香港映画フォーラムにて、王晶、セシリア、そして野崎先生大いに語る。(その1)
10月17日、雨の六本木ヒルズ。21日から始まる東京国際映画祭に先駆けて、ワタシはこの地にやって来た。目的は、もはや大いなる謎ではなくなった、「香港―日本交流年2005香港映画祭」の開幕イベント、「香港映画フォーラム」に参加するためだ。同じく昨日から関東入りしているnancixさんと待ち合わせ、会場のアカデミーヒルズを下見し(二人で会場を思いっきり間違えるというハプニングがあった)、そのほかの皆さんと待ち合わせて、お昼を共にした。
今回のシンポジウムのテーマは「香港映画の特色とアジアや世界の映画産業における重要性」。
先に行かれた方に席を確保してもらったら、なんと真正面。えー、ワタシが王晶の正面でいいのか?なんか言われたらどーしよう(言われないって)…などと思いつつ、パネラーの王晶、セシリア、そして野崎先生の登場を待つ。王晶さんはカンフースーツ(香港映画人の盛装か?)、セシリアは真っ赤なアディダスのコート(野崎先生曰く『旺角黒夜』を彷彿とさせる、と)にパンツ、そして野崎先生も盛装(もちろんね)。
以下、ワタシができる範囲でメモった内容の要旨です。他のblogの方と違ったらすみません。
まずは王晶の言葉(前半部分)から。
ワタシはいつも人々が一番観たいと思う作品を作っている。
最近の香港映画人の話題は、いったいどうすれば香港映画を救えるか?ということであり、複数の会社が合作したり、ビッグスターを集めたり…などという提案もされている。それらについては賛否両論だ。
ワタシ自身の考えとしては、現在の香港は70年代の日本と似ていると思う。つまり社会が変わってきているのだ。それならば、映画だって変わらなければいけない。香港映画は退潮というが、ワタシは全くそうは思わないのだ。香港映画が一番輝いていたのは70年代から90年代にかけてだ。特にこの頃、香港映画の上客は台湾のマーケットであった。しかし、台湾では90年代半ばからテレビ映画チャンネルが増加し、そこでは劇場未上映や終わったばかりの作品をすぐ放映してしまうので、人々は劇場に行かずに、テレビで観てしまうようになった。さらに96年あたりから海賊盤VCDも問題化してきた。
現在は中国大陸のマーケットが台頭してきているが、香港映画に対しての審査基準が厳しい。いかに中国マーケットに入れるか?というのが今後の課題か。ワタシはコメディをたくさん作りつづけてきたが、もともとは映画みたいな人間じゃない。コメディを作ることは大変なんだよ。
いま、一般的には「芸術的な映画はいいよ」という刷り込みができてしまった。「王家衛になりたい」と願う人間はいるけど、王晶にはなりたくないって言う。
だいたい娯楽映画と芸術映画の割合は8対2か7対3かな。肉と野菜の割合みたいなものだ。フランスでもそのくらいか(このあたりうろ覚え)。
映画復権の鍵(多分こんな意味だった)はどのくらい商業的な映画を作れるかにかかってくる。
ワタシは80年代のショウブラザーズの頃からずっと香港映画を見てきた。こんな長い間香港映画の現場に携わってきたのは、ワタシとジョン・ウーくらいじゃないかな。
とりあえず、今日はこんな感じで。次はセシリアの言葉(前半部分)をまとめますわ。何か書き落としているところや違うところありましたら、コメントにてご指摘くださいませ。すみませぬ。
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