中華圏以外の映画

真昼ノ星空(2004/日本)

 それは見果てぬ夢、かなわぬ想いとしての比喩なのだろうか。
観終わってから『真昼ノ星空』という題名を考えたら、そんなことが思い浮かんだ。

 リャンソン(宏)は台湾人の殺し屋。
 敵対組織のナンバーワンを暗殺するという仕事を終えて沖縄に潜伏しているリャンソンだが、昼は模型ヒコーキを作るか市営プールに通うかして時間を過ごし、夜は必ず料理を作ってきちんと食べるというルーティンワークのような毎日を過ごしていた。そんな彼は毎日コインランドリーであう30代半ばの美しい女性由起子(鈴木京香)の存在が気になりだし、ほのかな思いを寄せる。偶然にも彼女が弁当屋に勤めていることを知ったリャンソンは、彼女をつけるようになり、なんとか知り合いになってデートの約束を取り付ける。しかし、彼の思いは由起子には通じなかった。彼女は別れた男性のことが忘れられなかったのだ。
 リャンソンが由起子を見つめているように、プールで監視員のアルバイトをしている少女サキ(香椎由宇)もまたリャンソンを見つめていた。台北の兄貴分に呼び戻されることになったリャンソンは、サキに由起子への手紙を託すが、その手紙が由起子の元に渡ることはなかった…。

 くすんだ感じの沖縄の風景。闇のコントラストがくっきりした夜の画面。同じ一人の夜であっても、リャンソンの夜は満ち足りていて、由起子の夜は孤独である。そんな二人がすごし、夕食を取ることになる一緒の夜は、闇夜の中にあっても幸せに満ちている…はずだった。しかし、その幸せはリャンソンだけが感じ、由起子は悲しみから立ち直れない。由起子の孤独を我が身のように感じ、一緒に暮らす妄想まで膨らませるほど、まっすぐに由起子を愛する彼だが、その思いは潰えてしまう。しかし、彼は決してその恋を諦めない。いつか聞いた「世界一高い山の上では、真昼でも星空が見える」という話を胸に、由起子と再びめぐりあうことを夢見ている。それが、真昼の星空を見ることと同様に難しくて、決してかなえられない恋であっても…。

 テーマやアウトラインそのもので、もろに王家衛の影響を受けているなーということが丸わかりである。
 しかし、それが決して王家衛の劣化コピーに思えないのは、日本とは全く違う風景の沖縄を舞台にしながらも、往年の日本映画に多用される基本ワンシーンワンカットを守っていること、やや引いた位置で固定されたカメラワーク、台詞も音楽も必要最小限であること、そして、コスモポリタンな宏くんといかにも日本的な京香ちゃんというキャスティングの妙が上手くスパイスになっているからではないだろうか。
 台詞も少ないし、場面転換も省略が多いので、一歩間違えたらわかりにくいのかもしれないけども、それは同じ夜を別の場所で過ごすリャンソンと由起子の姿を交互に映したり、サキがリャンソンに惹かれていく様子を、彼女に好意を寄せる同年代の少女との絡みの変化から描くことできちんと説明してくれている。今時の日本映画には珍しく、映像で物語を語らせることに重きをおいている映画とみていいかな。
 ただ、由起子の哀しみの原因は予想されることであったけども、そのへんはどこかとってつけたような感じもあったと思うのは気のせいかな。それを語るにはリャンソンの側にウェイトを置きすぎたのか、あるいはスケジュールの都合かって思わされたりもして。ま、それ以上書くと余計なこと言っちゃいそうだからやめとこっと。

 これが2作目の日本映画出演となる宏くん。ワタシは『色、戒』が初見だったのだけど、あの役どころもこれも彼らしい感じ。組織に所属する殺し屋でありながら自分の思いに忠実であり、初めて恋をした青年の喜びを上手く表現している。日本語の使い方も悪くない。
 京香ちゃんはお得意の役どころだから、これまた文句はつけられないかな。しかし、ワンピースを着て夜の街を歩く場面がまるで『花様年華』のマギーのようだったんだけど、これはパクリですかそれともオマージュですか監督?
 ジョーの嫁…もとい香椎由宇小姐は、これが映画デビュー作。ハイティーン女子のぶっきらぼうさや残酷さをよく体現しているのは、本人も当時ハイティーンだったから、なんだろうな。

 シンプルでよくできている恋愛ものだと思うけど、派手でスキャンダラスで宣伝にカネをかけまくっているものがウケるという、昨今の日本映画の状況を考えてみると、あまりにも地味すぎるのはいうまでもない。でも、地味であっても、アジアンコラボとしては合格点だと思う。

監督&脚本:中川陽介
出演:鈴木京香 ワン・リーホン 香椎由宇

| | コメント (0) | トラックバック (0)

少林少女(2008/日本)

「オマエのやっているのは少林拳の『型』だけにすぎない」

 これは、『少林少女』のヒロイン、桜沢凛(柴咲コウ)に対して、元彼女の師匠であった中華料理店の店主岩井拳児(江口洋介)が言い放った言葉。
 この言葉の「少林拳」を「カンフー映画」に変え、この映画を企画・製作した富士電視台に投げ返してやりたい、と思ったのはワタシだけなんだろうか。

 もちろん、観る前に十分覚悟はしていたのはいうまでもない。
つっこんだり、悪口を言うためだけに映画を観てはいけないっていうのも十分わかっている。
 それなら観ないほうがましだとは思うんだけど、それでも観てしまうのは香港電影迷であって一人勝手に香港映画の名誉回復に力を入れてしまう自分の悲しい性か。

 とにかく、予想したとおりの中途半端さ。それは予告を見ただけで容易に判断できたけどね。
 少林拳を会得した女の子の大活躍といういかにもな物語には特に文句はない。それにいまさら文句もへったくれもないからね。でも、それで星仔映画や過去のカンフー映画の名作のいいとこ取りをしたとしても、残念なことにそれがまったくいいとこになっていないのだ。アクションもちゃんと香港から本職を呼んで来ればいいのに(『修羅雪姫』のドニーさんとか、『どろろ』のチン・シウトンなどが日本映画に参加済みだしね。そうでなければ谷垣健ちゃんでもいいんじゃないの?でも彼は『カンフーくん』にかかわっていたか)、それもしないし。ただCGでごまかしゃいいってもんじゃないんだよ。

 加えて物語もかなり破綻している。
 師匠の料理店で働く国際星館大学の留学生ミンミン(日本じゃこれで初登場かよ…のキティ・チャン)に誘われてラクロスを始め、一人突っ走りそうになるのを師匠にとがめられ、初試合でノーコンっぷりを発揮して惨敗させたのに、それがなんでチームワークを無視しているからにすり替えられるの?そうか、ノーコンってチームワークを学べば克服できるのか(違う違う)という強引な納得をさせられ、せっかくラクロスメンバーと意気投合してこれから!ってとこでこれまた強引に力を尊ぶ大学の大場学長(トロさん)につかまれ、強引に対決に持ち込まれる。っていきなり話を変えるなよ。そして、ただの少林拳バカ、もとい未熟だった凛はその戦いの終盤で、いきなり目覚めてしまうのだが、なんでそこで唐突に目覚める?しかもそういう目覚め方かよ?と心の中で思いっきり突っ込む。
 確かに、破綻した物語展開は香港映画でも珍しくない。しかし、莫大なお金をかけたメジャー系日本映画でそれをやっちゃーおしめぇだろう。
 プロデューサーと監督よ、香港映画をなめてませんか?香港映画をなめたらいかんぜよ! 

