グランドマスター(2013/香港・中国・フランス)
ワタシは長年王家衛ファン、もとい香港映画ファンをやっているので、製作発表時に予告された作品と全く違う完成品が目の前に差し出されても、決して驚くなんてことはない。ましてや怒ることもない。だいたいにおいて香港映画の製作本数は合作であっても他国に比べて少ない。だからこそ、どんな駄作を差し出されても文句は言わずに鑑賞し、素直に賞賛し、ツッコむところはツッコむように心がけている。
今からだいたい11年くらい前のことだったと思う。『花様年華』が無事公開され、同時進行で作られた『2046』が一時中断していた頃だ。その『2046』の次のプロジェクトとして王家衛が発表したのが、李小龍(ブルース・リー)の師匠である葉問(イップ・マン)を描く作品だった。当然、主演は我らがトニー。この知らせに、ワタシだけでなくほとんどのトニーファン、いや香港映画ファンが驚いたのは言うまでもない。しかしこれまで様々な企画を発表してきては潰れ、予告と完成品が全く違うこともたびたびあったのだから、「まー今回も潰れるかもしれないわねー、王家衛は基本的に信用ならんから」などと高をくくっていたのであった。その間、04年に2046、05年に『エロス』の1本、そして08年に初の欧米映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の後、王家衛は表舞台から姿を消す。
その沈黙は5年。それは日本の映画ファンから王家衛という名を忘れさせるのには十分な時間だったのだろうか?ただ、この5年間で日本の映画ファンの状況がガラッと変わったのは事実だ。
しかし、5年たっても王家衛はやっぱり王家衛だった。そこがファンとしては嬉しかったが、タランティーノは知ってても恋する惑星なんて知らない映画ファンには、そんなことなどどうでもよかったに違いない。今年初めの中華圏公開、2月のベルリン映画祭オープニング上映を経て、待望の日本公開が始まったばかりの一代宗師こと『グランドマスター』への「一般的な映画ファン」の声を聞き、落胆したのであった。
いや、ここではそんなネガティブなことをどうこう言うわけではない。それは別項に譲り、まずはこれが初見となった国際版の感想を書いていきたい。
改めてオリジナル予告編を。
結論から言えば、王家衛がただのカンフー映画を作るわけないのは、もう想定内のことである。これで先行する葉問2部作やワンチャイシリーズのようなガチなカンフー映画は全く期待してなかったし、彼に『グリーン・デスティニー』を作った李安さんのような器用さや柔軟さがないことだって承知している。だからこそ、彼が珍しく予告通りの作品を仕上げてきたことに驚いたのであった。
それは見事なまでにただのカンフー映画ではなく、かといって今まで彼が撮ってきたようなじれったい恋愛映画でもなかった。20世紀という時代の激変に翻弄された武術家たちの彷徨を描く映画だった。
そりゃ、本格派アクションスターであるドニー・イェン(以下ド兄さん)が詠春拳をバシバシ決めてくれる葉問二部作は、敵が日本軍であっても非常に面白く楽しい映画だった。だけど、実在の人物である葉問自身はあんな人生を送ってきたわけじゃないというのは、直感的にわかった。王家衛が「葉問は文人の気質を持っていた」と繰り返し語っているが、そういう面を強調するところから、幼いころより何一つ不自由せず、自らの鍛錬のために武術を学んでいた高等遊民(ニートともいう)の葉問(トニー)が北派の武術家たちと交わり、その交流も日中戦争で引き裂かれて、ついには住み慣れた土地をも追われていく。(いくら武術をたしなんでいても、ド兄さんの葉問のように豪快に日本兵を倒すなんてのは映画では許されても所詮夢物語だ。もちろん日本人的にだって本音を言えばそんなものは観たくないもの)このように、史実に比較的近いエピソードを重ねて描けば、必然的にああなるだろう。だから、思った以上に地味になるのはしょうがないのよ。
それなら、拳を合わせることで生まれる人と人との交流に視点がいくのにも納得である。
葉問と佛山の妓楼に潜む武術家たちとの手合せも、官能的な描写を褒め称えられる宮二こと若梅(ツーイー)との戦いも(ただ、あの描写には官能性はあってもセックスしてるとまでは思わなかったなあ。当然意見には個人差がありますよ)然り。宮二の父親で八卦掌の宗師、宮寶森(王慶祥)こそ、自らの意志を継ぐ人物として葉問を選んだ時、拳でなく思想で対峙したけど、あれもまた見えない拳闘であった。そして、クライマックスに訪れる宮二と、兄弟子であり父の仇でもある形意拳の使い手馬三(張㬜)との奉天北駅での対決にも、同じ師を持つ二人だからこその葛藤が見えるようである。爽快なカンフーではないので、止めは刺されないが、あれで十分復讐は果たされている。『るろうに剣心』の「不殺の誓い」と同じである。時代が変わってしまったから止めを刺さないのが正統的なのだ。
ただ、その拳を交流ではなく、修羅の道を行くために使っている例外が一人いる。それが八極拳の使い手の通称“一線天(字幕ではカミソリ)”だ。本編では葉問とはすれ違うことはなく、宮二と何度か遭遇するくらいではあるが、彼もまた時代に翻弄された武術家である。彼の目から見たもう一つの物語も確実に存在するはずだ。
このように、葉問を始めとした武術家たちの生き様をなぞってこの物語を見ると、いつもの王家衛らしくもないのか?と思われてしまうだろう。だけど、王家衛の真骨頂は終幕近くにふいに訪れる。香港で再会する葉問と宮二の姿は、まさに王家衛好きにはお馴染みのたたずまいを見せてくれる。特に宮二は奉天時代はほとんどノーメイクだっただけに、ルージュを引いて登場すると途端に艶やかになる。王家衛作品の恋愛模様は村上春樹ばりの反復(これが嫌いな人もいるだろうがね)が特徴ではあるのだけど、意外と控えめに感じた。それでも、過去作品を思い出させるには十分。
だからこれは、配給会社がしきりに推してたカンフー映画でもなく、甘っちょろくて不釣り合いなR&BをイメージソングにしてMV代わりにするような安い恋愛映画なのでもないのだ(プロモについてはここでも書いている)。最近の映画ファンはやたらとジャンルに固執する傾向があるようだが、予告を鵜呑みにして文句を言うのは野暮なもんだ。映画ファンを名乗るならもっとリテラシーを磨きなさい。そのためにDVDやBDで王家衛の過去作品があるわけだし、イップ・マンもワンチャイも観られるのだから、そっちも観てほしいし、ド兄さんとトニーは全くキャラの違う俳優であるってこともわかってほしいよ。
そんなわけで、とりあえず第一次感想はこんなところで。
今後、一代宗師関連はちょっとまとめたいので、今後も思い出したら別記事でどんどんアップしていきます。
どうしても語り足りないところがあるからね。
もちろん批判もそれなりにしていくので、アンチな方々にも納得していただければ幸いです。
原題:一代宗師
製作&脚本&監督:ウォン・カーウァイ 製作総指揮:ソン・ダイ チャン・イーチェン ミーガン・エリソン 武術指導&出演:ユエン・ウーピン 撮影:フィリップ・ル・スール 美術&衣装&編集:ウィリアム・チャン 音楽:梅林 茂&ナサニエル・メカリー
出演:トニー・レオン チャン・ツーイー チャン・チェン マックス・チャン ソン・ヘギョ チャオ・ベンシャン シャオ・シェンヤン チョイ・カムコン ワン・チンシアン
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