無名(2023/中国)
まずは私にとって(もちろんそうではないというのは承知の助)嬉しい話題から始める。
10月28日(月)から11月6日(水)まで行われる第37回東京国際映画祭コンペティション部門の審査委員長にトニー・レオンが選ばれた。
数年前にベルリン国際映画祭のコンペで審査員を務めてはいるが、審査委員長に選ばれるとは予想もつかなかった(なお、華人俳優としては2019年にチャン・ツーイーが審査委員長を務めている)コンペ部門の審査員もイルディコー・エニェディ監督、キアラ・マストロヤンニ、橋本愛、そして同郷のジョニー・トー監督が決まり、どんな話し合いが繰り広げられるか不安、いや期待は高まるばかり。
『シャン・チー』で知名度を広げた後は、香港でも『風再起時』《金手指》(今年のMaking Wavesで上映されそうだけど日本公開希望)と主演作も公開されたし、昨年のヴェネチア映画祭で生涯功労金獅子賞(過去に金獅子賞受賞した3作品に出演もしている)を受賞したし、『私の20世紀』『心と体と』で知られるエニェディ監督の新作《Silent Friend》で初めて欧州作品に出演するなど。還暦を過ぎてのこの活躍も長年のファンとしては嬉しい。
近年は日本にも拠点を持ち、妻夫木聡や宮沢氷魚など日本の俳優たちとの交流もSNSで伝えられる。今年のTIFFでさらに交流を広げたら、今後は日本映画人とのコラボも実現するのかもしれない…とちょっと期待している。
しかし、主演作が日本公開してくれるのは嬉しいのだけど…とちょっと立ち止まって考えてしまう作品も実はある。
今回はそんな作品、『無名』の話である。
中国で作られた映画がすべてプロパガンダというわけではない。長年中国周辺をウォッチしてきた身だからこそそれはよくわかっている。
しかし、ここ10年ほどの中国政府の文化的な政策や対香港対策を批判した文化人の言語封殺を見てきたり、両岸三地のスターを揃えた建国記念映画を製作したというのを見ると、プロパガンダが作られるのも当然であるか。
香港との合作も多く作ってきた中国の大手スタジオ博納影業は、2021年の『アウトブレイク 武漢奇跡の物語』(アンドリュー・ラウ監督、チャン・ハンユー主演)、2022年に『1950 鋼の第7中隊』(チェン・カイコー、ツイ・ハーク、ダンテ・ラム共同監督、ウー・ジン主演)と、現代のコロナウィルスとの戦い、朝鮮戦争における長津湖の戦いという実話を基にした作品を製作してきた。それらとこの作品をまとめて「中国勝利三部作」と称されているのだが、そう言われてしまうとプロパガンダだよな…と思ってしまう。先の2作の監督たちだって、香港映画の一時代を築いてきた名匠たちだし、カイコ―の初期のキャリアの凄さを知っている身としては、彼らはもう昔のような(だいたい2000年代前半の中港合作が増える前の頃の)映画は作ってくれないのねと思わざるを得なかったりするわけだ。
三部作の最終作としてこの映画の製作の報が伝えられたのが2021年秋。中国でのシャンチーの公開がキャンセルされたばかりの頃であり(主演のシムが大陸に対してあまりよろしくない発言をしたことが問題となった)、そのタイミングでの発表はどうなのか?とうっすら思っていたし、昨年の中国電影金鶏獎でトニーが主演男優賞を受賞したことにより(参考としてこちらを)華人俳優初の金像・金馬・金鶏で受賞した俳優になったという知らせを単純に喜んでいいのか戸惑ったこともあった。
先の2作との相違は、監督が中国映画でキャリアを積んできた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の程耳が務めていること。国内生え抜きの実力派が手がけるのには十分であるし、彼の過去作を気に入ってトニーが出演したというのなら、そこはいいことなのだろう。そして共演には日本でも人気急上昇中の中国の若手俳優王一博(ワン・イーボー)。それなら、先の2作と分けて、力を入れて売り込みたいわけだよね。わかる。