 物語からそんなんだから、キャストにも頭を抱えさせていただいた。
コウ小姐には悪いことを言いたくないが、なんで彼女じゃなきゃいけないのか?少林拳ならぬ少林寺拳法の使い手なら、水野美紀小姐(奇しくも彼女は『踊る』関係者じゃないか)がいるじゃないか!もうすでに“少女”じゃないけど。…ところで彼女が香港で撮ってた『さそり』ってどーなったんだろう。
 師匠の江口。…あれ、いつまたロン毛に戻ったの?(付け毛だってば)こーゆー小汚い役の彼ってあまり見たことないけど、師匠にしては威厳がない。久々に悪役のトロさんは上半身裸も見せてサービスしてくれるけど、ジェネックスの赤虎のときほど光っていないよな。ほえんあいわずとえるぶいやーずおーるど、あいそーあごーすと。←意味もなく赤虎の台詞
 カイマン&ジーチョンの兄弟子コンビ、扱いはあんなもんなんだろーけど、もっと大暴れさせてよかったんだぞ、シャチョーサン!あ、お初のキティはかわいかったです。顔はともかく、思わず胸に注目してしまったワタシは何?
 そして岡村さん…うーん、今回また微妙だったよなー。彼のカンフー映画への偏愛ぶりはもちろん承知なんだけど、それでもどうも違和感を禁じえないのはいったいなんでなんだろう。いや、岡村さんが嫌いとかそんなんじゃないんだけどさ。
 もったいなかったのはラクロスチームの女子の皆さん。知っている若手女優も多かったこともあって、彼女たちにももっと活躍してほしかった。てか本編で全然目立たなくてエンドタイトルで大活躍っていう、あの扱いはひどいよ。逆にちょっと出の街の人たちが豪華な無駄遣い。商店街の店主の一人を演じていたトータスさん、確か以前少林サッカーは好きじゃないって言ってたことを思い出したぞ。
 一つ誉めるとしたら凛のじーちゃん。よくもまぁ、あのお方を引っ張り出したねぇ。まぁ、同じ分野出身のアンノさんとか監督つながりで岩井俊二さんも役者経験ありますからね。

 ところで、さらに頭を抱えさせてしまったのは、ランキングでしか良し悪しを判断できないオリコンのこの記事(Yahoo!ニュース経由)。
 ああ、これでジェイの『カンフーダンク!』公開時に変な先入観がつかないことを祈るばかりだよ…(泣)。

監督:本広克行 製作:亀山千広 脚本:十川誠志&十川梨香 音楽:菅野祐悟 アクション監督:野口彰宏
出演:柴咲コウ 仲村トオル 江口洋介 岡村隆史 キティ・チャン ティン・カイマン ラム・ジーチョン トータス松本 麿 赤兒 富野由悠希 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

『ミラクル7号』と少林ラクロスの予告を観に行きました。

 予定ならレスリーを偲ぶエントリにする予定だったのですが、今日これらを観たので、急遽このネタに。
 ちなみに今日観たのは、正確には米国映画『燃えよ!ピンポン』。これについては後ほど。

 まずは少林ラクロス…もとい『少林少女』
…あれ?この監督『SP』を映画化するんじゃないんだっけ?などとボケてみる。
 え?広東語じゃないんだ?ジーチョン&カイマンコンビは大陸に行っても広東語なのに(そういうツッコミ自体おかしい)。
 江口洋介がヒロインの本当の師匠?大丈夫なの?
 ほートロさんが悪役か…。ジェネックスや東京攻略を考えれば、このへんは非常に正しいキャスティングだな。
 そしてミスター無問題こと岡村さん…実は大した役じゃないでしょ?(暴言)
 そんな感じで、期待しないでおきます(爆)。

 で、そんな気分になったところでいきなりやってきたのが『ミラクル7号』予告編っ!
 えーっ、これちょっと見せすぎとチャウ・シンチー?とベタなギャグを言ってみる。
予告でこんなに面白かったら、本編はいったいどーよ、なんて言いたくなったりしてみたりしてー。予告ナレーションは『少林サッカー』以来星仔の吹き替えを担当している山ちゃんだったような気がするけど、本編の吹き替え版もまた彼が担当するのかな?
 ええ、もちろん『少林少女』より、本編の映画より、この予告編が一番面白くて、大笑いしたのはいうまでもありませんよ。ここまでやったら見せすぎ?と思っても、やっぱり楽しみだわー。

 ちなみに本編の『燃えよ!ピンポン(Balls of fury)』ですが…大いにくだらなかったわ。
 マギーQのアクションはよかったけど、あの主人公が…。いくら香港でくだらないコメディをこなしてきたとはいえ、そんなに安かったのかキミは。あの主人公で満足か?
 そして、異常にはじけまくっていたクリストファー・ウォーケンは、もともと好きな俳優さんではあるけど、…いくらまっちげさんに似ていると思ったとはいえ、あんな青い目の中国人なんかいないんじゃないか?とつっこんだのはいうまでもない。
 だって、役名が「フェン(封)」って言うんだよー。それってどーよ。
 なんか、ウォーケンさんを香港へ連れていって、香港でもっといいリメイクを作ってほしいって思ったほどくだらなかったよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

Sweet Rain 死神の精度(2007/日本)

 昨年の春から、伊坂幸太郎の小説を読むようになった。
友人に薦められたこともあるのだが、自分と年齢が近かったり、出身地が近所でさらに現在隣県の県庁所在地(つまり仙台)に住んでいるということから妙な親近感を勝手に抱いてしまっている(笑)。しかし、友人が彼の作品を熱心に薦めてくれたのも読んでみてわかった。面白いのである。ミステリーであってミステリーじゃなかったり、突拍子もない設定もどこか自然に受け入れられたり、なによりも作品で人間の生き方への肯定感がよく現れているのがよく、読後感もスッキリしている。
 さらにご本人が映画好きということもあって映画的な面白さがあり、イマジネーションもいろいろふくらむ。特に仙台近辺が舞台の小説は、自分自身もよく足を運ぶので情景が容易に目に浮かぶ。近年は映画化やTVドラマ化もされているが、『アヒルと鴨のコインロッカー』や、近日撮影が始まる『重力ピエロ』は実際に仙台ロケで撮られ(てい)る。

 そんなふうに伊坂作品を読み漁っては楽しんでいた昨年の晩春、6年ぶりの邦画主演となる金城くんを主演に迎え、『死神の精度』の映画化が決定したと聞いたときは大いに驚いた。いや、その当時はまだ小説も読んでいなかったので、主人公である死神の千葉が彼のイメージと会うかどうかということで驚いたのではない。昨年春といえば、『赤壁』の撮影中だと思っていたので、よくあの忙しそうな撮影の合間を縫って来日して仕事が出来るもんだなーと思った次第。
 しかもロケは仙台じゃなく、だからといって東京じゃなく、なんと神戸。その他にも高崎や柏崎でもロケが展開されていたそうだが、ピーカンの天気にわざわざ雨を降らし、神戸の街のど真ん中でロケをしたと聞いた時には「仙台に来てくれよー」とうっかり思ってしまったりして(苦笑)。それから半年後、所用で神戸に行ったときには、しっかりロケ現場を教えてもらったので、劇中で「おお、この場面があそこだったのか!」なんて思いながら観ていた。

