春光乍洩九龍縦横記(その4)
3月28日(金)
起床して気づいたのは、朝なのに暗いこと。香港の日の出は日本より少し遅いと感じているのだが、晴天だった先の2日とは明らかに違う。若者女子たちは今日も皆寝ていて、人によっては8時まで寝ているくらいだから、毎日夜遊びしているのだろうかなどと思いながら寝不足なのに早く起きてしまう高年女子である(自分で書いててアホっぽいと思うが気にするな)
バスタオル共々、前日分の衣類を洗濯機にかけ、ランドリー隣接のキッチンの冷蔵庫から前日入れた叉焼雞扒飯のパックを出し、電子レンジで温めた。パックはジップロックコンテナより少し薄いくらいのプラスチックだったので、容器ごと温められたのは有難かった(実は出先の餐廳で食事もお菓子も食べ残すかもしれないと思って、外出時には日本から持ってきたコンテナを持ち歩いていたのだが、ほとんど使わなかった)
台湾でもよく使われるジャスミンライスは、冷えると美味しくないけど、温めると食感が復活して美味しい。出来立てじゃないけど、肉の触感もいい具合。このお米を食べて、香港や台湾に来たと実感できる。
この日は実質最終日。
もしかして雨が降るかもしれないので、午前中から昼は近場から回って、雨に当たらないように街中メインの移動にした。まずはホステルの裏にあるガーデンヒルを攻略。
ホステルの前に立つ香港を代表するベーカリー、嘉頓(ガーデンベーカリー)の本社ビルを初めて見た時は感動した。その名の由来が、後ろに控える嘉頓山(ガーデンヒル)であったことを今さらながら知ったので、諸々の施設が開く前に踏破してみた。といっても標高は大したことはない。
丘の途中から見る美荷樓。H型の建物がユースホステルのHにもMei HoのHにも見える
屋上はちょっとした公園になってる
下山するとちょうど10時。泊まっていながらこれまでなかなか見る時間がなかった美荷樓生活館が開館していたので見学。もともとは団地だったこの建物は、50年代の石硤尾の大火事を受けて被災者を収容する目的で建てられたといい、広東省から移民したジョン・ウー監督が少年〜青年期を過ごし『桃さんのしあわせ』の桃姐もここで過ごしたという設定を原案のロジャー・リーさんが明かしているとか。
50年代から80年代くらいまでの暮らしが展示されている。九龍の東側の生活は九龍城砦展で体験したが、同時期の西九龍の様子もよくわかる。2000年に入って、牛頭角や観塘などにある古い団地群が解体されて再開発され、フォトスポットにもなっている彩虹の団地もそろそろ取り壊しの話もあるという。返還前後は「借り住まいの地」と呼ばれていた香港だが、返還10年を過ぎたあたりから団地や地域の再開発を機に古いものを残そうとする運動やそれにまつわる思い出を残す試みが目立っている。借り物から故郷へと香港のアイデンティティが変わっていることを改めて強く意識した。
ウーさんのコメント
こちらはロジャー・リー氏のコメント
続いてMTRで旺角へ向かう。インスタで見かけてチェックしていたレスリー・チャンのアルバム『為妳鐘情』発売40周年の記念展示が行われるというインテリアショップGiormaniを訪問。春休みに香港へ行くとレスリー関連イベントがいつも行われているが、日程がこちらのスケジュールと合わないことが多くて、これまではなかなか足を運べなかったし、数日後は彼の命日…と考えるとどうしても切なくなるのであった。でも九龍城砦でも80年代のアイコンとしてレスリーの「Monica」が使われるので、今年のイベントは気軽に行けそうかも、と早速行ってみた。そしたら気合を入れすぎて開店15分前に着いてしまった。なぜだ、熱烈なファンじゃないはずなのに。しかもコーナーに入れるようになっても設営はまだ続いている。これは香港では別に珍しいことではないが、私が初日一番乗り客で本当にいいのか?と自問自答しながらライヴのパネルやアナログレコード展示をじっくりと見た。2000年の春に北京(だったと思う)で開催されたライヴの映像も流れていて、新旧取り混ぜた曲の数々に聴き入った。この後のワールドツアーの東京ライヴに行った時のことも思い出したなあ…
展示を楽しみ、係の人に撮影してもらってただのレスリーファンと化した後は一息つきたくなってショップ付属のカフェでホットの正山小種を飲んでしばし休息。ああ、この旅で初めて温かい無糖の飲み物を飲んだよ…
