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『世紀末の華やぎ』朱天文

昨日に引き続き中華本の感想。かなり前に読んだものだけど、いろいろな思い入れがあってなかなか感想が書けなかったのよね…。

『世紀末の華やぎ』朱天文(アジア女流作家シリーズ第四巻/紀伊国屋書店)

著者の朱天文といえば、すぐ思い出すのはホウちゃんこと候孝賢作品のほとんどを担当した脚本家ということかな。多分、最新作の『珈琲時光』も彼女の筆によるものだと思う。(脚本を固定しないで撮ったそうですがプロットを作ったのかな?)この本は、ホウちゃんによって1988年に映画化された『ナイルの娘』の原作を含んだ5編が収められた短編集。

 台北郊外に住む気功の老先生が主人公の『柴師父』、日本の大河少女マンガ『王家の紋章』のような恋に憧れる少女が日常を語る『ナイルの娘』、(当時の)最新ファッションや流行の分析を交えながら台北で自由奔放に生きる女性の姿を描く表題作『世紀末の華やぎ』、長らく新作を発表していない人気作家の目の前に、かつて彼が関係を持っていた女性の義弟が現れ、彼女の死を告げたことで作家はその記憶を蘇らせるという『昔日の夢』、そしてカラオケ、選挙、ママさんエアロビなど賑やかな台湾の市井の人々の日常を綴った『赤いバラが呼んでいる』の5作。
 『世紀末の華やぎ』と『ナイルの娘』は確か台湾留学していた頃、原書を買って読んだ記憶がある。この当時の朱天文さんの最新作だったような気がする。ワタシは90年代初頭に留学したので、その頃に見たり聞いたりした固有名詞がいろいろと登場してきて懐かしかった。
 実は、台湾は90年代初めの頃まで、公の場で日本語が禁止されていた。90年代後半の台湾における日本ブーム(哈日族)を経た今、現在の台湾の姿しか知らない人々に「アタシが留学していた頃、台湾では大っぴらに日本語使えなかったんだぞー」と言うと思いっきり驚かれたものだったが、公共電波で日本語が乗らなくても、海賊版で日本のCDやマンガ(台詞は翻訳されていた)が輸入されていたので、台湾にいながらにして日本の情報を何週間遅れで入手できた。87年に戒厳令は解除されたものの、中国とは臨戦体勢にあった当時、国際社会的に孤立していて著作権法もほとんど存在しなかった(92年に制定され、公共電波での日本語使用も可能となった。日本映画もオリジナルのまま封切られるようになった)ため、台湾の皆さんも同じように日本を楽しんでいたのだ。特に、『ナイルの娘』のヒロイン林暁陽(リン・シャオヤン)や『世紀末の華やぎ』のヒロイン・ミアはワタシたちと同じ戦後生まれで、子供の頃から日本文化に親しんでいた世代だ。
 シャオヤンはチンピラときったはったのやりとりをする兄(映画ではカオ・ジエが演じていたとか)の世界を覗き見、兄の友人に憧れ、彼を『王家の紋章』のメンフィスと重ねてロマンスに浸る。極道な現実と空想を往復しながらも、決して空想に行きっぱなしにはならない。ミアの独白はバブルに浮かれていた頃の日本女性にも通じる。台湾関係の固有名詞を日本のものに置き換えれば、長野県知事の代表作か?なんて思ってしまうような小説だ。(ちなみにこの小説にはあの阿部寛がミアたちのアイドルとして紹介されるけど、実際当時の台湾では阿部寛の人気はトップクラスだった。んーステキだ。今の阿部ちゃんを考えても。笑)この二人のヒロインの周囲を囲むものは、まさに80年代末期から90年代初期の台湾の空気だ。現実はへヴィとわかりつつも夢見がちで、流行のファッションを追っかけて自由奔放で、でもどこか不自由という印象を、同時代の台湾でワタシも感じたのだった。

 朱天文さんの作品はこの短編集の他、『冬冬の夏休み』の原作と『世紀末の華やぎ』の別翻訳版『世紀末的華麗』も収録された『安安の夏休み』も筑摩書房から発行されていたけど、残念ながらこちらは絶版。この短編集自体も店頭の在庫のみになってしまっているというので、このまとまりに欠ける感想文を読んで興味を持たれた方は公共図書館等に当たってみてくださいませ。

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