の俳優は30代近くなっても高校生の役を演じることが多いのだが、20歳近く年が離れている役を違和感なくメリハリをつけて演じているのは見事である。
13歳で俳優としてデビューした清原果耶は、約10年間のキャリアの中で様々な印象的な役を演じてきていることから、まだ20代前半であることをつい忘れてしまう。透明感あふれる佇まいのある俳優と称されることが多いが、オリジナルでの劉冠廷の役どころを演じた『一秒先の彼』でのコメディエンヌっぷりも記憶に新しいし、実年齢と同じ22歳のアミがジミーよりちゃんと大人びて見えたのがよかった。
日本編のキャストも豪華だったけど、台湾が気に入って住み着いた神戸出身のKTV店店主シマダを演じた北村豊晴監督はしっかり爪痕残してくれていたし、ジミーの大学時代の学友でビジネスパートナーになるアーロンを演じていたのが、日本のドラマへの出演経験もあるフィガロ・ツェンだったし、ジミーの仕事仲間たちもみんないい味出していたので日本でも彼らをちゃんと紹介してほしかった。

そして何より台湾はもとより、日本でもヒットしたのは本当にありがたかった。
私は関東・盛岡・宮古の3カ所の映画館に観に行ったのだが、いずれの館でも近くに鑑賞後に涙をぬぐう観客がいたし、この映画がきっかけで台湾をますます身近に感じてもらえると嬉しいと思っている。この夏、台鐡でミスチルを聴きながら乗る日本人の若者が何人いるだろうか。そう考えるとニコニコしてしまう。

あ、そうだ。台鐡といえば、この映画で最も疑問に思ったことを最後に書いて締めたい。

アミが帰国する直前に、ジミーは彼女を誘って十分に行くのだが、どういうルートでどのくらいの時間をかけて台南(それもターミナルではなくて普通車しか停まらない保安站)から十分まで行ったのだろうか。早朝に出て行って着いたらもう日が暮れていたから、10時間はかかっているってことか?

英題/中文題:18×2 Beyond Youthful Days/18×2 通往有你的旅程
監督&脚本:藤井道人 製作総指揮:チャン・チェン 製作:ロジャー・ホアン 前田浩子 瀬崎秀人 音楽:大間々昴 撮影:今村圭佑
出演:グレッグ・ハン(シュー・グァンハン) 清原果耶 北村豊晴 ジョセフ・チャン 道枝駿佑 黒木 華 山中 崇 フィガロ・ツェン 松重 豊 黒木 瞳

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【ZINE新作】『台カルZINE Vol.2』ほか

岩手と台湾をカルチャーで結び、台湾カルチャーを深掘りする楽しみを伝える目的で2021年に結成された台湾カルチャー研究会のZINE「台カルZINE」の最新号が発行され、盛岡市内の各ブックイベントで販売しました。

【新刊】台カルZINE Vol.2 特集:NO MUSIC,NO TAIWAN(台湾カルチャー研究会)

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1号が映画なら2号は音楽!という理由での音楽特集。とはいえ台湾音楽も実に幅広く、すべてを網羅することは不可能なので、メンバー3人の偏愛音楽エッセイを中心に構成。日本でも放映された2000年代の台湾ドラマを彩ったテーマソング集があれば、台湾での村上春樹の受容を追っていたら出会った文青ポップスもあり。私はかつてこのblogでも書いてきたジェイ五月天の日本ライヴレポートのダイジェスト版と、自分が初めて触れた1990年代前半の台湾ポップスの思い出について書き下ろしました。
また、このZINEで紹介した曲を中心にしたプレイリストもspotifyでつくりました。よろしければ聴いてみてください。

 

【新刊】『このまちで えいがをみること』書局やさぐれ

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表紙はこの4月に営業を終了した、岩手県盛岡市の映画館通りにあるニッカツゴールデンビル。
かつては日活の映画館が入っていたビルで、日活撤退後も長年映画館が入っていました。
このビル自体の営業終了により映画館が閉館したことがきっかけで作ったZINEです。

11年前に香港映画の、5年前に台湾映画のZINEをそれぞれ作ってきたので、3冊目の映画ZINEはそれ以外…となるはずなのだけど、それでもここで紹介するのは、ええ、それでも入っているのですよ、香港映画+αが(^_^;)。
このZINEでは、自分が昨年観て気に入ったり気になった映画を洋邦各5作品、映画館で観た旧作5作品、そして今年上半期観た映画5作品のTwitterで書いてきた感想に加筆してまとめた感想集なのですが、このblog的な作品として『レイジング・ファイア』『時代革命』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』そして王家衛4K作品集について取り上げております。ここで書いた長文感想のダイジェスト的にシンプルにまとめました。
長年映画好きやっておりますが、もうすでに香港映画も分かちがたく、香港・台湾映画を除いて映画の感想をまとめることって自分にとっては結構厳しいのだと改めて思いました。なお、いろいろな人に読んでもらえることを目的に作りましたので、毒は控えめです。

この新刊2作を引っ提げてまず参加したのが、6月18日(日)に岩手教育会館で開催された文学フリマ岩手8
東北唯一の文学フリマです。

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当日のブースの様子。今年は書局やさぐれと台カル研のダブルネームで参加しました。

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当日のセットリスト。既刊ZINEもまだまだ在庫あります(笑)

昨年から会場が変わったのと、出店者も一般参加者も過去最高を記録したとのことで、会場内の熱気は実に半端なかった。お隣が旅の写真集を出されていた方でお話しできたり、思わぬ出会いがあったりと忙しいながらも実りあるイベントでした。
文学フリマ岩手には初回からずっと参加していますが、実は一般でも出店でも東京は未経験。3年前の春のイベントに出店の申し込みをしたことがあるのだけどコロナ禍で中止。岩手の文フリも2年連続で中止になりました。秋は映画祭シーズンと重なるので行けないだろうけど、来年の春の東京は出店を検討しております。

その1週間後、6月25日(日)にもりおか町家物語館で開催された浜藤の酒蔵ブックマーケット2023-Summer-にも出店いたしました。

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こちらは古本市からスタートしたブックイベントで、市のアート系団体の主催です。
古本屋を経営されている方から、フリマ感覚で自宅の本を持って販売する方まで出店者は様々でZINEや読書グッズの販売のみでもOKと間口が広いイベントでいつも楽しく参加しています。
会場が住宅地にあるので来場者に子供たちも多く、今回ワンオペ故店番を手伝ってもらったOPENちゃん(写真)が人気でした。

今後のイベント参加は秋までありませんが、ZINEイベントにも出品しております。
また、新刊発行にあわせて通販も近日再開いたしますので、ご興味がありましたらよろしくお願いいたします。

そして次の新作ZINEも秋発行を目指して現在計画中。
次作は旅行記の予定です!ふふふ

 

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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2022/アメリカ)

ああ、時代は動いている。そしてものすごい勢いで変わっている。
その変化は悪い方向にもよい方向にもいっているが、よい方向への変化は喜ぶべきことであり、それを受け入れてアップデートしていかねばならない。
最近、そんなことをよく考えている。
映画を観始めて30年、香港映画を好きになって25年以上が経つが、この間の映画鑑賞状況はガラッと変わったし、流行る映画も本当に様変わりした。それが寂しく感じることも時折あるのだが、映画を好きになり始めた頃には夢のまた夢と思えたようなことが実現して嬉しくなることも少なくない。

スティーブン・スピルバーグ監督やトム・クルーズの主演作が次々と製作され、今もヒットを飛ばしているのは30年間変わらずにあるのだが、そんな状況でも米国のハリウッドや単独の映画賞としての注目度は世界最大であるアカデミー賞は確実に変化している。カンヌ映画祭で初めてグランプリを受賞した韓国映画『パラサイト』や、同じくカンヌからアジア圏まで幅広く支持された日本映画『ドライブ・マイ・カー』等、近年はアジア映画がアカデミー賞に多くノミネートされ、受賞している。しかも米国の劇場公開も好評である。ハリウッドと言えば主役は白人、単純明快で勧善懲悪なエンタメ作品というイメージもはるか遠くなり、OscersSowhiteやmetooというハッシュタグがSNSで誕生してわずか数年でアカデミー賞も多様性と異文化理解を尊ぶ賞となった。その間、王家衛を敬愛するバリー・ジェンキンス監督がゲイの黒人少年の愛と人生を描いた『ムーンライト』やスタッフからキャストまでアジア人が手がけた『クレイジー・リッチ!』の大ヒット、そしてマーベルスタジオ初のアジア人ヒーローが活躍する『シャン・チー』等が登場して評価されたのだから、米国映画界における多様性の広がりのこの速さに感心してしまう。

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先に挙げた『ムーンライト』を始め、『ミッドサマー』や『カモンカモン』などを手掛けた米国インディペンデントのスタジオA24が製作し、今年のアカデミー賞で作品賞他最多7部門を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下EEAAO、エブエブなんて言いたくない)』はここ数年のこの流れの集大成といえる作品。コンビ監督〈ダニエルズ(『スイス・アーミー・マン』)〉の片割れ、ダニエル・クワンは台湾系、主演を張る我らがミシェル・ヨーはマレーシア出身、そして『インディ・ジョーンズ』や『グーニーズ』で一世を風靡した後、この作品で俳優に復帰したキー・ホイ・クァンはベトナム系と華人が揃っている。しかし、この映画の内容を一文で要約すると次の通りである。
「国税庁の監査と娘との関係に頭を悩ませている中年女性が、全宇宙を滅ぼそうとする巨大な力に立ち向かう使命を受けてしまい、マルチバースにジャンプして力を得てカンフーで戦う」
しかし、自分でこう要約して言うのはなんだが、なぜこんな内容の(失礼)映画がオスカーで作品賞を獲ることができたのか?