外に出ると予報が変わったようですっかり晴天。この天気なら遠出できる!と思いつき、まずは資金の両替の為に尖沙咀の重慶大廈へ。残していた日本円を両替したら2日前より円安が進んでいて寂しい金額になっておりタメイキ。しかし、以前弟から20年以上前の中国留学中に使っていたという人民元をもらっていて、両替できるかもしれないと持ってきていたのを思い出したので、一番高額の100元札を2枚出したら受け取ってもらえ、なんと200元が212ドルになって返ってきた。人民元の強さを改めて思い知った(こらこら)
そこから歩いて半島先端にあるK11 MUSEAへ行き、映画館のアートハウスで座席予約をして、再び啓徳へ。AIRSIDEの城砦展に再び行き、ショップでお土産としてグッズを購入。見たら実景写真集が入荷していたのだけど、この先の遠出で持って歩くのはきついし、誠品書店や油麻地のKubrickで購入できるかと思ってその場では購入せず。屯馬線から観塘線に乗り換え、車窓から懐かしき裕民坊の跡地を眺めて悲しくなりながら、数駅先の油塘で下車。そこから海沿いにある茶果嶺道を北方向から逆に歩いた。
今では東九龍もMTRが開通して便利になったが、海沿いに面し、低層の住宅で構成される茶果嶺村は、香港最後の村といわれるくらいであり、九龍城砦のような三不管ではないにしろ、近代化からは取り残されたまま時が過ぎ、近年再開発が始まったので(参考:デイリー新潮) 村自体が大きく変わろうとしているところ。映画のロケ地にもよく使われる場所で、以前から言ったみたいと思っていた。今回行かないと次はもうないかも…というところなので、思い切って行き、小さな村の路地を迷惑にならないようにそっと歩いた。
午後の日差しにばてそうになり、開いていた冰室に入って凍檸檬茶を注文。街中のそれとは違う、時代感漂うインテリアにラジオから流れるレスリーの曲が80年代のムードを盛り上げる。
この店は茶果嶺の老舗である榮華冰室。数年前からご主人が体調を崩されて休業していたので、それを心配していた人がSNSで多かったとのことだが、今年になって再開したそうでよかった。午餐を取っていないのに、空腹ではなかったので飲み物だけにしたのだが、今思えばもっとゆっくりしたかった。次のスケジュールと夕方からの映画の予約を入れてしまったので、そこは致し方なかったか。
行きとは逆のルートで尖沙咀に戻り、この旅でやっと行けたのが文化中心と星光大道。
今年の香港国際映画祭は4月開催で、ビジュアルの展示が少なく、探しきれなかったのが本当に残念。プログラムは英皇戯院で入手できたし、今年の映画祭アンバサダーだったアンジェラ・ユン、特集上映があったルイス・クーのビジュアル掲出は香港島側にあったのは知っていたのだけど、今回の旅では全く港島側に行かなかった(!)ので出会えなかったのよ。
代わりに文化中心に展示されていた香港コメディ映画特集のサイネージを。『月夜の願い』『新世紀Mr.Boo!』『プロジェクトBB』など
6年前に行ったときは表示もすり減っていて悲しく感じた星光大道も、ちゃんとリニューアルされていたようで安心。城砦関係人物の手形をどうぞ。
古天樂(&サイン:通称トルネードポテト)
アーロン
サモハン
その後、K11アートハウスに行き、ニック・チョン監督&主演、テレンス・ラウ共演の『贖罪の悪夢』を鑑賞。
映画が終わるともうすっかり夜。では星光行の誠品で写真集を…と歩いて行ってみたら、在庫はなし。ではKubrickは?と油麻地まで行き、水果市場を通り過ぎて行ってみたらここにもなし。ではまたAIRSIDEに戻らなきゃいけないのか!と啓徳まで行って購入。日本円で7,000円ほどしたが後悔はしなかった…それから約1か月後、日本語版の発売を知る前までは(いやそれでも買いますよ、はい)
夜の果欄。まだ幾つか店は開いていた
香港に来るといつも通ってしまうブロードウェイシネマテークも、行ったのはこの晩だけだった
最後の晩餐はここでだな、と思い、城砦展隣接のフードコーナーで注文したが、叉焼飯はすでになく、スープがあったのでいただいた。寂しい晩餐となった。なぜAIRSIDEのフードコートに行かなかったのだ、自分よ。
スープの名前を聞き忘れた。多分メニューの一番左…
帰りはホステルの反対側にある石硤尾で下車。帰り道に惠康があったので、思い出して叉焼醤と祝君早安タオルを購入。安くてなぜかホッとし、帰宿。カフェで凍檸檬茶を頼み、最後の夜をしみじみ過ごす。
名残惜しさを覚えながらドミトリーに戻ってパッキング。
大して買い物をしていなかったのでキャリーは重くもならなかったのだが、ここである選択ミスをしたことにより、翌日に大きなやらかしが発生したのであった…
3月29日(土)