 小説では、死神は不慮の死を迎える人間(対象者)に近づいて、7日間行動を見守ってから、彼らの「可(実行)」か「見送り」を判断するという存在である。さらに死神たちはなぜか日本の地名を名前とし、人間界にあふれる音楽を“ミュージック”と呼んでこよなく愛し、CDショップなどに群がる習性を持っている。そんな死神の一人である千葉(なぜか雨男)の6つの仕事のうち、表題作の「死神の精度」と「死神と藤田」、そしてラストを飾る「死神対老女」の3作をもとに構成されたのがこの映画。
 1985年。黒い犬の姿をした死神の監査役(ディア)は千葉に、バートン電器の苦情処理係で働くOL藤木一恵(小西真奈美)の判定を命じる。愛する人々がみんな次々と死んでいってしまった一恵はかつて自殺を試みたことがあり、ここ最近は自分を指名して毎日のように苦情の電話をかけてくる男に悩まされていた。彼女に近づいてその告白を聞いた千葉は、彼女の死を「実行」することに決める。ところが「実行」の日、一恵の前に件の苦情男が現れた。一恵はその男から必死に逃げるが、土砂降りの中、ついに追いつめられてしまう。意外にもその男の正体は人気音楽プロデューサーの大町(吹越満)で、偶然一恵の声を聞いた彼は、それに魅了されて彼女を歌手にスカウトしようと思っていた…。それを知った千葉は土壇場で判定を翻し、一恵を生きさせることにする。
 2007年、千葉はヤクザの姿をして人間界にやってくる。今度の対象者はヤクザの藤田敏之(光石研)。藤田は数日後に敵対するヤクザの栗木(田中哲司)との手打ちを控えていた。千葉は藤田の弟分阿久津(石田卓也)と行動を共にするが、幼い頃に歌手だったという母親に捨てられたことから、藤田を本当の兄のように慕う阿久津は栗木の居場所を彼に伝えず、自分が身代わりになろうとしていた。 
 そして2028年、千葉は画家志望の青年の姿をして、海辺に立つ一軒の美容院にやってくる。そこを経営する老女の美容師(富司純子)が対象者であったが、彼女は千葉を一目見て死神だと見抜く。美容院に住み着いた千葉に、美容師は「10歳くらいの男の子をたくさん集めてきてほしい。無料で髪を切ってあげるから」と頼む。美容院の常連の少年のアイディアで、千葉はたくさんの少年を集めることができたが、その中には何も知らずにやってきた弁当屋「あくつ」の主人の息子もいた…。

 TVや劇場の予告編では、“死神”という二文字ばかりクローズアップされ、まるで某デスノートに登場する恐ろしい死神のようなイメージを持たせていたが(なんてったって配給がデスノと同じ、あの某兄弟映画会社だもんな)、原作を読む限りでは、千葉たちはそんな恐ろしい死神ではなく、むしろ映画『ベルリン天使の詩』や、それにインスパイアをうけた『シティ・オブ・エンジェル』に登場する天使(原作にもこの映画について言及された一文がある)のような存在なんだけどなーと思った次第。死神博士ともまた違うもんねー。
 そんな「人間に寄り添う存在」である死神が見た人間模様を綴っているわけであるので、重要なのは対象者が生きるか死ぬかという結果ではなく、人生の最期を迎えようとする彼らが生きる7日間の過程である。だから「判定」の場面はあんなにあっさりしていていいのであるし、決して人の死を描くことが主題ではないのである。(いくつかの映画評で「判定があっさり過ぎ」という批判があったのが気になったので書いてみた)

 原作者自身が「金城武が主演ならこれを映画化してもいい、ボク自身が彼の演じる千葉を見たい」と言っただけあって、金城くんの演じた千葉はまさにハマリ役。最近の『ウィンターソング』『傷城』のような渾身のシリアス演技とは違い、千葉は見事に肩の力が抜けまくっている。『赤壁』の合間に撮ったから、本人も意外とリラックスしてたんじゃないかね。全編通して登場する、ミュージックに聞きほれる場面でみせる表情や動きのチャーミングなこと!(特に2007年編では、藤田と阿久津が言い合う後ろで千葉がずーっと横揺れしながらミュージックに聴き入っていた場面に笑った)まぁイメージとしては王家衛の重慶大厦二部作(つまり『恋する惑星』&『天使の涙』ね)と同じ演技が求められているじゃん、と言わせてしまえばおしまいかもしれないけどさ、あれを演じた10年前と今とは演技も変わってきているしさ。あ、今までと同じといえば、2007年編では『不夜城』と『ゴールデンボウル』のセルフパロディが入っていると思ったんだけど、これは金城作品を追ってきた人間以外にはなかなか気づきにくいかな。はたしてこのへんは意識したんだろうか、監督の筧昌也さん(ドラマ『ロス:タイム:ライフ』も手がけているとか)は。
 そんなふうに金城くんの魅力が爆発しているという作品だった。あ、もちろんいい意味でね。彼が日本エンタメに進出して今年で10年になるけど、それまでどことなく違和感を感じてきた作品が多かっただけあって、やっと日本でも彼をちゃんと扱えるようになったのかなーなんて生意気なことを言いたくなったりして。もちろん、香港などでの彼の仕事を見ていると、もう次の段階にいこうとしているのがよーくわかるんだけどね。やっぱり彼は日本人であっても、中華明星であるんだよな。
(この頃のエンタメに疎い中国語の張先生が「ジンチェン・ウーは日本人だったの?」とビックリしていたからね)

 最後ににもうちょっとだけ。
 全編を通してみると、1985年編での作りこみが一番力が入っていたんじゃないかと思った。エキストラの人々のメイクやCDショップのディスプレイ、CDが出始めた初期のジャケットデザインや店内に流れる音楽なんてよーく作りこんでいて、80年代テイストを再現しようと努力しているよなぁと感心した。しかし、そこまで努力しているのに、どーして一恵の眉は太くないのだ?いくら流行に流されない地味な女性だからといって、あの時代の女性の眉じゃないでしょう、あれは。台詞にも「クレーマー」という言葉が登場したけど、まだあの言葉は生まれてもいなかったはずじゃないのか?そこまで作りこんでいるのに、こういうところでちょっとガッカリしてしまったのはいうまでもない。
 あと、題名の「Sweet Rain」も、個人的にはいらなかったような気がするなぁ。“死神の精度”って題名だけでも、充分に詩的ではないですか。

監督&脚本:筧 昌也 原作:伊坂幸太郎 脚本:小林弘利 撮影:柴主高秀 音楽:ゲイリー芦屋
出演:金城 武 小西真奈美 光石 研 石田卓也 吹越 満 村上 淳 富司純子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マイ・ブルーベリー・ナイツ(2007/フランス・香港)

マイ・ブルーベリー・ナイツ(2007/フランス・香港)
 写真は前記事で書いたカフェの入口。

 王家衛は村上春樹の影響を受けている。それは藤井省三さん(藤井さんの著書『村上春樹のなかの中国』実は未読です。そのうち買って読みます)や毎日新聞で「銀幕閑話」を連載している紀平重成さんも言及している通り、有名な説である。さらにワタシが勝手に付け加えるならば、ハルキと家衛はあるテーマにこだわり続け、それを自作でよく反復するという点でもよく似ていると思っている。『2046』のときに書いた“セルフオマージュ”ってーアレである。悪く言えばまたオマエは同じことやってんのか!(爆)
 それを王家衛初の英語映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で改めて確認した次第。

 ニューヨークでカフェのオーナーになったイギリス人のジェレミー(ジュード・ロウ)。彼の店にやってきた失恋したてのエリザベス(ノラ・ジョーンズ)。いつも注文するのは売れ残りのブルーベリーパイ。カフェの外で一緒に吸うタバコ。毎日繰り広げられるおしゃべり。ジェレミーに預けたアパートの鍵。それぞれ喧嘩に巻き込まれて鼻血ブー。酔っ払ってカウンターで寝てしまうエリザベス。
 ふと思い立って旅立ってしまうエリザベス。旅先からエリザベスの手紙を受け取るジェレミー。最初にたどり着いたのはメンフィス。不眠症のまま昼はダイナー、夜はバーで働くベティことリジーことエリザベス。ダイナーで知り合ったアル中の警官アーニー(デイヴィッド・ストラザーン)。美しい元妻スー・リン(レイチェル・ワイズ)が忘れられないアーニー。そんな彼を冷たくあしらうが、実は彼をどうしようもなく愛していたスー・リン。彼らの愛の結末を見送り、ふたたび旅立つエリザベス。
 ネバダのカジノホテルのダイナーに流れ着いたエリザベス。その間に元恋人との間に決着をつけたジェレミー。カジノで出会ったのは若いギャンブラーのレスリー(ナタリー・ポートマン)。彼女とともに旅に出るエリザベス。人を信じず、自分にギャンブルを仕込んだ父親の危篤をも信じないレスリー。ラスベガスに着き、父親の死を知るレスリー。
 旅立ちから300日、初冬のニューヨーク。かつての恋人の部屋が空き部屋になったのを知り、ジェレミーのカフェに足を向けるエリザベス。

