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楽園の瑕(1994/香港)

仏典に曰く「旗なびかず 風なし。揺らぐは人の心なり」

王家衛が初めて手がけた武侠片『楽園の瑕』の冒頭を飾る、この言葉。これにはいろいろな思いがあるが、この映画の感想を書く前の時点でとりあえずこうつっこんでみる。
「そうだね、ワタシの心も揺れてるし、この映画の登場人物の心はみんな揺れている。そして製作当時はこの映画を作ったスタッフの心もみーんな揺れてたんじゃないの?はたしてこの映画が無事にできるかどーかで(爆)」

江湖に名を馳せた二人の剣士、東邪こと黄薬師(カーファイ)と西毒こと歐陽峰(レスリー)。この二人は若い頃、親交を暖めた友人同士だった。峰は砂漠に小屋を建て、殺しの依頼を聞いては刺客を働かせる元締めの仕事をしており、年に一度、黄が彼を訪ねてくる。寡黙で堅実な峰に対して、黄は国中を放浪しては何人もの女性に手を出して生きているという、何から何まで対照的な二人だ。
ある日、峰のもとに美貌の剣士・慕容燕(ブリジット)がやって来る。彼は自分の妹・媛(ブリジット)にひどい仕打ちをした黄を殺してほしいと峰に頼む。しかし別の日、媛がやってきて、黄と自分の仲を裂こうとする兄を殺してほしいと依頼した。黄の性格を知っている峰は、燕と媛が実は同一人物で、彼女を愛した黄が別の女性に走った嫉妬と怒りで二つの人格を生じてしまったことに気づく。数日後の夜、峰は何者かが自分の身体を愛撫するのを感じる。それは燕/媛の黄を求める激しい思いの末に起こした行為であった。その夜から、この兄妹は姿を消した。数年後、彼女は「独孤求敗」と名乗り、剣士として江湖に名前を轟かせる。
砂漠では馬賊が人々の生活を脅かしていた。峰のもとを卵を持った貧しい少女(チャーリー)がやってきて、弟の仇を依頼する。その頃、故郷の桃花島に帰る途中の剣士(トニー)が峰を訪ね、帰還の資金稼ぎにと馬賊を退治する刺客の仕事を得る。剣士は視力を失いつつあったが、剣に関しては凄腕の持ち主だった。彼は故郷に暮らす妻(カリーナ)を愛していたが、妻が別の男を愛した怒りで出奔し、各地を放浪していたのだ。彼女が愛した別の男とは、やはり剣士の親友であった黄だった。
夜明け前、馬賊がやって来た。ほとんど視力を失った剣士は、夜明けの光を頼りに、襲い掛かる馬賊たちを次々に斬り続ける。しかし、一瞬の隙を突かれて首を斬られ、剣士は故郷に帰る願いもかなえられず絶命した。
峰の元に仕事を求めて別の男がやって来た。その男の名は洪七(學友)。故郷から出てきたばかりで野心に燃えるこの若者を峰は気に入らなかったが、盲目の剣士の後釜として馬賊退治の仕事を与えた。彼は馬賊相手に奮闘し、見事に馬賊たちを全滅させる。実は洪七には妻がおり、夫を追いかけて峰の小屋にやってくるが、江湖に名を揚げ、金を儲けたい彼は妻に冷たくする。やがて洪七は村にたまっていた剣士に右手の人指し指を切られてしまったが、何かを決意し、妻と共に峰のもとを去る。洪七は後に「北夷」と名を変えて、西毒と対決することになるという。
雨の降る日、峰はかつて愛した唯一の女性(マギー)のことを思う。彼女もまた自分のことを愛してくれたが、彼の想いには答えず、兄の嫁となってしまった。その衝撃で、結婚式の前夜、峰は兄嫁を襲ってしまい、故郷の白駝山を去った。その出来事から数年後、彼女と親しい仲になった黄は、兄嫁から峰と結婚しなかった理由を聞いた。彼女が峰から欲しかったのは、「愛している」という言葉だったのだ。まもなく彼女は他界し、死ぬ前にそれを飲めば思い出を忘れるという酒「酔生夢死」を黄に託す。二年後、黄はそれを峰のもとに持っていき、自ら飲んだ後、消息を絶った。
峰は故郷からの便りで兄嫁の死を知る。兄嫁のことを忘れたくなった彼は黄の持ってきた「酔生夢死」を飲んだが、その酒はただの酒であった。そして、峰はあることを悟る。
翌年、峰は小屋を燃やし、故郷へ帰って「西の覇王」こと西毒と呼ばれる剣士となった。
その後の江湖。かつて黄薬師だった東邪、二つの人格を持った女性だった独孤求敗、九本指の剣士北夷、そして西毒がそれぞれに名を揚げ、やがては対決する運命が彼らを待ち受けていた…。