起床5時半。まだ寝ている女子たちの迷惑にならないように着替えて最終パッキングをし、6時になってドミを退室し、チェックアウト。帰りはエアポートバスに乗りたくてフロントでバス停を教えてもらい、7時ころのバスに乗ればいいかなとか余裕かましていたが、その余裕がその後いろいろやらかしにつながった。
まずバスに乗る前に早餐用のフードを買いたかったのだが店を探しきれず。ホステルに戻ってキャリーを引き取り、バス停のあるらしい通りにいってもエアポートバスの表記はなく。結局MTR駅沿いにあるエアポートバスのバス停でしばし待ったところ7時半になっても全く捕まらず。これなヤバいと思って駅に駆け込み、AELで空港にたどり着いたのが9時前。チェックインカウンターでキャリーを預け、すぐさま出国検査に行ったが、手荷物検査で引っかかった。割れるのが不安で手荷物にした叉焼醤が持込の限度を超えていたのでチェックインで預けてもらえと言われたのだ。しかし再びチェックインカウンターに行くと無問題だからそのまま通れと言われ、再検査したらまた引っかかる。実は以前SNSで「瓶の叉焼醤は機内持ち込み限度を超えるので厳重にパッキングしてチェックイン荷物に預けるべし」と見かけていたのだが、それをすっかり忘れていたのた。怒りの講義も空しく瓶は取り上げられた。職員さんに対してキレた自分も大人げなかった。反省。
そんなこんなで悲しみに暮れながら搭乗口までの遠い道を行き、たどり着いたのは予定時刻ギリギリ。どこかで何か食べる余裕もなく搭乗した。飛行機は定刻の10時05分に離陸。
この旅最大のやらかしにやさぐれまくり、それなら最後の午餐になる機内食は贅沢してもいいよね?と思って、残していた香港ドルで荷葉飯(機内食のため蓮の葉なし)とプーアール熟茶を購入していただいたら、いくらか怒りと悲しみはおさまった。
帰りに観たのはアンディ&ルイス主演の『ホワイト・ストーム(掃毒2)』。往路はヤバいルイスだったが復路はゲスいルイスか…となり、ああ信一と同じ手をしているとか、お姉ちゃん侍らせてるの違和感あるとか、かつての黒社会の師弟が反目しあってからの怒涛の展開に目が点になったり、ルイスを追いかける警官たちの一人に『ラスト・ダンス』のミシェル・ワイがいて手を振ったのに…といろいろ言ってたら、監督がハーマン・ヤウだったことに気づいて全て腑に落ちたのだった。
仙台空港には予定通り14時20分に到着。ほぼ同じ時間に着いていた香港航空と荷物の受け取りがダブったけど、なんとかキャリーを受け取って仙台駅に向かう。
その間にチェックしたSNSに、こんなpostがあった。
「盛岡ルミエールにトワイライト・ウォリアーズ観に来たら、行列ができてて非常階段口に並んで今待ってる!」
この前日からわが地元では城砦の上映が始まったのだが、土曜の1回目の上映はなんとほぼ満席だったとのこと。
この知らせによって朝からのやさぐれ気分は吹っ飛び、とっても嬉しくなったのは言うまでもなく、仙台駅近くの書店で城砦キャスト来日時のインタビューとグラビアが掲載されたananを買って、盛岡に帰還したのだった。
旅を終えて
思えば前回の旅(残念ながらこちらで記事にはできなかった。一部は有料だけどnoteにあり)から2カ月後、反送中運動からのデモが始まり、全く予想もつかない方向に進んでいき、コロナ禍の中で国安法が施行されるなど、この6年間の香港は激動した。ネオンも9割ほど取り外され、それでも夜の街はなんとか歩けたけど、あの華やかさがなくなったのは寂しかった。街全体も人は多くともどこか雰囲気が違う。尖沙咀には行ったけど、島には全く行かなかったので、全体を見たわけではない。今後もあれこれと変わっていきそうだ。変わってしまうからこそ、行ける時にはなるべく行こう、と思ったのだった。まあ、物価は高いのだけど…というわけで、
次の旅への備忘録
・バス路線を把握する
・甘いものを摂りすぎない
・食事はスーパーの惣菜コーナーやコンビニのホットスナックをチェックせよ
・ドミトリーは至れり尽せりではない、特に熱に強いカップ的な物は持ってけ
・暑くなければ食べきれないフードは打包して持ち帰って翌日レンチンしよう
・衣服は乾燥機に耐えられる種のものを少なめに持っていく
・歩きすぎない
・歩きすぎない
・歩きすぎない
…って結局歩いてしまうので本当に気をつけよう。寝られなくなるし。
☆この旅行記を再構成したZINEを製作します。詳細は後ほど。
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