 こうやって体言止め(一部例外あり)で書いてみると、それがすべて過去の王家衛作品につながってくる。初めて王家衛作品に触れる人はこれらのモチーフをどう感じただろうか。そして、ワタシたちのような王家衛オタク(こらこら)はそれを心地よく感じるか、または「あああまたやってるよー」とつっこむかどちらかの反応になるのだろうか。ワタシはもちろん後者なのであるが、これはもともと彼の映画に対してはツッコミになってしまうのでしょうがない。
 ワタシが好きな王家衛作品は『花様年華』や『ブエノスアイレス』なので、そのへんが好みなら明らかに物足りなさを感じると思われるのではないだろうか。『恋する惑星』が好みの人はおそらく好みなんじゃないかと思われるけど、ワタシはむしろアレのほうが王家衛の本質と離れる作品って思っているからなぁ。でもこの国じゃ後者のほうが人気だもんね。それはしょうがないとしよう。

 そんなワタシが印象的だったのがメンフィスのパート。身も心もボロボロになるアーニーと、ふしだらで束縛を嫌うものの彼を愛していたスー・リンに、ブエノスのファイとウィンを重ねてしまったからだ。たぶん、何パターンも撮られていたというブエノスの話の一つのバリエーションだったのかもしれない。しかし、傷つけあい、離れながらもお互いを狂おしく思う恋人同士の物語は、確かに男女間では生々しく、痛々しい。生真面目なのに自分を傷つけるアーニーにファイが、艶めかしくも繊細なワンピース姿のスー・リンに、ウィンと合わせて『花様年華』の麗珍も重ね合わせてしてしまった。
 また、ネバダ→ラスベガスパートに登場するレスリーは、当然その名前に胸をつかまれたのだが(もともとLeslieという名前は男女どちらにも通用する名前。日本で言えば「薫」みたいなものだな)、彼女の刹那的なたたずまいにはなぜか『欲望の翼』の旭仔が重なって見えた。

 ノラ小姐は、歌声が素敵で好きなシンガーだけど(『Don't Know why』はよく自分でも歌うんだ)、いざ演技に入るとどこか少女っぽい。あと、これも何度もいってるけど、…やっぱりすーちーに見える。ノラ自身にアジアの血が入っているせいかな。
 ジュードの演技は見てて安心するなー。あとは腕毛がすごいなー、ともう乳毛腋毛並みのくだらないコメントをしてみたりする。投げやりでスマン。

 そんなわけで全体的な感想は相変わらずなんだな家衛よって一言で済ませたいんだが(その結論までが相変わらず長いな自分よ)、それでもやっぱり香港に戻ってこようよ、そして早いところトニーの体が空いているうちに《一代宗師》を撮っちゃえよ、と思うのであった。やっぱり王家衛は香港に必要よ。

【おまけの超蛇足】そんなわけで勝手に中華版(というか王家衛の常連版)でリメイクキャストしてみる『藍苺之夜』

 ジェレミー:張 震(トニーじゃないの?といわれそうだけどね)
 エリザベス:董 潔(最初はツーイーにしようと思ったが…)
 アーニー:トニー・レオン(警官だし、アル中だし、眉間にしわ寄せて思いつめてるし)
 スー・リン:マギー・チャン(うーむ、定番で申し訳ない。かといってレスリーに女装してもらうのも…)
 レスリー:チャン・ツーイー(コン・リーよりは重々しさがないからいいでしょ?)

 でも、中華リメイクするのならどこを旅させるの?中国華南地方で後半はマカオ?

製作&監督&原案&脚本:ウォン・カーウァイ 製作:ジャッキー・パン 脚本:ローレンス・ブロック 撮影:ダリウス・コンジ 美術&衣装&編集:ウィリアム・チャン 音楽:ライ・クーダー
出演:ノラ・ジョーンズ ジュード・ロウ デイヴィッド・ストラザーン レイチェル・ワイズ ナタリー・ポートマン

| | コメント (2) | トラックバック (2)

鳳凰 わが愛(2007/中国・日本)

 中国映画にハマるのは、なにもワタシたちのような観客側だけの話じゃない。映画を作る側、特に俳優にもハマっていく人が少なくないみたいだ。NHK中国語講座のアシスタントを務めた前田知恵ちゃんのように、北京電影学院で本格的に女優として学んだり、中国のドラマに抜擢された日本人留学生のような存在から、大物では健さんのような人までさまざまだ。あ、日本人であっても金城くんはもとから中華明星なので完全に別格。
 そんな中でいちばん強烈な印象を残したのが、『鬼が来た!』や『故郷の香り』で過酷な撮影現場を体験した香川照之であり、『天地英雄』を経て、この『鳳凰』で初のプロデュースを手がけた中井貴一である。この二人は姜文さんとの共演、そして撮影現場を本にまとめているという点で共通点がある。
照之も貴一ちゃんも撮影現場ではそれぞれ散々な目にあっているようなのだが(ちなみに二人の本は読んでいない。インタビューでの発言から推測しただけ)、なぜか続けて出演しているのだから、よほどハマったのだろうか?(照之の次回作は台湾映画らしいぞ)過酷そう現場なのに、なぜそんなに中国映画にハマる?

 中華民国初期の東北地方。劉浪(貴一ちゃん)は恋人の鳳児にいたずらした男を殴り倒したが、男が重傷を負ったので劉浪は逮捕され、懲役15年の刑を受けて服役することになる。刑罰の重さに理不尽さを感じた劉浪はいらだち、それを同房の古株、老良頭(グオ・タオ)になだめられる。やがて、劉浪は母から鳳児がレイプされて自殺することを聞き、衝撃を受けて脱獄を図る。
 同じ監獄の女子房には、暴力を振るう夫を殺して投獄された周紅(ミャオ・プウ)がいた。死刑確定を取り消された彼女だが、日々無気力な生活を送っていた。 お互い看守に反抗的な態度を取ったことから、劉浪と周紅は共に豚小屋の掃除をさせられることになる。壁で隔てられた監獄の中、普段はいっしょに行動できないのだが、ここから心の交流が始まり、やがては愛し合うようになる。野外作業で周紅が崖から谷に落ちたとき、劉浪は真っ先に助けに行った。
 しかし、女好きの新入り囚人が女子房に乱入したことがきっかけで、女子房が独立し、移転することになって、二人は離れ離れになる。鳳(鼠=雌)が凰(蛇=雄)を求めるという故事のように互いを求め合う劉浪と周紅の運命はどうなるのか。