これは金庸の小説『射鵰英雄伝』を原作に…というより、小説の登場人物の老剣士、東邪と西毒を主人公にして、彼らが愛に悩んだ果てに修羅の道を行くことを決心するまでに至る姿を創作したという、ある意味思いっきりマニアックな映画だ。金庸は中華圏では大人気の時代劇作家で、大陸でも台湾でももちろん香港でも誰もが読んだことがあったりTVドラマで作品に触れているから、ある程度「なぜこうなのか」がわかるのだろう。でも、金庸作品はもちろん、中華武侠小説など全く知らない日本人や欧米人には、この作品をわかった気になって観ることはできないだろう。だってその世界は中華武侠世界を知らない人間にはすでに想像を超えた世界になっているから、なんで剣術が超能力よ!なんで男装の剣士が出るよ!なんでこーなるよ!などとついつい立ち止まってしまいそうだからだ。
かくいうワタシも、9年前にこの映画を銀座の某映画館で初めて観た時には、ストーリー展開の飛躍についていけず、うーん、雰囲気とか映像は嫌いじゃないけど、嫌いな人はとことん嫌う映画だろうなー、という感想を持った。…確かにこの映画、好きな人はとことんハマる映画であったが、嫌いな人には徹底的に嫌われる映画。それは香港上映当時に途中退場者が続出したとか、王晶の《珠光寶気》でこの映画をいじくりまくったとかいう“伝説”でもわかる。もっとも、『楽園の瑕』が打ち立てた最大の“王家衛伝説”は、映画製作に異常に時間がかかるということだと思うが、企画から公開まで2年かかったこの映画を『2046』が越えるとは思わなかったよ、ホント。
今回は多分4回目(だけど観たのは実に7年ぶりくらい)の鑑賞になるんだが、ちゃーんと観ていったらやっと話がわかった。なーんだ、これって結構単純な話なんじゃないか、なんていう結論に落ち着いたりして(大笑)。

江湖の世界で切ったはったを繰り広げる剣士たちも、恋に思い悩む一人の人間である、という考えは金庸の小説を読んでいれば容易に理解できる。王家衛もまた武侠小説の熱心な愛読者であったんじゃないかなと思うのだが(『花様年華』でも『2046』でも、トニーやマギーやフェイが武侠小説を執筆してたからね)、その武侠小説の世界に彼の独自の愛の美学を持ちこむとこうなる、といういい見本である、この映画は(笑)。でも、当時の中華圏の武侠映画ブームの興亡を考えたら、あと1年半完成が早かったらよかったのかもしれないねー、なんてつい意地悪を言ってしまう。ついでに日本でもうすこし金庸小説や武侠映画が知られた頃に公開されたらよかったのに、なんてどーでもいいことを思う。ま、それはしょうがないことである。
この映画のイメージポスターが『欲望の翼』のセルフパロディとして作られたのは有名な話だが、この映画を『欲望』と比較させると、かの映画でレスリーが演じた旭仔の性格を受け継いだのが黄薬師に思える。製作当初、レスリーが東邪(冒頭とラストに登場する蓬髪のレスリーのショットは東邪を意識したショットだって聞いたけど…)でトニーが西毒というキャスティングだったらしいと聞くと、王家衛はこの映画を『続・欲望の翼』にしたかったのだろうか、なんて思う。1992年に製作が開始されたものの、諸事情で製作が中断、映画公開のスケジュールを押さえていたのにもかかわらずブツが出来上がらないのに困った製作のジェフ・ラウが、まだ降板していなかったジョイ・ウォンも含めたこのキャストをそのまま生かして代打作品とした『大英雄』に、当初のキャスティングが生きていたことを考えたら、この映画でレスリーの東邪&トニーの西毒は是非観てみたかったものだ…。ま、のちにこの二人は最後の共演作品となる『ブエノスアイレス』にて直接対決することになるんだけど…。