 

 

日本では約30年ぶりの俳優カムバックを遂げたキー君の助演男優賞受賞ばかりが大きく取り上げられていたが、香港電影迷としてはやはりミシェル・ヨーに注目。
トゥモロー・ネバ―・ダイ』で“最強のボンドガール”という称号を与えられてハリウッドデビューを飾り、そのキャリアも25年となるミシェル姐。彼女がアジア人初のアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲った時の以下のスピーチ映画.comより)。これが実にいいし、この映画のスピリッツも表している。

今夜この式を見ている私と同じような少年少女の皆さん、これは希望と可能性の光です。大きな夢を見れば、夢は叶うという証明です。そして女性の皆さん、『あなたの全盛期はもう過ぎた』などと誰にも言わせないでください。決してあきらめることはないのです。

25年という年月は短かったのか、長かったのか。ハリウッドに行っても『レイン・オブ・アサシン』のような中華圏の作品にも出演していたし、中華圏以外でも『The Lady アウンサンスーチー』のようなドラマ、『ラストクリスマス』のようなコメディ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズにも(シャンチーと同じMCUなのに!)出るし、TVシリーズの『スタートレック:ディスカバリー』では船長も務めている…って大活躍じゃないか、こうやってちょっと書き出してみても!最近の出演作では武闘派の図書館司書を演じた『ガンパウダー・ミルクシェイク』がよかった。あんな図書館司書を目指したい…(こらこら)
とはいえ、主演作は12年ぶり。しかもミシェル、トニーと同い年。アジア人中年女性が主人公となる米国映画は今までなかったらしく、アクションスターとしてのキャリアを存分に活かして大暴れ&大ヒットというのなら確かに興味を引く。でもSFアクションがなぜオスカーにノミネートされて作品賞まで獲るのか?ええ、二度目を一緒に観た友人にもやはり言われた。なんでこれがオスカー作品賞なの?と。
でもね、公開初日に観終わった時にうっかり思ったのである。これ、もしかして作品賞いくんじゃないかな?って。

監査や娘との問題のほか、大陸からやってきた父親の世話にパーティーの準備等々、マルチタスクをこなすだけでも大変なのに、それから世界を救えとか言われるのなら、それどんなセカイ系よ?と思ったのは言うまでもない。しかも世界を救う力をマルチバースから入手するために必要なことが、バカバカしい行動を取ること。そのおかげでハエをなめたり、変なダンスをしたり、挙句の果てに尻にトロフィーをぶっ刺しながら戦うなどというどこか周星馳監督作品ばりのナンセンスな展開になる。これだけ書きだしてみると、うん、確かにオスカー作品の威厳は全くない。

何もかも失敗してきたエブリン(ミシェル)のあり得たかもしれない人生ー成功したアクションスター、盲目の歌手、鉄板焼レストランのシェフ、ピザ屋の看板娘、脅威の進化を経て得たソーセージフィンガー…と、それらのマルチバースを破壊しようと目論む、彼女の娘ジョイ(ステファニー・スー)の姿をしたジョブ・トゥパキとの対決の隙間から見えるのは、母と娘の問題を含んだ、現代の女性の生きにくさ(加えてアジア系という米国では圧倒的なマイノリティにいることもある)。レズビアンのジョイはエブリンが自分と恋人のことを認めてくれないことに悩み、そこにジョブ・トゥパキがシンクロしてくる。当のエブリンも、駆け落ちして中国に残してきた父親(大ベテランの華人俳優ジェームズ・ホン。個人的には『ブレードランナー』の眼球職人チュウ役で認識)に対してどこか後ろめたさを覚えているようにも見える。さらにいえば、エブリンの天敵である国税庁の査察官ディアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)も憎まれ役として登場するが、実は彼女も悩みを抱えていて、ただの悪役にはならない。
ジャンプした先では、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)も父も違うキャラで登場する。特にエブリンがミシェル本人同様、女優として大成した世界(名付けて花様年華バース)で再会したウェイモンドがすっかりトニー・レオンだったのには笑ったし惚れ惚れした(マジで)二人が結婚しなかったこのバースでの展開は実に王家衛チックでさらに惚れ惚れ。それと同じくらい印象強かったのが、最初は出オチかと思ったソーセージバース。ここのエブリンはディアドラと恋人同士という点でさらに出オチ感も強くなるのだが、本筋に近いようで実はそうでもない世界のディアドラの気持ちとこちらがシンクロしているようで、彼女のテーマとして流れてくるドビュッシーの「月の光」をピアノで(しかも手が使えないから足の指で)弾く場面にはついうっかりホロっときた。

こんな感じで笑ったりブンブンと振り回されて観ていたが、エブリンとジョブの熾烈な直接対決を経て迎えた結末には、妙にしみじみとした気分になった。カオスを極めたこのマルチバースの旅でエブリンは目覚め、ジョイとも向き合う覚悟を持った。
本来の世界に戻ったことで「なーんだ、結局家族の話に収まるのか、凡庸だな」などといわれてたのを見かけたのだが、別に家族の話に収まったことにはこっちは感動してない。家族の話に収まるように見えても、実はそんなんじゃない。それぞれのバースに、それぞれのエブリンやジョイがいるが、それぞれの人生を生きている彼女たちは、やはり「今ここにいる」エブリンとジョイに集約される。それは元に戻ったのではなく、お互いにアップデートしたうえでの集約なので、決して以前と同じにはならない。そんな複雑さを抱えているから人は面白く、それぞれが小宇宙のようなものである。そんなことを感じてしみじみしたのであった。
ラストに♪This is a life free from destiny…と流れる主題歌(アカデミー賞ノミネート)がさらにまた沁みる…
というわけで、クリップをどうぞ。

 

ドラムスが香港出身という音楽担当のサン・ラックスが、日系のSSWミツキとあのデヴィッド・バーンを迎えて作った主題歌。

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様々な引用とオマージュに満ちた映画だけど、クライマックスでウェイモンドがエブリンに「人生との戦い方」として授ける「親切でいてね」という言葉を聞き、これがカート・ヴォネガットの言葉だとわかり、心の中で膝を打った。
ヴォネガットは私も好きで何冊か読んでいるが、若い頃は彼の言う「愛は負けても、親切は勝つ」という言葉がどうも理解しがたかった。だけど、ジョイのような煩悶の日々を過ごして歳もエブリンに近くなり、ここまで生きてきてしまった身として、その言葉の大切さと実行しがたさは本当によくわかる。それでもマルチバースのひとつかもしれない現実に”FxxK it!"といいつつ、人に親切にすることを心がけていく。これが誰にでも大切なことなのかもしれない、とまた思い返してはしみじみするのであった…
This is a life.

原題:Everything Everywhere All At Once
製作&監督&脚本:ダニエルズ(ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート)製作:ジョー&アンソニー・ルッソ、ジョナサン・ワン他 製作総指揮:ミシェル・ヨー他 撮影:ラーキン・サイプル 編集:ポール・ロジャース 衣裳:シャーリー・クラタ 音楽:サン・ラックス
出演:ミシェル・ヨー ステファニー・スー キー・ホイ・クァン ジェームズ・ホン ジェイミー・リー・カーティス

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大阪アジアン映画祭とこれからの中華電影上映

今年の第17回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)では、昨年末に香港で公開されて話題になったアニタ・ムイの伝記映画『アニタ』がスペシャルメンションと観客賞を、昨年の香港亞洲電影節で上映された香港映画『はじめて好きになった人』が後日関西ローカルでTV放映されるABCテレビ賞をそれぞれ受賞したそうです。恭喜!

 

 

OAFFは、10年前に参加したのが最初で今のところ最後。そういえば4年前にもnoteこんな記事を書いていました。
この時期のTwitterのTLによく流れてくるのが「OAFF、東京でも開催すればいいのに」といったような東京近辺からのtweet。
すいません、大変申し訳ございませんが、田舎モンが以下太字にして言っていいですか?