 この長きにわたる男女の物語は実話にもとづいているという。どのへんがだ?というのは後で調べるからいいとして(苦笑)、同じ実話に基づいた話としても、某〇イソラとはスケールも質も全然違う(そんなもんと比べるなよ)。
 本編のほとんどが刑務所の中なので、『覇王別姫』のように激変する20世紀中国の姿は具体的に描かれず、繰り返し登場する老良頭の取り調べ場面で政権の交代が語られるくらいにとどめてあったのだが、恋愛をメインに出すならむしろ政治や歴史の話が表にでるのはそんなくらいでいいだろうとおもう。うまい処理の仕方だ。
 しかし、それ以外は結構ツッコミたくなったのはいうまでもなかったりして。もしあの刑務所のように男女の監獄が共存する施設があったとしても、あそこまで自由にやらせてもらえていたのか?なんか20年前の高校生が全寮制で暮らす学園ものやっているようなノリになっていないか?とか、吹雪の中で劉浪が落ちた周紅を救おうとして自分も落ちた末に彼女を見つけたのが、雪が積もっておらずに動物たちがフツーに暮らしている洞窟(というか愛の異次元空間?)だっていうのもこらこらって思った。
きわめつけが日本占領下の時代に劉浪が実は川に落ちて生き残った日本人である(東北地方に商談しに行き、川で水難事故にでも遭った名士の子弟か何かという設定か?)というのが語られる場面。これは貴一ちゃん自身が、日本人である自分が出演するのに説得力を持たせるために、監督と相談して付け加えた設定らしいのだが、そんな設定はいらなかったんじゃないか?
 これ、もう大陸でも公開されたのかもしれないけど、このへんにおける現地の反応がちょっと気になる。

 と、ついつい気になる点を先に挙げてつっこんでしまったけど、これはそんなに悪い映画じゃない。これまで日中合作で作られてきたラブストーリー映画の中では比較的出来はいいと思うし、貴一ちゃんも潔く頭を丸め(ラストでは弁髪断髪シーンまでサービス。ちょんまげだけじゃなく弁髪も似合うんじゃないの?)中国語の台詞もだいたいこなしていたくらい熱演していたし。…でも一部だけ本人の声質とは違うように感じたのだけど、もしかして一部アテレコしたのだろうか。
 周紅を演じたミャオ・プウは、多分初めて見た女優さん。かなり生活臭を漂わせていたが、ジャンクー作品の常連である趙涛とどっちが年上だろう。いや、これを観た翌日に『長江哀歌』を再見したこともあって、ちょっと雰囲気似ているなぁと思ったので。 
 でも一番よかったのは、最近やたらと顔を観るグオ・タオの老良頭だな。伸ばしっぱなしの髪を結っていつの人間だよ?と思うくらいの風貌を持っている彼は、占いを得意とする最年長の囚人。囚人たちのリーダーでもあり、劉浪の善き友となって彼をサポートする。ユーモアもあっていい味出してました。 
 日本でもいろんな映画に出演し、最近は悪役も少なくない貴一ちゃんが、『天地英雄』に続いて中国映画に出たのは、『天地英雄』を観たジン・チェン(金[深+王-シ]。ジヌ・チェヌっていう日本語表記は明らかに間違い。誰だこんな表記にオッケイ出した偉いヤツは)監督が出演依頼をしたからということ。よかったじゃないか貴一ちゃん、中国での苦労が報われて、ついでにプロデュースまで手がけられて。今後どこまで中国映画と関わるかはわからんけど、これが縁でもーちょっといいアジアンコラボが展開できたらいいもんだよねー。

 最後にもうちょっと。音楽は『悲情城市』以来久々の中国語圏映画のような気がするSENS。『悲情城市』以降、彼らの音楽は日本のドラマで多用されたのでだいぶ耳馴染になったけど、トレンディ(死語)ドラマの劇伴より、こういったアジアンシネマの映像の方がよりマッチしている。

監督&原案:ジン・チェン 製作総指揮:角川歴彦 製作:中井貴一 高秀蘭 音楽:SENS 
出演:中井貴一 ミャオ・プウ グオ・タオ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それぞれのシネマ・中華圏監督編(2007/フランス)

 今年で還暦を迎えたカンヌ映画祭での記念イベントとして製作、上映された究極のショートフィルムコレクション『それぞれのシネマ』。カンヌの常連監督たちが映画館というテーマで3分間の短編を作るという課題を与えられ、世界に名前を轟かす35人の監督(うち2組兄弟)が作り上げた、120分33本勝負。
 アジア地域からは中華圏の5人に北野武監督を加えた6作品が登場。二番手に登場したかのバカ監督(しつこいようですがこれはホントに彼に対する誉め言葉です)の作品は既に観ていたのでどーでもいいとして、さっそく感想を。

『電姫戯院』監督:候孝賢
 台湾・フランス・日本の古典的&なつかし映画の一場面が描かれたクラシックな看板。そこから視線を下へ移すと、入り口にいろんな人がたむろして、台湾語でカバーされた『ズンドコ節』が陽気に流れてくる。もちろん、おつまみを売る屋台も大賑わい。ここだけでもう、ホウちゃん作品ってことが丸わかり。クローズアップを排してやや引いたところに固定されたカメラワークも懐かしい。
 電姫戯院には、一般の庶民から裕福な家庭のお嬢様たちまで、さまざまな人が集まってくる。そこに1台のジープが止まり、ピシッと軍服をきめた若い軍人(張震)が、身重の妻(すーちー)と子供たちを伴って降りてくる。彼らもまた映画を観に来たのだ。いくら遠目からでもちゃんと張震&すーちーのカップルだとわかるのがいい。ああそうか、これは『百年恋歌』の後日譚だったのか…。なんで去年の今ごろ、無理してでも観なかったのだろう、と後悔しても役立たず。
 夫婦が映画館の中に入った次の瞬間、時代は一気に40年進み、廃墟と化した現在の館内に変わる。ぼろぼろのスクリーンに映し出されるのは、おそらく60年代の青春映画の一場面。日本と同じように、映画館が一番の娯楽だった時代は、台湾でも既に過去のものなのか…。
 ホウちゃんは、この作品でおそらく自らが青春を過ごした時代を描いたのだろう。それにはもちろん、某ヒット邦画的懐かしさの追求もあるのだろうけど、同じ時代を描いても、あの映画にはない過ぎ去った時代への挽歌が聞こえるような気がする。

『看電影(映画を観る)監督:張藝謀
 野外上映は、たいていの中国映画の題材に使われる。『思い出の夏』『玲玲の電影日記』などを挙げれば説明不要か。偶然なんだろうけど、盟友にしてライバルでもあるイーモウとカイコーはこれを題材にしていた。まずはイーモウ作品から。
 ホウちゃんの映画体験を元にした先の作品の余韻を引きずったままこれを見たせいか、うっかり「ああそうかぁ、イーモウの幼少時の映画体験はやっぱり野外上映がぁ。なんか台湾と大陸の60年代の違いを感じるよなぁ」なんて大バカ丸出しで言っていたんだけど、この話自体が現在の中国を舞台にしているんだよね(苦笑)。
 映写機と機材を積み込んだ軽トラに乗る青年と、それを追いかける子供たち。青年に一目ぼれする村の少女。夜になるのが待ちきれずに映写の準備に集まる子供たち。上映前のちょっとしたアクシデント…と、よくある(であろう)風景を軽やかにきりとり、少し銀のかかったフィルムに焼きこむ。こういう純朴さはイーモウの真骨頂でしょう。今後もこーゆー作品を頼むよイーモウ。もう“らぶらぶ邪念”や“濃密な時代劇”はお腹いっぱい。

『是夢』監督:蔡明亮
 台湾映画界の問題児(こらこら)ミンリャンはマレーシア華僑。最新作の『黒い瞳のオペラ』は未見だけど、それを考えると彼の撮る台湾に妙な熱帯的アンニュイさが漂うのは合点がいく。いや、アタシはマレーシアに行ったことありませんよ、単なるイメージです。もちろん行ってみたいけど。
 そんなミンリャンが故郷マレーシアで撮ったのがこの作品。いや、アタクシ的には『楽日』のように、古い映画館の誰もいない座席を3分間固定カメラで写しっぱなしにしても怒らないぞなんて思ったけど、いくらミンリャンでもさすがに同じ手は二度も使わない。でもシャオカンと懐メロは何度でも使う。ついでに自分の母親まで登場させる。椅子に座らず階段にしゃがんでドリアンをほじくる。
 使えるものはとことん有効活用する。偉いぞミンリャン、わははははは。以上。うわーなんだこりゃ、感想これだけか。