時は日中戦争時、舞台は上海。汪兆銘(汪精衛)政権下のスパイとして諜報活動に従事する何主任(トニー)とその部下葉(王一博)。唐部長(大鵬)や王隊長(エリック・ワン)と連携し、日本の諜報機関所属の渡部(森博之)とも密に連絡を取り合いながら、日中間のバランスを危うく取っていく。その一方で中華民国の与党である国民党と共産党の間でも秘密工作が行われ、共産党から国民党への転向を促して幹部の情報を引き出そうともする。中国軍と日本軍の衝突は激しさを増し、それと共に日本、国民党、共産党との水面下の睨み合いも激しくなっていく。
この手の抗日的な題材は中国では昔からよく取り上げられてはきているが、それがあまりにもおかしかったりグロテスクな取り上げられ方をされたりするとどうしても頭を抱えてしまうのであるが(中港合作のこの映画も然り)、渡部を始めとしたこの映画における日本軍の描き方は過去の抗日テーマの作品と比べても幾分まともに描かれていて安心した。この映画と時代的に重なるロウ・イエ監督の『サタデー・フィクション』では日本海軍の少佐と特務機関員をオダギリジョーと中島歩が演じているので安定しているが、中国で活動する森博之(東京生まれだがNYやカナダ育ちとインタビューで語っている。ちなみにパートナーはつみきみほ)が演じた渡部の重厚感は本人の中国でのキャリアも感じさせられる演技で説得力があった。日本軍の兵士役にも中国で活動する日本人俳優が加わっているそうだが、それならば日本語をもっとしっかり発音してほしかったかも…。
衣裳デザインには張叔平が参加しており、美術も重厚。アクションも苛烈で諜報もののスリリングさを楽しめる。それで止めてもいいのだが、長い間中華電影を観てきた身としては、無粋で大変申し訳ないのだが、どこかで見たことあるよな…とずーっと思ってしまったし、こういう洗練さや俳優たちの美しさや熱演があるからこそ、そうかー、これだからプロパガンダかーという考えが頭を離れなかった。共産党のスパイを取りあげた張藝謀の『崖上のスパイ』があったけど、あれはプロパガンダだと思わなかったし、先に挙げたサタデー・フィクションであったり、何主任の妻陳を演じていたのが周迅だったので『サイレント・ウォー』であったり(これは舞台が国共内戦)、国民党の女スパイ江(ジャン・シューイン)のモデルが鄧蘋茹ということからそのつながりで『ラスト、コーション』など過去の類似作品とついつい比べてしまって、どうも首をひねりがちになってしまうのだ。老害的な意見と捉えられてしまうけど、もうそれは致し方ない。美しさやカッコよさだけで許せなくなってきていて申し訳ない。
クリストファー・ノーランばりの時系列をシャッフルした展開もスタイリッシュさを出したいのかもしれないけど、あまりやりすぎるのも…と思ったことも確か。時期的に『オッペンハイマー』を観たばかりだったからなおさらそう思った。
トニーは熱演していたのはよくわかるし、全編北京語というのもチャレンジングであった(広州出身を思わせる描写があったり、ラストの香港の場面では広東語を…というのは贅沢な望みか)でもこういう役どころは以前にもあったし、難しくはなかったのだろう。共演が多くても初めて夫婦役となった周迅、すっかり重鎮となった黄磊など、知っているキャストには手を振った。
そして、もっとも力が入っていたといえる、これが日本のスクリーン初登場となる王一博。
現在BS&CSや配信で人気を集めている中国ドラマに全く触れていないので、その人気の凄さを実感できないのだが(申し訳ない)トニーと二枚看板を張れる実力と切れ味よさそうな所作は人気出るのがわかるし、日本での宣伝でもグッズ作りたくなるわけだよな、と納得した。『ボーン・トゥ・フライ』や『熱烈』など主演作の日本公開も続いているので今後知名度がどんどん上がるといいね。
しかし、この映画を観て改めて感じたのが、自分がすっかり中国映画の実情に疎くなってしまったことだったりする…。
プロパガンダやらなんやらといわず、何でも観ればいいのだろうけど…
うーむ。今後も精進しよう。
(それでもクレジットに出る「(中国香港)」などのカッコつき国籍を見て頭を抱えてしまうのだろうな…)
中文題:Hidden Blade
監督&脚本&編集:チェン・アル 撮影:ツァイ・タオ
出演:トニー・レオン ワン・イーボー ジョウ・シュン ホアン・レイ エリック・ワン ダー・ポン チャン・ジンイー ジャン・シューイン 森 博之
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