「おめだづなに寝言ゆうとんだ、イベントは今のままでも東京一極集中しすぎてるでねーの。TIFFもフィルメックスも台湾巨匠傑作選もシネマート中華祭りも未体験ゾーンも国立映画アーカイヴ特集上映もあんのにはあ、ごだごだ贅沢ゆうでねえ!」

はい、失礼いたしました。正気に戻ります。

北東北の地方都市在住の映画ファンとして、地元で十分な映画館とスクリーンの数が揃っていても、小規模な配給会社によるアート館のみの上映が多い中華電影は滅多に映画館でかからないので、それがフラストレーションになっていました。地元で観られない映画は仙台に遠征したり、帰省中なら東京まで観に行ったりもしていました。だけど今はコロナ禍。昨年も一昨年も映画祭には行けてません。
もちろん、以前も書いた通り配信でカバーして観てはいるのですが、それだけではやはり物足りません。映画は映画館で観る習慣を25年以上続けているので、どうしても小さな画面での鑑賞に満足できません。

そんな不毛な状況ですが、それでも最近は少し希望を感じています。それはOAFF上映作の日本公開と、地方まで回ってくる作品が少しずつ増えていることです。

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OAFF2020で上映されたサミー・チェン主演の香港映画『花椒の味』は、昨年11月に新宿武蔵野館で上映されましたが、そこから半年以上経った6月に中央映画劇場略して中劇で上映されます。やったあ!
(前回感想を書いたこれも中劇で上映。実はこの館のスタッフさんに熱烈なニコファンがいらして、上映時のblogが半端なく熱いのでぜひぜひご一読ください)昨年は同年上映の『少年の君』や『夕霧花園』も地元で上映がありましたし、さらに一昨年は2019年上映の『淪落の人』も上映されました。花椒と淪落は武蔵野館の配給部門武蔵野エンタテインメント配給。東京公開開始後半年でソフト化されることが多かった単館系作品が、時間をかけても全国公開で持ってきてもらえるのって本当にありがたいです。

映画祭でいち早く観て、みんなで盛り上がれることは楽しい。その場でしか上映できない映画を観られるのも本当に貴重な体験。
だけど、中華電影迷としての一番の願いは、イベントに参加したみんなが楽しんだ映画に配給がついて、それが日本全国の映画館にかかってくれることなんです。
私が住む北東北の地方都市に上映が回ってきて、地元の同好の士の皆様に観てね観てねとアピールしながら映画館に通い、鑑賞後は地元のカフェやレストランで食事しながら一人でかみしめたり、あるいは友人とあれこれ話し合ったりできることは本当に楽しいです。

これからも日本で中華電影が上映され続けてほしいので、地元で上映される映画はもちろん、できれば遠征でも観て、支えていきます。
あとはこちらに来なかった映画の上映会も行いたいです。そのためにはどうすればいいか、いろいろと策を練っています。

このコロナ禍が早く収束して、また映画祭で関東や関西の同好の士の皆様にお会いして一緒にもりあがれる日が来ますように。
そして、また香港や台湾に行けますように。

そうそう、これも言わなきゃね。
『アニタ』の日本公開を強く願います。

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我的中華電影ベストテン2021

2016年まで「funkin'for HONGKONG十大電影」と銘打ってその年に観た中華電影のうち、気に入ったものを10作選んでいたのですが、17年以降は映画の長文の感想がなかなか書けなくなってしまいました(twitterには感想は書いているのですけどね)
ここ2年は県外の映画祭などには行けなくなり、鑑賞本数も減少気味ですが、配信で何本か観ることができたし、地元の上映も徐々に増えてきているので、今年は題名を改めて、久々にまとめてみました。
なお題名に、Twitterで書いた感想をリンクしておきます。

理大囲城

これまで25年以上東北で暮らしているのに、なぜか行く機会が全くなかった山形国際ドキュメンタリー映画祭でのオンライン上映で鑑賞。これに先立って、地元では上映がなかった『乱世備忘 僕らの雨傘運動』もオンラインでやっと鑑賞。
2019年の初夏から始まった反送中デモのうち、最も大きな動きとなった11月の香港理工大学ロックダウンでのデモ参加者と警察との攻防を記録したドキュメンタリーで、スタッフは全員匿名。かつてよく散歩した尖東の歩道橋や近くを通ったことがある理大キャンパスがこの攻防の舞台になっていることには衝撃を受けたし、大学内部に閉じ込められたデモ参加者(高校生もいた)の焦りや意見のすれ違い等も緊迫感をもって観た。当時は日本のSNSでも武力行使を是としない意見をよく見かけたけど、このデモが決して暴力に訴えたものではなかったことはよくわかるし、理解が及ぶところである。
3年前の春に行ったのが結局今のところ最後になる香港だが、新しい建物や普通話の会話がやたらと耳について気になってはいた(かくいう自分も一応普通話スピーカーだが、香港では片言の広東語か英語を使って過ごしている)直後に反送中デモが始まり、それを受けて政府や中央からのさまざまな締め付けがコロナ禍に乗じて始まってしまい、現在の状況になったことに非常に驚いている。この映画も『時代革命』も、現在香港では上映できなくなってしまった。現在の香港の状況については、近日別記事でも書いておきたいのだが、暗黒の時代に入った香港でも、決して自由を死なせてはいけないし絶望してはいけないという気持ちを持っていたいものだ。

1秒先の彼女

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《健忘村》を除くこれまでの陳玉勳作品はいずれも映画祭上映から一般公開になっていたので、今回も金馬受賞後にOAFFで上映されるのかと思っていたら、いきなり一般上映が決まって驚いた。幼いころに出会っていたアラサーで風変わりな二人のおかしな邂逅の物語。確かに初期作の『ラブゴーゴー』に通じるところは大きいけど、原点回帰というよりも進化だよね?と全ての陳玉勳作品が好きな自分は思うのであった。ついでに《健忘村》も今ならもうちょっと評価されてもいいと思うんだけどなあ…。

少年の君

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アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート、そして20年の金像奬作品賞を受賞した香港映画。だけど舞台と俳優は中国、言語は普通話。10年代後半に『十年』や『大樹は風を招く』などに賞を与えていた金像奬がなぜ中国が舞台のこの映画に賞を与えたのか、疑問であった。香港映画で俳優としてキャリアを重ねてきたデレク・ツァン監督の作品は『恋人のディスクール』のみ観ている。この前作の『ソウルメイト/七月と安生』で単独監督デビューしているのだけど、これも舞台は中国。
これまで取り上げてきたテーマは友情やいじめと、普遍的なものである。そして鮮烈。中国製作なので、あの検閲済みの龍のマークはついているし、ラストには政府によるいじめ抑止対策の、クレジットもついていたのでプロパガンダ的にも見られそうだが、ここしばらくの中国映画が持つどこか忖度めいたものは感じられないし、制限のありそうな中でしっかり自分の描きたいことを描き切っている。周冬雨とジャクソン・イーの主演2人も、痛々しいほどの熱演を見せてくれた。
デレクの次回作はあの『三体』のnetflixドラマ版だそうで、これも楽しみである。第1話を担当とのことだが、そうするとあの場面から始めるのか…>あえてなにかは書かないでおく(読んだ人はわかっていると思うけど)

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↑これは公開時に劇場で掲出されていたスチール。地元の映画好きにも好評な作品でした。
それなら『七月と安生』も上映してほしかったなあ…配信で観るしかないのか。

日常対話

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リンクはTV版の感想で失礼します。クラウドファンディング特典のトーク付き限定配信で観たのですが、なぜか感想をtweetしていなかった…

ホウちゃんのプロデュースでTV版が先行して製作され(NHKBS1で放映された『母と私』2015年製作)その後長編劇場版として製作。独立映像制作者の黃惠偵監督が、 葬儀業を営むレズビアンの母との修復を試みるためにカメラを回して自らと母の姿を撮ったドキュメンタリー。これまでの恋人たちが語る母の姿が興味深く、やがて語られる女性の抑圧に衝撃を受ける。今でこそLGBTQ+の権利を守り、多様性を重んじる台湾でも、かつての女性の扱いはやはりどこの国とも同じようなもの。監督が母との関係や彼女の過去を振り返ることで、台湾の個人史が現代史と重なるし、そこから知ることも大きいし、いろいろと考えられる。

血観音

JAIHOの配信で鑑賞。これも台湾の現代史に考えが及ぶ映画。舞台となる年代はちょうど自分が留学していた頃であった。戒厳令解除からしばらく経っていたが、まだ国民党が実権を握っていた頃だった。TVでたまたま観た省議会中継の議員の暴れっぷりにあきれた記憶がある。そして劇中での暗殺や怪死事件が当時実際にあった複数の事件を基にしているというのに闇を感じた…
JAIHOではOAFFやTIFFで上映された作品が観られてうれしいけど、だいたい期間限定配信なので、いつも最終日ギリギリに観てしまう癖を直したいところである。

私たちの青春、台湾

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先の記事でも触れたとおり、金馬奬で長編ドキュメンタリー賞を受賞した時の傅榆監督のスピーチが大陸側で物議を醸した作品。オードリー・タンのインタビュー本『オードリー・タンの思考』でもこの映画が紹介されていた。
14年の太陽花学運に参加した学生たちの栄光(と言っていいのか)と挫折、そして彼らを追った監督自身の心情も語られ、セルフドキュメンタリー的な面もあった。学生たちがジョシュアとアグネスに面会する場面があったが、二人の現在を思ってしまって胸が痛かった。2014年からの香港と台湾が現在こうなってしまうとは。そして今後はどう変わっていくのか。