『I Travelled 9000 Kilometers To Give It To You』監督:王家衛
 青さの残る少年(『地下鉄』のファン・ジーウェイ)が、隣席の女性(ひそかに王家衛作品常連のチャン・ヨーリン)に心奪われ、思わずエロい行為に出る、と説明すればこんだけ(ってずいぶんアバウトな説明だな、それでいいのか?)なんだが、さすがはオサレで個性派の俺様審査委員長家衛&こだわりのアーティストウィリアムさんコンビ、その他愛もない話のフッテージにゴダールのSF映画『アルファヴィル(題名はこの映画の台詞から)』を用い、いつもながらの映像美とモノローグwith字幕とジーウェイの顔のアップとヨーリンの美脚アップ(で顔は絶対映らない)でラッピングしてエロさやんわりで仕上げた次第。…しかしそれでもツッコミたい。これはなんだ、映画ってゆーよりも散文詩か!?キミたち詩人か!?ってそのツッコミ自体が意味不明でオチがないよ!
 ところでこれを観て以来、ネタの『アルファヴィル』が観たくなってしょうがない。昔深夜にTVで放映した時に撮ったビデオが途中で切れていた悔しさもあるんだけど、イマドキの大味SFよりも20世紀後半に作られたレトロシックなフューチャーノワールが結構好きだからってこともあってねぇ。

『寒村(ザンショウ村)監督:陳凱歌
 同じ野外上映ネタでも、カイコーの切り取る風景は1977年。
 映画技師のいぬ間にいたずらし、この年に亡くなったチャップリンの無声映画に喜ぶ子供たち。電気が切れたので自転車にバッテリーをつなげ、ペダルを漕いで人力発電で映画鑑賞。それは技師に見つかり、当然こっぴどく怒られることになる。子供たちは三々五々と逃げていくが、たった一人逃げずにその場に縮こまっていた少年がいた。「おじさん、映画、もう終わっちゃったの?」と尋ねた少年は、目が見えなかった…。
 映画は、決して目が見える人のためだけのものではない。目が見えなかったり、言葉がわからない人が映画を楽しむ話も今回の短編に多く、その手のネタでは、盲目の女性が恋人の助けを借りてラブストーリーに感涙するイニャリトゥ監督の作品が印象的だった。3分間の中で物語の焦点がどんどん変わっていくので、散漫な印象も感じられないわけじゃないけど、時代が変わっても、大人でも子供でも、盲目の人も耳の聞こえない人も映画を平等に楽しむ資格があるのだというテーマがこめられていたのだろうか。

 こうやって5人の5作品を思い出しながら書いてみると、まさに5人それぞれのシネマがあり、5人とも個性を発揮した作品に仕上がっていたのでホントに楽しかった。もちろん他の地域の監督作品もそれぞれ楽しんだ次第。
 いやぁ、いい企画をありがとう、カンヌ映画祭実行委員会さん!
 そして、この映画を日本まで持ってきてくださってホントに感謝します、フィルメックス事務局さん!!

 そうそう、他の作品についての感想は非中華な日記の方で書きます、思い出したらなるべく早く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夜の上海(2007/日本・中国)

 いつも元気いっぱいで、大きな目がキュートなヴィッキー・チャオ。
 そんな彼女のどアップになった『夜の上海』のポスターが、うちの近所に貼られている。ああ、まさかこんな盛岡のど田舎で彼女の顔が拝めるなんて!なんていいながら、友人と件の映画を観に行った。

 カリスマメイクアーティストの水島直樹(モックン)は音楽祭の仕事のためにパートナーの高橋美帆(西田尚美)と共に上海にやってきた。恋人でもある美帆との関係に悩み、情緒不安定気味の水島は、音楽祭が終わると同時に何も持たずにふらふらと夜の街を歩き出す。いつの間にか迷子になった彼は背後からやってきたタクシーに飛ばされる。幸い死にもせず、怪我ひとつなく(!!)すんだのだが、慌てたのは彼にぶつかったタクシー運転手の林夕(ヴィッキー)。タクシーに彼を押し込み、強引に観光に出るが、北京語のできない水島とはとにかくかみ合わない。林夕は修理工の東東(もこみち、違ったディラン)に思いを寄せているが、水島を乗せている最中にかかってきた電話で、彼が翌日結婚することを知る。ショックのあまり水島を放り出す彼女だったが、行きがかり上、彼と行動を共にする羽目になる。北京語も話せず、一人ではまったく何もできない水島と、東東への思いを吹っ切れず、やけくそ気味に街を突き進む林夕がタクシーで過ごす“上海の長い夜”の中、まったくかみ合わない二人は次第に心を通わせるようになり…。

 いやもう、とにかくヴィッキーがかわいい!
 寝癖が飛び上がるぼっさぼさ髪でタクシーを乗り回し、がさつな運転で稼ぎまくる林夕(香港の人気作詞家と同じ名前なのは単なる偶然か)。一応恋する乙女なのに、うっかり告白のタイミングを逃して後悔しまくり。喜怒哀楽がはっきりしていてかわいらしいし、決めの日本語台詞「ワタシノコト、スキデスカ?」もなんともいえず愛らしい。
 とにかく、これは冒頭からエンドクレジット直前までヴィッキーを愛でる映画なのである。以上。

 え?それで終わり?ということは、それ以外は…?
 ええ、それ以外はもうダメダメです。思わず暗黒もとはしに変身したくなるくらいダメダメです。
 
これより後は超ネタばれでツッコミますよー。

 まず、あんなところ(道端)でボーっと立っていてタクシーにぶつけられたらフツー死にますよ、水島さん。あんなに吹っ飛んでボンネットにぶつかってよく無傷だよなー、この映画は香港映画じゃないはずなんだか。
 そんな水島さんを取り囲む人々にもそれぞれドラマが用意されているのだが、はっきり言ってそのエピソードは不必要だったと思う。特に美帆ちゃんと彼女に恋して上海までついてきた建築家(?)の年下男河口(塚本高史)のエピソード。水島の日本人アシスタント2人のうち、マイペースなメガネ男子加山(和田總宏。個人的には塚本君より彼のほうがよかった)のええカッコしい場面はともかく、いまどきのギャルっぽさが鼻についた原ちゃん(大塚シノブ。この子誰?)と、最初観た時とてもサムとは思えなかった通訳(サム)の「モリコーネが好き」談話もなんか浮いていた感じ。ちなみに友人曰く、このときのサムは若いころのさだまさしに見えたとのことで、鑑賞後の飲み会で「あのサムは“サムまさし”だね!」と妙に盛り上がってしまいましたよ。
 それをもぶっ飛ばす勢いで、最も浮いていたのが、何をやってもくどくてしつこく、すでにそのくどさも達人の域に達した感もある竹中直人の暴走演技。なんかくどいも痛いも通り越して言葉を失ったよ…。ま、彼はこれが芸風だからあきらめるしかないか。
 えーと誰か忘れているなぁ、ああそうだ、ディランもこみち!彼は初見なんだけど、いやぁ、噂にたがわず見事なもこみちっぷりだ。しかし、ヴィッキーとはつりあわんなぁ…。(話はそれるけど、個人的にはヴィッキーもそろそろトニーと組んでもいけるんじゃないかと思うよ。兄妹役じゃなくて恋人同士の役で。閑話休題)

 この映画、チラシに曰く、上海版『ローマの休日』&『ラブ・アクチュアリー』を狙ったらしいけど、せっかくあんなにステキな上海の夜景が撮れているんだから、過去の恋愛映画の名作にインスパイヤされたものじゃなくて、脚本に一ひねり入れたオリジナルなラブストーリーにしてほしかったなぁ…。タクシー映画の名作『ナイト・オン・ザ・プラネット』や王家衛映画、口紅でガラスなどに落書きしまくる映画(があったよね…)など、いろんな映画の断片を継ぎ合わせて、面白がって作るのも悪くはないんだけどね。
 3年前に観た『最後の恋、初めての恋』のスタッフさんの名前もお見かけしているけど、決して批判しているわけじゃないんですよ。上海や中華圏を舞台にオリジナルなアジアンミックス作品に果敢に取り組むその意気は大いに認めていますので、これからもこの路線でも大いにがんばってください、ムービーアイさん!

