« 『狼たちの絆』(1991/香港) | トップページ | 香港電影迷女子の作られ方。 »

『さらば、わが愛・覇王別姫』(1993/香港=中国)

 昨年の4月1日、レスリー・チャンが死んでしまった。今夜、彼を偲び、久々に観直した。

 実はこの映画、カンヌでパルムドールを受賞したと聞いた時にチェックしていたのにもかかわらず、初見はTV初放映された96年の大晦日だった。日本公開時にはすでに学生ではなかったけど、もし学生時代にこの映画に出逢っていたら、ものすごくのめりこみ過ぎて卒論の題材にもしたことだろう。
京劇に生き、愛し合い憎みあった3人の男女の運命と、激動の20世紀中国近現代史を巧みにクロスオーバーさせた中華映画史、いや世界の映画史に名を残す名作となったのが、この『覇王別姫』である。そして『狼たちの絆』を最後に香港芸能界から姿を消したと思っていたレスリーの名をこの作品で再び耳にし、その名を世界に知らしめた彼の代表作となった映画でもある。

 娼婦の母艶紅(『大地の子』では陸一心の妻役だったチアン・ウェンリー)によって京劇養成所に入れられた小豆子。自分を気遣ってくれる生(男役)の小石頭を慕い、旦(女役)として厳しい訓練を受けて、才能を開花させていく。二人は成長し、名旦の程蝶衣(レスリー)、名生の段小樓(チャン・フォンイー)として名声を浴びる。蝶衣の小樓への思いは愛に変わっていったが、その思いもかなわず小樓は娼館の女菊仙(コン・リー)と結婚する。旦の魅力を知り尽くした京劇界の実力者袁四爺(クォ・ヨウ。この後『活きる』でアジア人初のカンヌ映画祭最優秀男優賞受賞)に崇拝されても、コンビ解消を宣言しても、蝶衣は小樓を愛しつづけ、彼の危機には名誉挽回に奔走する。
 盧溝橋事件、日本軍による北京占領、中華人民共和国の誕生、そして文化大革命…。時代が動くたびに、蝶衣、小樓、菊仙の運命は激変する…。

 チェン・カイコーといえば学生時代に観た『黄色い大地』が衝撃的だった。タイトル通りの荒野にたたずむ解放軍(だった気がする)青年と、その大地に生きる少女の恋と別れ。その素朴で荒削りな印象があったため、まさかこういう映画を撮る人だったのかとはぜんぜん知らなかったのだ。香港&台湾資本で撮ったものの、これはやっぱり中国映画だ。徹頭徹尾エンターテインメントでありながら、社会的題材も取り入れられている。そしてアート映画として観ても完成度が高い。この映画がカイコーの到達点だと思ったものだ。(これ以降、ハリウッド進出を挟みつつ『北京ヴァイオリン』直前まで迷走してたよな、カイコー)
 この映画の成功要件は、やはりレスリーの華麗なるチャレンジにつきる。アタマのてっぺんから脚の先まで項羽を愛しつづける虞姫であり続けた“京劇馬鹿(わーゴメン!こんな書き方で!!)”蝶衣。幼い頃から「16で尼僧になった、ワタシは女、男ではない…」と歌い続けた彼の人生には京劇しかなく、その京劇への思いの先には小樓があった。しかし、どんなに項羽を愛しても、所詮は偽の女であり、小樓の子を宿す(後に流産)菊仙にはかなわない。この映画のパンフに掲載されたNYタイムズの批評には彼を称して「下衆な女」とあったけど、常識的に考えれば(てゆーかフツーのアメリカ人的なら)的を得た表現かもしれない。たとえ「偽者」で「下衆」な女で自惚れやと言われても、小樓を愛する気持ちは偽ではないだろう。菊仙も女であることで蝶衣より自分が優位にあると思いながらも、彼の気持ちは自分と対等、いやそれ以上であると認めていたのだろう。菊仙といえば、欧米では彼女に感情移入する見方が主だったらしい。でも日本やアジア圏では、蝶衣に感情移入する見方が主かな。そう考えると菊仙がかなーりビッチな女に見えるんだけど、当のコン・リーもそのつもりで演じてたんじゃないかな。とにかく、ワタシたちの価値観に揺さぶりをかけ、愛と京劇に生きて愛に殉じた“オム・ファタール”の蝶衣を演じたレスリーは見事だった。彼と比べちゃうと、小樓役のチャン・フォンイーのスケールがちょっとなぁ…なんて思っちゃうんだけど、そこは目をつぶるか。

