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《歳月神偸》(2009/香港)

 今までも何度かここで書いているが、ワタシはかの大ヒット映画『三丁目の夕日』が苦手である。
 確かに昭和30年代の高度経済成長期の東京をCGを駆使して再現し、そこで暮らす人々の暮らしをスケッチ風に描いたうまさは認めるのだが、どうしても好きになれないのは、ただ美しいばかりのルックに生活の匂いが感じられなかったり、(なにせこの時代に作られた邦画は未だにDVD等で観られるんだからね)公害や差別など、時代のマイナス面を一切払拭していることに違和感を覚えたりするからである。そして一番の原因は、ワタシがその時代に生まれていなかったから、あの時代への思い入れなんて何もないということにつきる。

 しかし、たとえ同じ時代であっても、それが香港となると話は別である。
だって、香港映画ではもう20年くらい前から、60年代の香港を舞台にした作品が多く作られてきたのだから。CGを使わなくても、中心地にはその時代の建物が存在するから、ロケにも使える。市内でロケができなくても、マカオやフィリピン、バンコクにはその面影を残した場所があるから、そこで撮ることができる(日本でも最近は、古い時代を舞台にしたドラマや映画を北九州などで撮っているし、ロケで使わなくても、わが街にも使えそうな建物があるよなあ。閑話休題)。内容的には「あの時代はよかった」みたいな懐古調の明るい面だけでなく、香港動乱やベトナム戦争など、重苦しい時代背景もしっかり描き出してくれる。そしてなにより、それらの時代を舞台にした映画たちが、香港映画のマスターピースとして支持されているから、住んだことのない、生まれてもいない時代の香港にも思いを寄せられるのである。…なーんて強引かしら?

 さて、メイベル・チャンさんのパートナーである脚本家のアレックス・ローさんが、自らの少年期をベースにして作り上げたこの《歳月神偸》は、先にも書いた通り、先日の金像奨では脚本賞・主演男優賞・新人賞・主題歌賞を得たばかりではなく、それに先立って出品されたベルリン映画祭ジェネレーション部門にて、子供たちによって「未来の観客賞」に選ばれている。60年代に少年期を過ごしたアレックスさんのような大人だけではなく、今を生きる子供たちにも支持を受けたというのはなんとも嬉しい限り、と30年前に子供だったワタシも思うのだった。

 1960年代、サムソイポー。小学生の進二(バズ・チョン)の家族は、頑固な靴職人のお父さん(ヤムヤム)、アバウトでお気楽なお母さん(サンドラ)、そして名門男子校に通うお兄ちゃんの進一(アーリフ・リー)の4人。進二はいたずらっ子で盗癖があり、学校でもいつも先生(アン・ホイさん!)に怒られてばかりだけど、歳の離れた進一とは仲がよく、夜は一緒に勉強をしていた。進一は学校でも一、二を競う脚の速さを誇る陸上選手で、進二はそんな兄を誇りに思っていた。
 進一は陸上競技会で自分を見つめていた女子高生と出会い、恋に落ちる。しかし彼女の家は大金持ちで、庶民である進一とは決定的に身分が違う。絶望した進一は競技会でも敗れ、ボロボロになってしまう。そんな兄が気がかりな進二は、元気を出してもらいたいあまりに、ユニオンジャックやマリア像など、いろいろなものを盗んでしまう。
 ある秋の日、町を台風が襲う。吹き荒れる大風の中、両親は必死に家を守る。大風は激しく靴屋の木造家屋にぶち当たり、進二は2階に取り残されてしまう。お父さんが彼を救った直後、嵐は家屋を破壊し、沢山の靴が吹き飛ばされてしまった。さらに台風一過の翌日、後始末をしていた進一が突如めまいを起こして倒れこむ。彼を病院に運び込んだ両親は、医者から悲劇的な宣告を受ける。それは、進一が白血病を発症していて、余命わずかであるということだった―。