 最後の最後にこれだけは。
 友人曰く、今回のヴィッキーの役どころは、香港でイーキンと共演した『マイ・ドリーム・ガール』とよく似ているとのこと。というわけで、近いうちにこっちも観てみたいと思います。  

英題:The Longest Night in Shanghai
監督&脚本:張一白 企画プロデューサー:牛山拓二
出演:本木雅弘 ヴィッキー・チャオ 西田尚美 塚本高史 ディラン・クオ 和田總宏 サム・リー 大塚シノブ 竹中直人

| | コメント (2) | トラックバック (0)

桑桑と小猫 -『それでも生きる子供たちへ』(2005/イタリア・フランス)より-

 誰だって子供時代がなかったことなんてない。でも、ワタシたちは子供だったころをいつの間にか忘れてしまう。そして自分のことを棚に上げて、子供たちをないがしろにしてしまう。子供のころと比べて、今の世界(特に先進国)は便利で快適になったが、そんな中でモノに囲まれている今の子供たちは、本当に幸せなんだろうか?そして、先進国の発展と対照的に、発展途上国の子供たちはどうなんだろうか?

 2年前のヴェネチア映画祭でお披露目されたオムニバス映画『それでも生きる子供たちへ(All the invisible children)』は、WFPの飢餓撲滅大使を務めるイタリア人女優の呼びかけにより企画されて、ユニセフのサポートと企画意図に賛同した8人の監督たちが“世界の子供たち”をテーマに作った映画。カンヌの常連エミール・クストリッツァ、ハリウッド映画からドキュメンタリーまでこなすスパイク・リー、父であるリドリー・スコットと共同で監督したイギリス人CMディレクターのジョーダン・スコット、そしてアジア代表として我らがウーさんから日本初紹介の方まで監督のメンツもすごい。そんな映画のエンディングを飾ったのが、意外にも初めて中国大陸で撮影した(しかも12年ぶりの中華電影!)というウーさんの『桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)』だった。

 時と舞台は現代の北京。お城のような家に住む桑桑(チャオ・ツークン)はピアノとお人形が好きな女の子。でも、パパとママ(お久しぶりです、小豆子ママまたは陸一心の妻ことチアン・ウェンリー)はいつもけんかばかりしている。どうやら自分には弟がいるみたいだけど、ママがあんなに怒っているのはただごとじゃない。パパは家を出て行ってしまった。桑桑は自分に弟がいてもいいとママに言うと、ママに激しく怒られる。離婚寸前の両親に心を痛めた桑桑は心を閉ざし、ママと一緒に乗った車からお気に入りのフランス人形を投げ捨てる。
 片手が砕けた人形は屑拾いのおじいさんに拾われる。おじいさんは数年前、同じ場所に捨てられていた孤児を拾い、小猫(チー・ルーイー)と名づけて貧民街で育てていた。自分のいた場所で発見された人形をもらった小猫は大喜び。そして、あともう少しでおじいさんが自分のためにためてくれたお金で学校に行けることを知り、彼女の顔は明るく輝く。
 そんな喜びもつかの間、ある日市場に屑拾いに出かけたおじいさんが、トラックに轢かれて死んでしまった。天涯孤独の身になった小猫は花売りの親方の元で、多くの少女たちとともに花を売ることになる。町の花売りの仕事は子供にはとても厳しく、一毛でも多く儲けないと親方にひどく殴られ、ご飯を投げ捨てられる。しかし小猫はめげなかった。彼女の明るさとかわいいフランス人形は、同じく厳しい環境で生きる少女たちの心を癒していく。
 一方、裕福であっても満ち足りず、心を閉ざした桑桑は人形をすべて壊してしまう。ママも人生に絶望し、死を考えることになる。思いつめた顔をしたママにより車に乗せられた桑桑は、通りかかった広場で花売りに苦労する小猫の抱く人形に目が釘付けになる。その人形の壊れた手には接木がしてあった。それを見てなにかを感じ取った桑桑の唇がとあるメロディを口ずさんだとき、ママは車のアクセルをふかし、湖に突っ込もうとしていた…。

 ウーさん映画での子供の描写で一番印象的なのは、なんといっても『フェイス/オフ』のあの「虹の彼方へ」が流れる銃撃戦の場面。宿敵キャスターの息子アダムに、彼の銃撃が原因で死んでしまった息子を重ねたショーン(でも顔はキャスター)が彼にショックを受けさせないよう、ヘッドホンをかぶせて逃げさせたあの場面は、ヘッドホンから流れるあの曲にのせて繰り広げられる阿鼻叫喚のバイオレンスも、子供を生きさせるためと思うと非常に高貴に感じてしまう。…のか、ホントに?まーそれはともかく、バリバリのアクション映画が多いウーさん作品で、メインキャラに子供がいる設定の映画があまり思い浮かばないので、なおさらそれを考えてしまうのかも。いずれにしろこの場面、ひいては『フェイス』という映画では、ウーさんは子供を守るべき存在であり、未来を託す象徴としてみているということがわかると思う。
 バイオレンスの詩人と呼ばれるウーさんだけど、こう呼ばれることは多分彼の本意じゃないだろう。ホントは恋愛ものも『狼たちの絆』のような軽妙なコメディも撮りたいだろうし、銃撃も暴力もなくて子供にも観てもらいたい映画だって作りたいに違いない。そんな彼が《赤壁》を前にして撮りあげたこの映画には、鳩も飛ばなければ暴力もなく‐あ、約2ヵ所あったか‐、困難な状況に面しながらも希望を失くさない二人の少女の姿があった。
 もうひとつ注目すべきなのは、彼女たちの生きる背景のリアルさと、その過酷さに絶望を抱かない子供の力かな。かつての高度成長期の日本を彷彿とさせ、おそらくその時以上のスピードで発展していく中国とその象徴である北京。今こそ食品問題や公害問題であれこれ言われている中国だが、これは高度成長期の日本でも同じことが言われていなかっただろうか。そして、あまりにも急スピードで変化する社会では、貧富の格差は想像以上であり、豊かであっても決して幸せではないことも示される。一方、貧しい子はお金がないと学校へ行けないから、小猫の一番の願いは学校へ行くことであり、その夢をかなえるために必死で働く。自分の育ての親は失っても、彼女には人形があったから、決してさびしくはなかった。
 学校に行けば字も習える、友達もできる、勉強すれば今よりもう少しよくなる。『男たちの挽歌』の英題じゃないけど、小猫には“Better Tomorrow”を信じる力があったから、貧しくても笑っていられた。そんな彼女と自分の捨てた人形を見た桑桑も、もしかしたら知らず知らずに小猫の気持ちが伝染し、絶望から自力で這い上がって、ついには死に急ぐママを引き止めたのかもしれない。
 物質的に満たされた日本の子供たちから見れば、この話は結構ベタなのかも知れない。でも、桑桑のようなさびしい子供たちが日本にいないわけじゃない。ワタシたちは今の世の中に失望してしまって「こんな世の中はいやだよね」といつも言ってしまうけど、子供たちはこれより先の未来を生きなければいけない。20年後の彼らに同じ言葉を言わせちゃまずいよね。