羊飼いと風船

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祝、ペマツェテン作品日本初公開!
フィルメックスの常連で、ソンタルジャと共にチベット映画を確立した彼の作品が地元の映画館で観られるのは実に素晴らしきこと。
中国映枠に入れてはいけない気もするけど、王家衛が過去作をプロデュースしてるし、中華圏という枠で観られる作品だから、ということで。

坊やの人形

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風が踊る

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今年はホウちゃんの過去作品をまとめて観られたのも実に有意義だった。

映画 真・三国無双

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元ネタのゲームは全く知りません。ゲームだから三国の英雄たちがびしばし超能力を発揮するってことですよねそうですよね。
古天樂の呂布はいい感じの貫禄でカッコえかったけど、ハンギュンの関羽…それでいいのか、セクスィー関羽…
まあそれでも日本公開の意義はあったと思う。最近日本で作られた劉備がぼやきまくる某三国志映画に比べたら百倍も千倍もいい。
そして東京と大阪の他、唯一の地方公開を果たしてくれた地元の劇場・盛岡中央劇場には大いに感謝しております(なおこの劇場で近日『レイジング・ファイア』が上映されます。中劇のニコファンの方による熱いレコメン記事をみんな見てあげて)

番外 シャン・チー テン・リングスの伝説

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はい、番外です。昨年唯一このblogで感想が書けた映画だけど、番外です。
中華電影へのリスペクトが込められていてもやっぱりマーベル映画だし、久々にトニーへの愛も激しく確認できたけど、まあいろいろあるし。(そして勢い余ってこんなファンフィクションまで書いてしまったので、よろしければ読んで脱力してくださいませ)
続編製作が決定したのは嬉しいけど、次のキャストには噂されているあの人よりも四大天王クラスを出してほしいなあ。

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シャン・チー テン・リングスの伝説(2021/アメリカ)

サンフランシスコのホテルで駐車係をしている華人の青年ショーン(シム・リウ)。同僚で10年来の親友ケイティ(オークワフィナ)とカラオケで歌いまくって朝まで遊び歩いたりと、自由気ままな生活を謳歌していた。ある日、マカオに住む妹シャーリン(夏令/メンガー・チャン)から便りが届き、それと時を同じくしてショーンの周りに怪しげな男たちが出没するようになった。彼らは千年の永きに渡り世界の裏で暗躍してきた犯罪組織「テン・リングス」のメンバーで、その首領シュー・ウェンウー(徐文武)はショーンことシャンチー(尚氣)の実の父親だった。テン・リングスからの刺客から逃れたシャンチーは、ケイティと共にシャーリンの待つマカオに向かうが、そこには数多くの罠が仕掛けられていた…

アイアンマンやキャプテン・アメリカなど数多くのヒーローを生み出し、2010年代は彼らがチームとなって強大な敵に挑むさまを『アベンジャーズ』シリーズとして製作してきたマーベルスタジオ。ディズニーの子会社となって今や米国を始めとした世界のエンタメの頂点に上り詰めた感もあるこのスタジオが作り続けたマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)も、2019年の『アベンジャーズ・エンドゲーム』をその集大成として一区切りを迎えた。
2020年代を迎え、ポスト・アベンジャーズの新フェーズに入ったMCU。エンドゲームで何人かのキャラクターが退場し、また新たなキャラがそこに加わることとなったが、その先陣を切ってデビューしたのが、マーベル初のアジア人ヒーロー『シャン・チー』
監督は『ショート・ターム』『ガラスの城の約束』『黒い司法』を手掛けたハワイ出身のデスティン・ダニエル・クレットン(ちなみに彼の作品の常連俳優であるブリー・ラーソンは、現在のMCUの中心をなすキャラクターのキャプテン・マーベルも演じている)タイトルロールを演じるシムは中国生まれカナダ育ちの新人俳優で、実質上の初出演映画が初主演というラッキーボーイ。
しかし、この映画で最も驚かされたのが、近年「香港のレジェンド」と称されるようになったトニー・レオンが、御年59歳にしてハリウッドデビューを飾ったこと。役の名はウェンウー。トニーにとっては初の本格的な悪役(ヴィラン)で、初の成人した子供がいる父親役である。

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ジョン・ウーが『フェイス/オフ』を監督し、チョウ・ユンファがハリウッドデビューを控えていた1997年。『ブエノスアイレス』が世界的に高い評価を受ける中、当時のトニーは日本の雑誌のインタビューで「ハリウッドに行く気はない。アジア人にはどうしても悪役が回ってくるから」というようなことをコメントしていたのをふと思い出した。共演したレスリー・チャンも別の媒体で同じようなことを言っており、両者ともその発言通りに中華圏で活動を続け、国際映画祭やアーティスト活動で知名度を広げていった。
『花様年華』『ラスト、コーション』『レッドクリフ』二部作に『グランド・マスター』と2000年代のトニーは次々と国際的な話題作には出演していったが、2010年代後半は出演作も減少した。さらには2018年には長年マネジメントを委託していた澤東公司との契約を終了し、実質上フリーになっていた。今後どのような作品に出演するのかと思っていた頃に2019年にマーベルから発表されたのが、『シャン・チー』への出演だった。長年のトニーファンとしては、これは喜ばしいというよりも意外性と驚きに満ちたニュースであった。

「ハリウッドに行く気はない」発言から24年、花様年華でカンヌ映画祭最優秀男優賞を受賞してから21年。この間の様々な変化を考えながら、なぜトニーがハリウッドに行ったのか、ということを考える一方、MCU作品の変化等も考えながら、今回は感想を書いていきたい。

★ここから先は『シャン・チー』本編及び複数のMCU作品の内容に触れています。
なお、タイトルは『シャン・チー』ですが、中国人名は音で日本語表記する場合は名前に「・」を入れないので基本的に「シャンチー」と表記します。


1・自分の知識内だけで試論的に述べてみるMCU映画としてのシャンチー

私は香港映画を始めとする中華電影迷を名乗ってはいるが、実質上は洋邦及び公開規模を問わず、地元の映画館で公開される映画は何でも観る傾向にある。MCU映画も例外ではなく、いくつかのシリーズを見落としてはいるが、8割方は観てきたと思う。お気に入りのキャラクターであった『アイアンマン』でも、の公開時に別のblogでかなりふざけまくった感想を書いているくらいなので、参考としてリンクを貼っておく。

スーパーヒーロー映画といえば、どうしても勧善懲悪と思いがちである。世界各国のメディアで多くのヒーローが誕生した20世紀は、冷戦構造で敵味方がはっきり分かれていたこともあり、それでも問題はない実に牧歌的な時代であった。
そんなヒーローたちに囲まれて、我々は成長してきた。
21世紀になり、冷戦の終了から世界の対立が変化し、過去10年間でも新たな分断と対立が表面化してきた。そんな時マーベルが製作した映画は、一癖も二癖もある多種多様なヒーローたちの物語であり、社会状況の変化とともにその内容をアップデートさせてきた。2010年代後半のハリウッドで問題提起されたダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(属性の包括)、metooムーブメントを受けてブラックパンサーやキャプテン・マーベルが新たに登場したり、ブラックウィドウの初登場時からの大きな変化や、アントマンと共に戦うワスプの登場など前線で戦う女性キャラクターも増え、時代の変化をうまく読み取ってシリーズを広げてきた。
また、MCU以外に目を向けると、ハリウッドでは主要スタッフもキャストもすべてアジア人という『クレイジー・リッチ!』の大ヒットが起こり、さらに中国での映画市場が世界2位の位置につけるなど、米国内外的にもアジア(特に中国語圏)の存在が大きくなってきていた。(それはつい最近発生した国内でのアジア人差別というネガティブな動きも含んでの話でもあろう)
全宇宙の人口半減という企みを持った最大の敵サノスを迎え撃ったインフィニティ・ウォー&エンドゲームで2010年代のフェーズを一区切りし、トニー・スタークやスティーブ・ロジャース、ナターシャ・ロマノフなどのアベンジャーズ初期メンバーが「退場」した後、次に語る物語には世界の流れも見据えた多様性や多文化共生が必要と見たのだろう。それで、ブルース・リーがアメリカを始め世界を席巻していた1970年代生まれのこのカンフーヒーローが満を持して登場することになった。もちろん、先に挙げたような中国市場を狙っていることもあるだろう。

一方、マーベルと双璧をなすアメコミブランドであるDCコミックスの作品では『ダークナイト』シリーズや『スーサイド・スクワッド』などで、ジョーカーやハーレイ・クインなどかなり個性の強いヴィランが活躍し、タイトルロールとして独立した作品もある。もちろんマーベルでも、先に挙げたサノス、ソーに対するロキ、スパイダーマンシリーズから生まれたヴェノムなど魅力的なヴィランが登場しているが、DCのジョーカーのように、近年はヴィランにもドラマティックな背景を設定して主人公と対峙させる傾向にある。もともと、シャンチーは父親が英国の作家によって生み出された怪人フー・マンチューの息子としてコミック版で設定されており、やがてその名前が使えなくなったために実際にコミックに登場することはなくなったという。しかし彼はマンダリンと名を変えてアイアンマンに自らの組織テン・リングスを率いて登場することになったため、その設定をさらに映画に生かしたのが、今回のウェンウーとなったという。そして、この役にトニーを迎えるために加えられた設定が、まさに彼にしか演じられない役どころとなっていたのに驚いた。クレットン監督も加わった脚本陣も、そのスタッフも、本当にトニーに惚れ込んで三顧の礼を尽くしたのではないか、と考えてしまった。