 映画の冒頭は、店から万引きしたガラスの金魚鉢を頭にかぶった進二が、ガラス越しに街を眺める姿。その風景は揺らめいていて、まさに幻想のよう。
 アレックスさん自身がモデルとなっている(実際に彼も16歳くらいで亡くなってしまったお兄さんがいるらしい)進二の眼から大部分の物語が進んでいくこともあってか、時代の背景には大きな動乱は感じられない。香港の街もこの年代は激しい騒乱で満ちあふれていたのだろうが、そうであっても大多数の庶民の生活にはその影響は見えず、至って穏やかなくらしをしていたのだろうと思わせる。 
 怒ると怖いけど頼もしいお父さん、おおらかでいい加減なお母さん、カッコよくてヒーローみたいなお兄ちゃん。進二の家族は、往年の日本にも観られるような平凡な家族だ。家族だけじゃなくて、近所の皆さんも賑やかだ。こんな環境の中、兄弟は健やかに育っていく。こういう暮らし、日本でももちろんあったのだろうし、それはもう失われてしまっている。でも、海を隔てた中華圏の街でも、かつての時期の日本と同じような庶民の生活があったのだから、どこかデジャブを覚えるのかもしれない。 

 この映画にあって『三丁目の夕日』にないもの。それは、後者がほとんどCGで当時の風景を再現しているのに対して、前者は多少のCGを使いながらも、一部にちゃんと現存する街の風景を使っていることである。しかも郊外ではなく、正真正銘、中環のど真ん中にある永利街である。
 いろいろな香港系blogでも触れられてきているが、近年、香港では50年~60年代に建てられた団地街や唐楼の老朽化にともない、昔ながらの住居地区や商業地区の大規模な再開発が計画され、実際に着手されている。九龍では初期に作られた団地街である牛頭角の再開発地域に指定され、屋台街や昔ながらの茶餐庁もなくなってしまったし、その隣の地区である観塘(我がお気に入りの下町でもある)にも、再開発計画がある。港島でも、湾仔で唐楼を連ねていた地区が簡単になくなってしまっている。それに危機を感じている住民が、数年前からこれらの地区を保存させようと活動を起こし、湾仔でも唐楼の一部がリノベートされて残されたりしている。
 ロケに使われた永利街も、ソーホーの真ん中に取り残されたように残った、古い2~3階建ての家屋が集まる地区だったが、ここも当初は再開発地域に指定されていたと言う。だが、この映画のロケに使われたことと保存運動の成果があって、建物の保存が正式に決まったという。

 絶えずスクラップ&ビルドが進行し、あっという間に新しい建物ができてしまう香港。時の流れ以上に疾走するこの街では、今自分たちのかつての生活史を振り返り、保存できるものを残そうという動きが出てきている。それは、効率と儲けだけで突っ走り、激動の世界をサバイブしてきたこの街が、中国への返還を経て、通過点ではなく改めて自分たちの故郷としての立ち位置をはっきりさせなければいけないという思いを人々が抱いたからなのだろうか、という気がしてならない。こんな社会的意図はないのかもしれないけど、アレックスさんが自らの思い出を映像に再現したのにも、それとは決して無関係じゃないのかも。

 主演男優賞こそヤムヤムが受賞したけど、実質上の主人公は彼の息子たち。やんちゃでよく泣く進二ことバズくん、名前からしてちょっとインドの血が入っていそうな、やや濃いめの若手イケメンのアーリフくん(進一)、どちらも好演。アーリフくんは、80年代にレスリーやダニーさんが出演していた青春映画に登場しそうな風貌なので、なおさら映画にフィットしていたのかもね。
 サンドラはいつもよりかなり抑え目で、先生役のアン・ホイさん(ウィッグかぶってたね)やヴィンセント・コックさん(だったと思う)の近所のおじさん、なんだかうさんくさいマイケル・ウォン(だよね?)の警官など、脇のメンツもいい感じ。

 そこに生まれ、過ごしたわけじゃないのに、懐かしさを感じさせられ、子供の頃を思い出したくなる。そういう気持ちを呼び起こされた時点で、この映画はもう成功した。昭和30年代東京ものが苦手でも、同年代の香港には郷愁を感じる。
 …それって、やっぱりおかしいこと?ごめんなさいね、ホント(笑)。
 
英題:Echoes of the rainbow
監督&脚本:アレックス・ロー 製作:メイベル・チャン
出演:サイモン・ヤム サンドラ・ン バズ・チョン アーリフ・リー

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