 20世紀初期から70年代まで、「四面楚歌」の故事の由来になったことでも有名な史記の『覇王別姫』を演じつづける蝶衣と小樓だが、京劇の外で起こる出来事や彼らの劇を観に来る人々の様相はどんどん変わっていく。熱狂的な街のファンたちで埋め尽くされた観客席にはやがて、日本軍、国民党兵が埋め尽くし、共和国成立後は古典劇ではなく革命劇を望む人民解放軍が彼らにブーイングを飛ばす。そして迎える文化大革命。二人が育てた愛弟子の小四(日本映画『北京的西瓜』にも出演していたレイ・ハン)が彼らを告発し、吊るし上げる。そして、菊仙も含めた3人の関係がここで破滅を迎える…。歴史の中で突如暴発する狂気が人間を破壊し、煌びやかな芸術や文化をたちまちに否定する。この現象は文革時の中国だけとは限らないだろう。文化をおろそかにすると豊かな人間性は衰退する。ついついそんなことを考えながら、あまりにも痛すぎるこの場面を見てしまうのであった。

 レスリーのフィルモグラフィ全体を振り返ってみれば、この蝶衣役は『欲望の翼』とともに転換点となった役だろう。蝶衣は異色にして複雑な役どころだが、今思えば彼にしか演じられない役だった。そして、昨年の今日、全世界を駆けめぐった彼の悲報に、劇中での蝶衣の最期を重ね合わせてしまったファンも少なくなかっただろう。

 歌と映画に生き、最後まで“明星”であり続け、香港の空に消えてしまったレスリー・チャンに、合掌…。

英題:Farewell to my concubine
監督:チェン・カイコー(陳凱歌) 原作&脚本:リリアン・リー(李碧華) 撮影:クー・チャンウェイ(顧長衛) 音楽:チャオ・チーピン(趙季平)
出演:レスリー・チャン(張國榮) チャン・フォンイー(張豊毅) コン・リー(鞏 俐)  クォ・ヨウ(葛 優) レイ・ハン(雷 漢) デヴィッド・ウー(呉大維) 

| |

« 『狼たちの絆』(1991/香港) | トップページ | 香港電影迷女子の作られ方。 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

中国映画」カテゴリの記事

香港映画」カテゴリの記事

コメント

このエントリーにはトラックバック欄がないのでコメント欄で失礼させていただきます。

投稿: 趣味の問題2 | 2004.04.07 04:15

趣味の問題2のrungさま

そちらの感想、見に行きました。紹介ありがとうございます。本館との連携や諸事情につき映画や本の感想や旅行記にはコメントのみの受付としてましたので、トラバができなかったのは申し訳ありませんでした。今後はトラバできる方向で考えてみますね。

投稿: もとはし | 2004.04.08 00:05

そうですねぇ。Blogの固定リンクを自サイト内で流用なさってるといろいろ大変とは存じますが、日本だけでもBlogユーザー現在公称20万サイトだそうですので、トラックバックを解放なさる決断時かもしれないです。

投稿: 趣味の問題2 | 2004.04.08 02:43

すごく詳しいですね!
色々な映画作品とリンクさせて、
とても参考になりました。
ありがとうございました。

投稿: Ixion | 2005.06.22 03:20

Ixionさま、はじめまして。
blog初期の感想にはTBを外しているので、ご迷惑をおかけしております。
そちらの感想も拝見いたしました。
京劇や時代背景からの考察も深く、隅から隅までじっくりと読ませていただきました。
この映画はいろいろな切り口から観ることができますよね。

投稿: もとはし | 2005.06.22 22:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『狼たちの絆』(1991/香港) | トップページ | 香港電影迷女子の作られ方。 »