2・世界よ、これがトニー・レオンだートニー・レオンによる愛の映画としてのシャンチー

千年不老で権力欲の権化(という表現でいいかどうか…)である犯罪組織テン・リングスの首領ウェンウー。
これまでマーベルコミックに登場したテン・リングスの首領はマンダリン始め様々な名前で呼ばれてきたが、みな彼の偽名で替え玉も使っている(そのうちの一人、偽マンダリンことトレヴァーを演じたのが『アイアンマン3』に続いて登場のベン・キングスレー御大!)ので、正体は謎のままだった。
この謎に満ちた存在であるウェンウーは、常に笑みを浮かべており、何を考えているのかわからないところがある。その一方で妻でありシャンチー&シャーリン兄妹の母であるインリー(映麗/ファラ・チャン)を失ったことで、息子を自分の跡取りとして厳しく鍛え、暗殺者として育ててしまう一種の激しさがある。確かにこれはネグレクトとしか思えないし、シャンチーにとってのウェンウーは毒親と言われるのも大きくうなずける。本当に迷惑な父ちゃんである。
しかし、この映画を「トニー・レオンの映画」として観てみると、シャンチーには申し訳ないが、このウェンウーがトニーが演じるに相応しい、実に魅力的なキャラクターに仕上がっていたのだ。ずるい。こんなキャラクターを生み出してしまうのって本当にずるい。そして簡単に彼をヴィランなどと呼んじゃいけない。とつい感情的になってしまって申し訳ない。

千年間も悪事を尽くしてきたウェンウーが狙った豊かな村での運命の出会い。映画の冒頭で展開される勇敢な戦士インリーとの舞うような戦いには、この男が本当に邪悪な盗賊なのかと疑ってしまうほどの美しさを見出せる。後半の舞台にもなる大羅(ダーロー)村の色彩は実に美しく『グリーン・デスティニー』や『HERO 英雄』を思い出させる。この戦いで彼は打ちのめされ、そして彼女を愛してしまう。千年生きてきた先にウェンウーが見つけたのはこの愛である、という描き方は、トニーが数々の愛に生きる男を演じた姿を何回も観てきた我々には非常に説得力がある。そして、その愛が彼の手から失われてしまったらどうなるか、ということもよくわかる。
すでに30年近くトニーに付き合っている我々にはすっかりお馴染みの展開であるのだが、これをハリウッドの、しかもマーベルコミック映画として堂々と取り上げたのはお見事である。悪に染まった男がこれまでの人生を捨てるくらいの価値観の変換をその愛から得て、彼女を失った故の悲しみと狂気を描くのは、これまでのヒーローものでもあまり見たことがない。作り手もトニーだからこそ演じられるキャラクターとしてウェンウーを設定したことには、心から敬意を表したい。
約10年前に『アベンジャーズ』が公開されたとき、「日本よ、これが映画だ。」という上から目線のコピーが物議を醸したが、それを受けてあえて言わせてもらおう。

世界よ、これがトニー・レオンだ。

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3・香港映画は死なないーシャンチーにおける中華電影へのリスペクト

トニーだけではなく、この映画には香港映画を愛する我々にはお馴染みの俳優たちも続々登場する。
闇の力を封じ込めて守る大羅村の長で、インリーの姉でもあるインナン(映南)を演じるのは、25年に近いハリウッドでのキャリアを誇るミシェル・ヨー。彼女と共に村を守り、ケイティを戦士として鍛えるのは、こちらもお馴染みのユン・ワー。香港映画好きならトニーと共に「我らが」と称したくなるレジェンドたちの登場には大いに胸をワクワクさせられて、作り手の香港映画へのリスペクトが強く感じられるのがよい。
先に挙げたインリーとの出会いの場面には『グランド・マスター』での宮二との手合わせも思い出させるし、男女等しく鍛錬に励む大羅村の場面は、キン・フーやツイ・ハークが描く時代劇も彷彿とさせる。インナン&インリー姉妹やシャーリンがともかく武芸に秀でているというのがまさに武侠映画。ついでにテン・リングスが指輪ではなくて腕輪であるというのも『カンフーハッスル』等を彷彿とさせていい。(参考としてtonboriさんの感想もどうぞ)もちろん、序盤でシャンチーがテン・リングスの武闘派レーザー・フィスト(フロリアン・ムンテアヌ)と繰り広げるバス内のバトルは黄金期のジャッキー・チェン作品のようだし、シャンチーの教育係だったデス・ディーラー(アンディ・リー)の仮面は歌舞伎や京劇と同時に『レジェンド・オブ・ヒーロー 中華英雄』に登場する鬼僕も思い出した。その他、シャンチーやシャーリンの部屋を飾るポスターに至るまで見ればきりがないが、ともかく全面的に70年代から2000年初頭までの香港映画および中華電影に対するオマージュとリスペクトが詰まっている。これはもうお見事。シャーリンの髪からハリウッドのバトル系アジアンガールのアイコンでもあった色メッシュが排除されたり、クレジット等に怪しげなオリエンタル的フォントが使われなかったのも「よくわかってる」しるしでもある。

香港映画好きとして、現在大陸が香港に強いている検閲の強化は本当に残念で悔しく、黄金期のような楽しい香港映画が今後登場するのかと考えるとどうしても不安になる。それもあって、個人的には香港映画のテイストを少しでも感じさせるもの(例えば『るろうに剣心』シリーズ)を観てしまうと、もうそれを全力で支持してしまう傾向にある。かつて黄金期の香港映画を支えた人々は去ってしまい、現在は若手監督たちが珠玉の作品を生み出しつつも厳しい状況にあり、一方香港映画人を多く起用した大陸での作品も…といろいろ考えることが多く、香港映画の未来を考えては切なくもなってしまうのだが、華人を始めとしたアジアの映画好きの根幹にある香港映画的なスピリットをちゃんと生かしてくれたスタッフに感謝している。
そして、アクションコーディネーターのひとりが『ゴージャス』を始めとした成龍作品で大活躍したブラッド・アラン。彼はこの映画の公開直前に急逝。ご冥福をお祈りいたします。

4・がんばれシム、ひっかき回せオークワフィナ ニューキッズたちのこととかその他いろいろ

言いたいことはだいたい言ったので、このへんで締めてもいいのだがやはりもう少し。キャストについて。
タイトルロールのくせに今まで全く触れてこなかったシャンチー。シムには大変申し訳ないが(通算二度目)、ティザービジュアルを見て思い切り叫んだ。
「あのトニー・レオンからこの息子が生まれるなんてありえない!」と。
ジャッキーの例を挙げるまでもなく、カンフーヒーローはファニーフェイスである方が親しみが増す(例えば『カンフー・ジャングル』の王寶強もアクションスターであるが、ファニーフェイスを活かした『唐人街探偵』シリーズや『新喜劇王』などコメディを得意とする)のは確かなことだ。それであっても地味である。ほぼ映画初出演が初主演という、まさに朝ドラヒロイン(比喩としては「仮面ライダーシリーズの主演」の方が適しているのだろうが、新人の登竜門としての知名度は朝ドラの方が大きいのであえてこちら)的なサクセスを果たしたとしてもやはり地味である。これだけ地味地味言っているが、決してけなしているのではない。実際演技を見てみると、ちゃんと身体も動くし、本人も意欲的にに取り組んだことがよくわかるし、まだまだ伸びしろはある印象。なによりハリウッドもアジア系の新星を求めているのだろうから(アジア系男優としてすぐ思い出せるのは韓国系のジョン・チョーやマレーシアにルーツがあるヘンリー・ゴールディングあたり。もちろん香港で活躍してきた米国生まれのダニエル・ウーも忘れてはいけない)今後も多種多様な作品で活躍することを望む。
『オーシャンズ8』『クレイジー・リッチ!』等で強烈な個性を発揮するオークワフィナはここでも大活躍。彼女の演技はハリウッドのアジア系女子キャラのステロタイプをどんどん破壊しまくるようで見ていて実に痛快(個人的には繊細さを見せた『フェアウェル』が好きだけど)怖いもの知らずでやかましいけど頼りになるし、シャンチーの運命に付き合ううちに自身も勇敢な戦士として成長する姿は見所あるし、むしろ彼を喰っている。ケイティはMCUの新たなトリックスターになっていくのかな。
その他、やはりこれがハリウッドデビューとなった南京出身のメンガー・チャン(中国名が張夢兒というので、むしろ”メンアル”だと思うのだが、このままの表記でいくのだろう。シムも中国名だと「思慕」らしいし)日本ではJJモデルとしても活躍したという(!)ファラ・チャン等、ニューキッズな華人俳優が一気に登場。
あと、ニューキッズと言っていいのかだが、こんな子も登場。
トレヴァーの相棒にしてインリーに懐いていた(らしい)大羅村の不思議な生き物、モーリス。