愛を求めて何人もの女性に手を出す黄薬師。兄嫁一筋に愛してきたのにもかかわらず、彼女の求めに答えられなかった歐陽峰。夫と黄に愛され、黄を選んでしまった桃花。妻である彼女を心から愛していたものの、その変心が許せなかった盲目の剣士。黄を深く愛するあまり、彼の裏切りの衝撃で二つの人格に引き裂かれた慕容燕/媛。単純だが純粋な洪七とそれ故に彼を愛する妻。死んだ弟の仇を討ちたいがために待ち続ける少女。それぞれの求める愛の方向は『欲望の翼』と同様にベクトルは違い、洪七夫妻と少女を除いて全ては修羅の道へと突入していく。まるで人を愛することは、江湖にて次々と降りかかる試練を乗り越え、人を倒していくのと同じようではないか、と言っているかの如く(あ、これは気取りすぎか)。その思いが冒頭の「旗なびかず 風なし。揺らぐは人の心なり」に象徴されるのかもしれない。
または、「誰かに拒絶される前に自分から拒絶すること」とか「何かを捨て去る時にはその思い出を強く心に刻みつけよ」という言葉にも。この二つの言葉は、前者はこの作品以降の王家衛作品にも通じるところがあるし、後者はこの世から去っていってしまった人(もちろん、レスリーだ…)を想う時に感じる切なさを具体的に表現しているし、『2046』で周慕雲がなんとなく考える想いにも通じてくる。ま、やっぱり王家衛はいつでも確固たる(というか普遍/不変の)テーマで映画作りをしているんだなーと感じる1本であった。そう思うと、この映画もまたいとしい映画に感じるのであった。いや、つっこもうと思えばいっぱいつっこめるけどさ。それは『大英雄』の時に一緒にやりましょうか(笑)。

最後に、これまだ個人的かつ蛇足的な話題をひとつ。興味のない人は以下スルーしてください:

ワタシはこの「旗なびかず 風なし。揺らぐは人の心なり」という言葉を、あまりにも意外な場所で発見して動揺したことがある。昔、本館のコラムでも書いたのだが改めてここでも。
宮城県出身でワタシの好きな萬画家、石ノ森(石森)章太郎氏(参考としてこのblogで書いたファイズ劇場版の感想を)の記念館「石ノ森章太郎ふるさと記念館」(宮城県登米市)を訪ねた時、展示されていた板に描かれたイラストにこの言葉が添えられていたのだ。さらに「金庸 東邪西毒より」という但し書きも添えられた同じ言葉が書かれた色紙も発見。思いっきり驚いた。件の板絵は1997年に療養のため秋田の温泉に籠もった時に描かれたものだという。石ノ森氏が亡くなられたのは1998年1月だから、1996年秋に公開されたこの映画もなんとか確実に観ていたのだろう。そして、もしかしたらこの映画を気に入っていたのかもしれないし、理解していたのかもしれない。描いた本人はもうこの世にいないから直接話は聞けないけど、彼がこの映画が好きだったんじゃないかと思うと、それはそれで嬉しいものだと実感するのだ。

なんか、しんみりした終わり方をしてしまったなぁ…。ともかく以上。

原題(英題):東邪西毒(Ashes of time)
監督&脚本:ウォン・カーウァイ 原作:金庸『射鵰英雄伝』 撮影:クリストファー・ドイル 衣裳&編集:ウィリアム・チャン アクション指導:サモ・ハン・キンポー
出演:レスリー・チャン レオン・カーファイ ブリジット・リン カリーナ・ラウ トニー・レオン チャーリー・ヤン ジャッキー・チョン マギー・チャン 

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受信: 2005.05.17 12:16

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