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まさかこの子が山海経に登場する帝江(渾沌)がモデルであったとは。
それに全く気付かない中文系出身者は深く深く反省している。(参考として達而録のこの記事をどうぞ)

ここまでかなり絶賛しているが、それでも不満に思う個所はいくつかあるので、個人的に欠点と思うところをいくつか。
まず、中国市場を狙ったこともあって劇中は中国語(北京語)台詞がほぼ半分という試みは実にいいのだが、トニーの中国語台詞は広東語で聞きたかった。ケイティとおばあちゃん(『007は二度死ね』等に出演したベテラン華人俳優ツァイ・チン)との、英語と北京語の掛け合いがよかったので、ここでは多言語が飛び交う香港映画に倣って、トニーだけでも広東語ダイアログでもよかったと思う(蛇足だが、そういえば多言語会話は現在公開中の日本映画『ドライブ・マイ・カー』でも実験的に展開されていた。演技者のバックボーンを伺わせる表現方法として今後も有効だと思う)
あとは完全ネタバレで書くが、最終決戦となるダークゲ―トの魔物とシュー家の人々と対決場面。最大の危機であるし、ここでウェンウーが退場するのは展開的に致し方ないのだが、その後がどこか間延びしてしまった感もあった。別れの場面はもう少しタメというか情が感じさせられる場面に仕上げてほしかった。それを求めるのはあまりにも贅沢だろうか。あの魔物もここ10年くらいの怪獣映画に見られるどこかキモい(口が悪くて失礼)造形だったのも興ざめであったかな。モーリスを始めとした大羅村の魔物たちやシャンチーが呼び寄せた神龍の造形がなんとかギリギリ中華風味のラインを保っていて感心しただけ、そのあたりは残念だった。

5・とりあえずMCUは脇に置いといて、CEOケヴィン・ファイギに直訴したいこと

運命を変えた大羅村の戦いからサンフランシスコに帰還したシャンチーとケイティのもとにやってきたのは、マカオでニアミスしていたチベット僧のウォン(『ドクター・ストレンジ』の中華系イギリス人俳優ベネディクト・ウォン)。彼が二人に引き合わせたのはキャロル・ダンヴァースとブルース・バナー。兄は父から腕輪を継承し、妹は組織を受け継いだ。「指パッチン」後の地球と宇宙にまた新たな危機が迫ろうとしていることを匂わせ、テン・リングスの再来を宣言してこの物語は幕を閉じる。
こうしてMCUの新フェーズが幕を開け、『ノマドランド』で称賛を受けた華人女性初のオスカー監督クロエ・ジャオの手がける『エターナルズ』(メインキャストに『クレイジー・リッチ!』のジェンマ・チャンと韓国のマ・ドンソクが参加)やトム・ホランド主演の『スパイダーマン』シリーズの新作がこの後に続くとのことだが、あまり事を広げたくないのでMCUは脇に置いておく。

SNSに流れてくる動画や記事を読む限り、ともかくトニーが絶賛されまくっているのだが、クレットン監督やシムたちスタッフやキャストはもとより、マーベルCEOのケヴィン・ファイギまでこんなことを言っていて腰を抜かした。

「たくさんの映画スターや伝説的人物とご一緒してきましたが、セットで彼をお見かけした時、ほとんど言葉を失ってしまいました。まるで空から降りてきた異世界のスターのようだったから」

マーベルのえらい人が、ただのファンになっておる…
というわけで、この1作だけで世界中にトニーのファンを爆発的に広げてしまったのは確かなので、できることならファイギCEOに以下のことを直訴したい。
MCUシリーズからのスピンオフとして、ウェンウーの1000年間の人生を描いた『テン・リングス The Beginning』の製作を。それも配信ドラマではなくちゃんとした映画で。これ以上注文をつけるときりがなくなるので、とりあえずこのことだけは直訴する。どうか前向きな検討を願いたい。

終わりに

最初に提示した「かつてハリウッドに行くつもりがないトニー・レオンがなぜシャンチーに出演したのか?」という問題に対しては、ここまで考えると、全てが良いタイミングが揃っていたということで結論にしたい。先にも挙げたハリウッド及びMCUのアップデート、スタッフ陣の熱いラブコールはもちろん、マネジメントの変更、年齢的なタイミング、そして映画業界の変化など、様々な要因がハリウッド進出にいい方向に向かったということで、『悲情城市』『恋する惑星』から長年ファンをしている身としては、この成功とハリウッドデビューを心から喜んでいる。今後は数本の映画撮影に加え、久々のドラマ参加も控えている(何とかして観たい…)そうで、あくまでも香港を拠点に場所を問わない活動をしていくようなので、コロナ禍明けが待ち遠しくなる。

しかし、若いころから侯孝賢や王家衛といった世界的に評価の高い中華圏の監督作品に参加し、カンヌ映画祭でアジア人として2人目の最優秀男優賞を受け、『インファナル・アフェア』はハリウッドと日本でリメイクされ、日本も資本参加した『レッドクリフ』二部作の主演も務めてきた香港を代表するこの俳優が、たった1本の大作映画(しかもアメコミ原作)で一気に知名度が上がり、言うなれば「再発見」されてしまったことには複雑な気持ちを抱いてしまう。それもまたハリウッドの威力のすごさでもあるのだが。
それでも、新たに彼を知った人には過去作というお楽しみがたくさんある。トニーは1990年代の香港映画黄金期と台湾ニューシネマ最晩期、2000年代の大作中国映画にそれぞれ代表作がある現代アジア映画史の重要人物でもあるし、出演ジャンルも多岐にわかるので、若き頃の彼の活躍に是非魅了されてほしい。そして、いろいろと話ができればとても嬉しい。

 

期間限定公開のようですが、これはやはり載せずにはいられない。
「ネタバレ厳禁!」とのことですが、このblogは鑑賞後に読んでもらうことを想定としていますので、どうかお許しください、ボス。

監督&脚本:デスティン・ダニエル・クレットン 製作:ケヴィン・ファイギ&ジョナサン・シュワルツ 脚本:デイヴ・キャラハム&アンドリュー・ハナム 撮影監督:ウィリアム・ホープ プロダクションデザイナー:スー・チャン 衣裳:キム・バレット 音楽:ジョエル・P・ウェスト
出演:シム・リウ オークワフィナ メンガー・チャン ファラ・チャン フロリアン・ムンテアヌ ベネディクト・ウォン ユン・ワー ベン・キングスレー ミシェル・ヨー トニー・レオン 

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名もなきならず者たち、銀河に新たなる希望をつなぐ。

 2016年もあともう少しで終わり。
 中華電影の上映が減ったり、個人的にもHP本館がなくなったりとここに書けないこともいろいろありすぎて、blog記事も例年になく書けませんでしたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。これが今年最後の記事ですが、予約投稿かけているので、それまでに目標だった今年観た映画の感想が全部書けているかどうかは果てしなく不安です(苦笑)。

 さて、映画界でのこの冬最大の話題といえば、一代宗師以来3年ぶりの出演となるトニー・レオン主演、共演に金城くん、イーソン、angelababyが揃い、王家衛がプロデュースした《擺渡人》!…と言いたいところなんだけど、残念ながらまだ観る機会に恵まれません(泣)。この冬香港や台湾に行くことができないからです。
 と言うのはあくまでも中華圏の話題で、全世界的な話題に目を向ければ、昨年より製作が再開した20世紀が誇る宇宙ファンタジー映画の金字塔、スター・ウォーズ(以下SW)シリーズの初スピンオフ、『ローグ・ワン』が全世界的にヒットしていること。これにアジア人初のSWメインキャストとして、ド兄さんことドニー・イェンと姜文が出演すると1年ちょっと前に発表されたときには、中華電影迷の間に大きな反響を呼んだのは言うまでもない。

 そんなわけで今年最後の記事は、ローグ・ワンについてです。
SWシリーズはエピソード4から6をTVで何度も観て、昨年公開された7(フォースの覚醒)を劇場で観ているけど、熱心なファンでもないし、まさかこのblogで書こうなんて昔の自分なら信じられなかっただろうな…^^;



 エピソード4『新たなる希望』(いわゆる第1作ですな)の開幕に流れる「反乱軍ゲリラが帝国軍から惑星破壊兵器デス・スターの設計図を入手し…」のエピソードを、2年前のハリウッド版ゴジラを手がけたギャレス・エドワーズ監督によって映画化。 

 デス・スター設計を手掛けた父親を持つ札付きのならず者ジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)を中心として結成された愚連隊(これが題名の由来)が敵陣に切り込む物語だけど、このローグ・ワンの中心メンバーとなっているのが、ド兄さん演じる盲目の僧兵チアルート・イムウェと、姜文演じる相棒のベイズ・マルバス。



 SWシリーズと言えば、35年以上昔からも全く変わらないクラシカルな宇宙空間に展開する激しいバトルがお約束だけど、今回はそれに加え、緑豊かな惑星を舞台にした激烈なゲリラ戦も繰り広げられる。その共存は実に現代的だし、見ごたえがある。
 そんな中でひと際目を引いたのが、やはりチアルート。
いやもうこっちがどーのこーの言わなくても、とにかく観ればわかるとしか言えないあのアクション。宇宙最強が決して伊達じゃないのがわかる(笑)。そもそもはクロサワリスペクトと言われるSWシリーズに初めて出演したアジア人俳優が日本人じゃないのが残念だとか、今や米国に次ぐ第2の市場となった中国狙いのキャスティングかとかの雑音が多少聞こえてきたけど、ドニーさんのインタビューを基にしたこの記事を読むと、そんなことは決してないことがわかる。ギャレスもまた、ド兄さんを起用したのはアクションだけでなく俳優として見込んだからというのも嬉しい。

 チアルートはただの強者ではない。人をつなぐ力として語られるフォースが消え去ってしまった時代に、その力は持てないものの、存在を信じて限りなくジェダイに近づこうとしている。加えてユーモアも持っていて、若きジンの可能性もフォースと同じくらい信じている。そういうキャラクターができていて、それでいてのあのアクションなのだから説得力があっていい。ホントに嬉しいものである。
 彼の相棒となる姜文のベイズも、思った以上にいいヤツだったのが嬉しい。アジア映画によく見られる(含む日本な)男同士の熱い絆で結ばれている二人なので、なんか一部がザワザワしちゃってるけど(笑)、とかく一匹狼タイプな姜文がこういう無骨な男を演じるわけだし、そーいえばこの二人は関羽の映画こと『三国志英雄伝 関羽』(すいません残念ながら未見です)でも共演しているし、ド兄さんも監督兼任したことがあるから、きっと気は合うんだろうなって思ったりして。

 そんな“ならず者”たちが果たすミッションとその運命は…ってのはここでは言えないけど、一つ言うとなれば、これが見事に『新たなる希望』につながっていくというのも素晴らしい。これが初SWなら、これからエピソード4がどう展開するかという楽しみが味わえるし、ヘヴィなファンもまた楽しめるのがいいよね。
 そして、この映画でド兄さんを初めて知った人もまた幸せだと思う。2月には再びのハリウッド出演作『トリプルX:再起動』もあるし、何と言っても4月には当たり役である『葉問3』がある!もちろん、過去作品もたくさんある。これがきっかけで、アジアンアクションにハマれる楽しさがあるからね。

 というわけで、来年は『葉問3』を始め、たくさんの香港映画が日本でも上映され、たくさん観られますように。
 そして皆様、どうか良いお年を…。May the force be with us! 

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見習い(2016/シンガポール・ドイツ・フランス・香港・カタール)

 映画祭の醍醐味は、世界の映画がたくさん観られること。ゆえに、アジア映画を多く紹介してくれるTIFFやフィルメックスの存在は本当にありがたい。
 さらに、ここ数年の世界の映画祭ではフィリピン映画が連続して受賞し、それに伴って東南アジア各地の映画が注目を集めているとのこと。今年のTIFFでも、コンペで観客賞と主演男優賞のダブル受賞となったのが、フィリピンの『ダイ・ビューティフル』だった。

  この『見習い』は今年のカンヌの「ある視点」部門にシンガポールから出品された作品。シンガポール映画といって思い出すのは、この作品で製作総指揮を手がけている『TATSUMI』のエリック・クー監督や、カンヌでカメラ・ドールを受賞した『イロイロ ぬくもりの記憶』など。だけど残念ながら両作とも観る機会に恵まれなかったので、これが初シンガポール映画となった。
 クー監督、イロイロのアンソニー・チェン監督、そして本作の監督のブー・ユンファン監督も名前からしていずれも華人なのだが、はたしてシンガポールは中華圏なのだろうか?と一瞬思った。しかし、そういうわけでもないらしい、とこの映画を観終えた後に思った。
 と言いつつも、この映画を観ようと思った一番の要因は、クー監督と共に我らがパンちゃんことパン・ホーチョンが製作総指揮に加わっていたからなのである。
すいませんそんな理由で本当にすんません。

 日本と同じく死刑制度を持つシンガポール。刑務官になった若いアイマンは、ベテラン死刑執行人ラヒムの元で執行人見習いとして働くことになる。アイマンの父は殺人を犯して死刑に処されたが、彼はラヒムが父を処刑していたことを知る。

 アイマンとラヒムはマレー系だが、彼らの同僚の刑務官や死刑囚には華人もいる。シンガポールには他にもインド系も多く住むということだが、華人がマジョリティであることを知ると主人公二人はマイノリティに位置するということか。このへんは監督も初映時のQ&Aで語ったようなのでそちらに譲るけど、映画の中盤で白人のBFと結婚してオーストラリア(だと思ったが)に移住するアイマンのお姉さんのエピソードもあるので、シンガポールがただ華人の多い国というわけではなく、多民族国家であることが明確にわかるように描かれていたのが興味深かった。

 世界的には制度廃止の方向に向かっている死刑だが、日本にももちろん死刑制度はある。そういう背景もあるので、いかに刑が執行されるのかという点でも興味深く観たけど、カンヌで上映されたときにはおそらく観客は衝撃を受けたかもしれないし、批判もあったんじゃないかと思う。現在の日本でもこういうタイプの作品は作れなさそうだ。
 もちろん、ブー監督もそのへんはわかっているようで、死刑制度の是非が主題ではなく、これを媒介にした人間関係を描きたかったということで、脚本の作成に3年(その間東京にも滞在したとか)、母国の多くの執行人や死刑囚の家族たちへのインタビューを重ねて作り上げ、若い刑務官からの視点を主にして死刑執行に新たな視点を当てたかったとのこと。

 死刑までの流れは非常に丁寧で複雑なプロセスを要し、それでいてあっさりと執行される。そこの描かれ方がリアルなので見入ってしまうが、父を死刑で失ったアイマンのようなケースはありうるのだろうか?それは映画ならではの面白さではあるのだけど、肉親を殺された者と殺した者が偶然にも出会ってしまった際の心の乱れは、どんな人間においても共通するものがあるのだなと思った。



 当日のQ&Aでは当然クー監督やパンちゃんとの関わりが質問で出たけど、クー監督はブー監督の長編第1作に引き続いてのプロデュースで、パンちゃんには脚本を読んでもらって資金面でのプロデュースを買って出てもらったそうだ。両者ともTIFFの常連であり、アジアを股にかけて活躍する映画人。特にパンちゃんは昨年のレイジーに引き続いてのプロデュースであると考えると、中国だけでなく東南アジアにも目に向けたよさと、今後の東南アジア映画の面白さは彼らが陰でサポートして発展していくのだろうな、と改めて思った次第。今年の大阪アジアン映画祭で上映されたマレーシア・シンガポール合作の『ご飯だ!』は、パンちゃんの盟友チャッピーの初監督作品であるしね。

中文題&英題:身後仕(Apprentice)
監督&脚本:ブー・ユンファン(巫俊鋒) 製作総指揮:エリック・クー パン・ホーチョン
出演:フィル・ラフマン ワン・ハナフィ・スー マストゥラ・アフマド

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真夜中の五分前(2014/日本・中国)

 昔から映画は国境を越えるものであり、欧米だけじゃなくて日本もアジアで多く合作を作ってきた。日本の映画会社が香港や台湾でロケしたり、日本の技術スタッフが現地で仕事したり中華圏の俳優を出演させたりと方法は様々だったらしく、そういえば李小龍作品は日本の西本正さんがカメラを回してるんだっけ、と過去記事から改めて気づく。このへんはお詳しい方に負けるので、詳細はググってもらえれば(^_^;)。
 ワタシが中華電影にハマった頃もこういうアジアンコラボは積極的に行われていたけど、当時は日本の俳優や音楽家が参加するくらいって感じだったと思う。それでも好きな俳優やスタッフが香港や台湾で仕事するなら嬉しいものだったけど、そんなに好きじゃないとどーでもよかった。☆月とかな(苦笑)。

 この『真夜中の五分前』は『GO』や『世界の中心で、愛をさけぶ』で知られる行定勲監督が、本多孝好による同名の小説を、上海を舞台に移して映画化したもの。すでに大陸などでは公開済み。驚いたのは完全に日中合作で作られたので、自国映画枠での公開ができたとのこと。そして主演が三浦春馬なので、アミューズ上海が製作に加わっていたことも知って、アミューズが昔香港で合作映画に取り組んでいたのを思い出してたりして。kitchenとかね。

 良(三浦春馬)は上海でアンティーク時計の修理工をして暮らしている。住み込みで働いているので、仕事が終わったら近所の屋内プールに泳ぎに行く。そこで彼は美しい女性若藍(劉詩詩)と出会い、贈り物を選んで欲しいと頼まれる。良が提案したのは、自分の店の時計だった。
 それから、良は若藍と瓜二つの一卵性双生児の妹如玫(劉詩詩)とも出逢う。如玫は女優をしていて、映画プロデューサーの天倫(ジョセフ)と婚約していた。控えめで聡明な若藍と華やかで妖艶な如玫と付き合っていくうちに、良は若藍にひかれていく。
しかし、若藍と如玫は旅行先のモーリシャスでクルーザーの事故に遭う。生き残ったのは如玫だった。間もなく如玫と天倫は結婚する。
 それから1年後、良は天倫から連絡をもらう。彼曰く「如玫はもしかして如玫じゃないかもしれない」と。良は久しぶりに如玫と出会うが、確かにすっかり変わってしまっていた…。

Yukisada
岩手日報2014年12月23日付。この記事、web化されてないのが残念。拡大できます。

 行定さんの作品は割とよく観ている。監督作がかなり多いので(これの前に撮った作品が昨年公開されてたし、ドラマや舞台演出もしている。最近はWOWOWのドラマ『平成猿蟹合戦図』や舞台『ブエノスアイレス午前零時』なども)全部は観てないけどね。『GO』『今度は愛妻家』『パレード』が好きかな。
 『南風』の感想にも書いたけど、行定さんはアジア映画のスタッフやキャストを積極的に作品に起用してきたので、いつかはアジアンコラボを手がけるのだろうと思っていた。フィルメックスでのQ&Aや上の新聞記事(写真)でもわかるように、台湾ニューウェーブや王家衛作品に影響を受けていると言われたら大いに納得する。
 今回は中華圏を代表する録音技術師・杜篤之さんを起用。それを先にわかっていたので、サウンドデザインに注意して聞いてみた。セリフは最小限で、がちゃがちゃしていそうな上海が舞台なのにかかわらず、背景の音はけたたましくはない。ジャンクーやホウちゃんの作品にも関わっている、半野喜弘さんの音楽も画面にすっと入り込むような感じでいい。行定さんの映画はあまりおしゃべりな感じではない(『GO』は例外だろうけど)ので、これがいい効果を上げていて、舞台を移してもちゃんと行定さんの映画だとわかるのがいい。

 幼い頃からお互いを交換して生きてきた双子の姉妹のアイデンティティの揺らぎ。如玫は素直に若藍に憧れ、若藍は無邪気な如玫に嫉妬する。そうやって生きてきたのがよくわかるので、事故で一人になってしまった「彼女」は果たして如玫なのか、それとも若藍なのか、と観ている方も混乱する。二人を演じた劉詩詩は姉妹の演じ分けを意識していたそうなので、生き残ったのがどちらなのかというのは何回か観ればきっと分かりそうなんだけど、そのへんはどちらかと決めずに、曖昧なまま観ても無問題だと思う。かつてはこういう余白を残した作りの映画も多かったし、行定さんの昔の作品も思い出してた。一番最初に観た『ひまわり』がこれと同じ感覚だった気がする。
 彼が朝日新聞のインタビューで言われているように、今はわかりやすい映画が求められているので、こういうのは冒険に思われて企画が避けられるのは残念だなーと思う。実際、感想も生き残ったのがどっちか描いて欲しい的なものもよく見かけたけど、そういう見方はちょっと残念。わかりやすいからいいってわけじゃない。もちろんこの良さもわかっている人もいるだろうからね。

 春馬はあまり好みじゃないんだけど、今回は中国語のセリフも頑張っていたし、控えめな役どころで正解。こういうナイーブな男子が中華圏女子にはどう受け入れられたかはわからないけど。劉詩詩はドラマ『宮廷女官若曦(步步驚心)』でブレイクしたのか、そうか。おしとやかな雰囲気がハマっておりました。この作品から名前を中国名に統一したジョセフ(今後もこう呼びます)も手堅かった。やっぱり短髪が似合うよな。

 今までも、越境する日本/アジア映画はあったけど、監督が越境して撮るというのは久しくなかった気がする。日本映画ならなおさらのこと。香港でも韓国の俳優がメインキャストに抜擢されることも増えてきたし、去年観た『危険な関係』もホ・ジノさんが越境した撮ったので、失敗を恐れることなく、日本の映画監督さんはどんどん外に出て行ってもいいと思う。

 面白いことに、同じ東映系で来月公開される永作博美主演の映画『さいはてにて』は、台湾の新人監督が日本で撮ったという作品。これは偶然なんだろうけど、もしかしたら東映もこういう流れでアジアンコラボの可能性を探っているのかな、なんて思ったりした。国同士のいざこざやら周りの雑音など気にせず、今年はどんどんアジアンコラボが進んでもらいたいなーと思ったのでした。

原題&英題:深夜前的五分鐘(Five minute to tomorrow)
監督:行定 勲 原作:本多孝好 脚本:堀泉 杏 音楽:半野喜弘 録音:トゥー・ドゥーチー
出演:三浦春馬 リウ・シーシー チャン・シャオチュアン(ジョセフ・チャン) チャン・イーバイ 

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ジャ・ジャンクー フェンヤンの子(2014/ブラジル)

 今年の東京フィルメックスのコンペ部門審査委員長は、ジャ・ジャンクーでした。
 この人です。

Jiazhangke_venice

 これは6年前のヴェネチアでのショットです。
 もうひとつ。

Jiazhangke

 ふざけているわけじゃありません。たまたまこういう写真しかありませんでした。
 agnes bがよく似合う44歳です。「フィルメックスの顔」ともいわれる西島秀俊くんとも同世代ですね。
 映画監督としては『一瞬の夢』で長編デビューし、1998年のベルリン映画祭フォーラム部門に招待されたというけど、その年に金熊賞を受賞したのが、ブラジルのウォルター・サレス監督作品『セントラル・ステーション』。これは確かNHKも製作に加わっていたんじゃないかな。そしてこの年の審査委員にはレスリーがいたはず…。
 そのサレス監督がジャンクーを撮ったドキュメンタリーが、フィルメックスのサプライズ上映としてやってきた。なお、まだワークプリント版とのことで、詳細なスタッフクレジットがなかったのが残念。

 

初映時の舞台挨拶によると、ジャンクーとサレスさんの縁はこのベルリンから続いており、7年前のサンパウロ映画祭で対談した時にドキュメンタリーの製作と本の執筆の構想を打ち明けられたとかで、待望のプロジェクトだったのねってことがわかる。サレスさんの作品は先の『セントラル』の他、ガエル・ガルシア・ベルナルが若き日の医学生ゲバラを演じた『モーターサイクル・ダイアリーズ』を観ているのだけど、生真面目でしっかりした作品を作るイメージがあって、信頼できる監督だと思っている。そんなわけで、しっかりして見やすいドキュメンタリーで飽きることはなかった。

 ジャンクーの旅は、生まれ故郷の山西省汾陽から始まる。親友でもある俳優王宏偉と、『一瞬の夢』のロケ地や生家を歩いて回る。
 彼の長編劇映画はこれと『青の稲妻』が未見。それでも劇中の場面を挿入してくれるので、その頃と現在の風景を比較して興味深く観た。しかし、愕然とするのは、やはり文革の真っ最中に生まれているからということもあって、同世代なのに全く違う少年時代を過ごし、観てきた映画も全く違うものだったことだ。初めて観た映画が50年代の作品と言われて、70~80年代の中国の市井の生活が全く自分の想像に及ばないものだったことに改めて気付かされた。亡くなられたお父様が学校の先生だったってのは、なんだかわかる気がするわ。お母さんとお姉さまがご健在とのことで、家族との場面は微笑ましかった。
 過去作品として最も言及されていたのが『プラットホーム』。これも汾陽を舞台とし、ジャンクーのミューズである趙濤がデビューした作品なので、取り上げられるのはわかるんだけど、観た当時は結構きっつい作品だった記憶が…(苦笑)。ジャンクーたち自身より年代的に上の世代を描いているので、時代背景は理解できても同時代の作品とは受け入れがたかったのが原因かもしれないけど、やっぱりこれと『世界』が彼の代表作なのかな、と思ったりした。まあ、ワタシはエンタメにやや偏った『長江哀歌』『罪の手ざわり』の方が好きだったりするのだが。

 ジャンクーの旅は汾陽から北京へ行き、『世界』の舞台となった世界公園や、いとこの韓三明との会話の合間に、趙濤や余力為のインタビューも挿入される。母校の大学での講義では賞をうけたばかりの『罪の手ざわり』の話題も出て、次回作として『プラットホーム』を再編集し、現代版を作ると決意したところに、『手ざわり』の国内上映禁止の報が伝えられる。その失望を経て、新作にとりかかろうとするところまでをこの映画では映している。
 ジャンクーの作品は、身近なところからテーマが出発して、それが中国全体の問題として発展したところが興味深く観られているのかな、という気もする。実力があるから、その気になればエンタメも撮れるんだろうけど、多分撮りたいテーマはたくさんあるんだろうなという気がする。中華電影やアート系作品がほとんど来なくなっても、なぜか彼の作品はこっちまで来るので(笑)、必然的に観る環境には恵まれている。だから、きっと今後も観ちゃうんだろうな。
 しかし、手ざわりの時にもビックリしたもんだが、ジャンクーがとっちゃん坊や(こらこら)からうまく中年になったのに比べ、王宏偉がかなり変わってものすごいオッサンになったのは驚かされた。趙濤は観るたびに洗練されてきているけど、韓三明が全く変わらないのに妙に安心した。

…こんな感想しか書けないけど、いいかしらん?

原題:賈樟柯 汾陽小子
監督:ウォルター・サレス
出演:ジャ・ジャンクー ワン・ホンウェイ チャオ・タオ ユー・リクウァイ ハン・サンミン 

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