 主人公の二人の少女もまたそれぞれに印象的。汚れた赤い頬に乳歯の抜けた歯をみせてにっこり笑う小猫はもちろんかわいいし、ピアノの間の床に仰向けになってズリズリする(公式サイトの予告編動画参照)桑桑の動きにも愛されない孤独がにじみ出ている。彼女たちを演じた子役ちゃんたち、将来はきっといい女優さんになれるよ。

監督:ジョン・ウー 製作:テレンス・チャン リー・シャオフン リー・シャオワン
出演:チャオ・ツークン チー・ルーイー チアン・ウェンリー

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ラッシュアワー3(2007/アメリカ)

 ディパこと『無間道風雲』のようなリメイクばかりでなく、今年はやたらと人気シリーズのパート3か続編ものばかり上映されているのは、まさに今のハリウッドがネタ切れ状態であり、お手軽に銭を稼ごうとしているかがよくわかる。パンピー観客はハリウッド至上主義だから、ディパを誉めてもなかなか元ネタまで行ってくれないし、約15年前に完結したと思われていたあのボクシング映画や、バツイチになって娘が大きくなって頭髪がすっかり寂しくなっても相変わらず運の悪い刑事の映画が復活して、しっかりヒットしてしまうとはどーゆーことだか。そんな「パート3」ブームに乗って6年ぶり(だった気がする)に帰ってきた『ラッシュアワー3』を観た。
 ストーリーは説明しても意味ないので省略(笑)。冒頭は1と同じロサンゼルスから始まるので、中国大使のハンさん(御馴染ヘンリー・Oさん)も登場。でも1からかれこれ8年も経っているので、ハン大使の娘スーヤンも成長。なんとビックリ、張静初になって帰ってきたよ!いやーかわいかったなー。『七剣』の彼女しか知らなかったからなおさらそう思っちゃったよ。

 やっぱりさー、成龍さんがいいのは香港で映画を撮るときであって…なーんて思うんだけど、日本ではプロジェクトBBよりこのシリーズの方が断然人気ってーのは、それは単にこの国のエンタメ嗜好が未だに欧米至上主義だからなのか?なんてひねくれてスマン。あれ?成龍さんってハリウッドに見切りつけて帰ってきたと思ったら…あ、もしかして出演契約結んでいたからか。
 確か、最初はゲストにイーキンが決まっていたんだよね?それが相方(クリス・タッカーだ)がギャラでゴネて製作が延び、いつの間にかイーキンの出演も消えたと思ったら、いきなり真田さんかよーとさらに驚く。話は香港編の2よりヘコヘコなのに、敵役はかなりグレードアップしてる。

 さすがJAC出身だけあって、真田さんのアクションは相変わらずシャープだなー。『無極』では鎧を着ていたので、それほどすごいとは思わなかったけど、今回は最初から飛ばし気味なので、成龍さんとの勝負は久々にわくわくしちゃいました。そのぶんカーター(相方)は邪魔だったー。どうも日本では謙さんのハリウッドでの健闘ばかり注目されちゃって、同世代の真田さんの海外での仕事はあまり評価されていないみたいだけど、ハリウッド大作ばかり出るからいいってわけじゃないし(注・別に謙さんを批判してはいません。だって好きだもん)、ヨーロッパやアジア映画にも軽いフットワークで出て、将軍も宇宙船の船長も悪役もゲイもやれるってことは、役者としてかなりすごいことじゃない?もっとそこに注目しようよ、マスコミさん!
 真田さん演じるケンジは幼少時に親をヤクザに殺されて中国に送られ、そこの孤児院で成龍さん演じるリーと出会って兄弟として育つけど、仲は決裂して違う道を行くことになったという、この話だけで香港ノワールが1本できそうな設定なのだが、まず始めはなぜ日本人なのに中国の孤児院で育つ?というツッコミができるな。まーリーの年齢設定がだいたい40代半ばでケンジも同年代とすれば、彼らの幼少時は文革真っ最中、だから大陸で暮してもものすごく過酷だったかも。そうなるとやっぱり香港育ちってことになるか。で、ケンジは新宿でブイブイいわせたヤクザの息子で、親を殺されて香港に売られて危うく少年愛の愛好者に買われるところを救われて孤児院に…と考えれば(妄想すれば?)とりあえず設定に合点がいく。ってホントかよ。で、リーと決別した後はヤクザの血筋を生かしてアジアンマフィアの世界に身を投じて、ついでに米国留学で箔をつけてパリに本拠地を構えたってことになるのか?ってかなり妄想し過ぎだよな。
 英語の発音もいいし、ところどころで光っていたケンジだけど、クレジットに比べて本編での立ち位置がラスボス前のキャラってーのはどーよ。キミはピーター・ホーか?(詳しくはこれこれを参照あれ)
 工藤夕貴は…、これって2のツーイーと同じじゃーん。こんなのでいいの?なんか、ますますかわいそうな気がするよ。 

 しかし、観ていて一番気になったことはこの一つ。

 クリス・タッカー、いらんわ。

 …って、それをいっちゃぁおしめぇよ!
 以上。とりとめもなくてホントにスマン。

監督:ブレット・ラトナー 音楽:ラロ・シフリン
出演:ジャッキー・チェン クリス・タッカー 真田広之 チャン・チンチュー イヴァン・アタル 工藤夕貴 ヘンリー・オー ロマン・ポランスキー マックス・フォン・シドー

| | コメント (5) | トラックバック (0)

傷城ハリウッドリメイクも、アンドリューさんにやってもらえれば。

 こんばんは、ちょっとしたトラブル(と言ってもカ〇ソリ〇けだが)で手足に湿疹と炎症を起こしてしまい、それを治すために内用薬を飲んでいますが、それがあまりにも眠気を誘うので「最近妙に眠いのよぉ~」と“ひとり淑珍ごっこ”をしているアホなもとはしです。
 いかん、このまま眠ってしまっては正煕に〇〇〇…なんてことはないっすね。絶対あってほしくない。

 アホ丸出しの前降りはともかく、日曜日にアンドリューさん初の米国映画『消えた天使(The Flock)』を観た。こっちでは傷城は7月最終週で終わったんだけど、大都市圏では先週までやっていたのだから、よく考えればこの夏はアンドリューさん作品が2ヶ月続けて上映されるって計算になるのね。とはいってもこの映画、実は本国より早い世界初上映らしい。…ってことは香港でもまだなのか!なんで?と思って映画を観たら、その理由がなんとなく納得した次第。

 この映画、“アンドリューさんのハリウッドデビュー作品”とは銘打たれているものの、配給クレジットには地球も山も自由の女神も映画スタジオもサーチライトも登場しない。非メジャー会社の配給だったのね。
 オープニングは冬のニューメキシコ州の荒野を走る車のシーン。その映像は時々揺らめき、たちまちデジャヴュを引き起こす。その車に乗るのは主人公のエロール・バベッジ(リチャード・ギア先生)。彼は性犯罪を起こした者を監視する州の監察官で、警官ではない。性犯罪者のひとりの定期訪問に来た彼は、最初は冷静に尋問していたが、突然豹変してボコボコにしてしまう。そーいえば傷城でもこんな場面があったなぁ…とまたまたデジャヴュが(笑)。
 18年の監察官生活を終えるバベッジの後任者にして彼の最後の事件のパートナーとなったのが、元不良少女のアリソン・ラウリー(ラウじゃなくてよかった…ロミジュリのクレア・デインズ)。彼女はこのベテラン監察官の、性犯罪に対する凄まじい執念にただただ圧倒される。バベッジは監察官になったばかりの頃、とある女児誘拐殺人事件に関わったのだが、女児を生きて帰させることができなかったことが傷になり、性犯罪を起こした者を激しく憎んでいたのだった。そんな矢先、女子大生が誘拐される事件が発生し、バベッジは州のリストにある性犯罪者の誰かがこの事件に関わっていると直感する…。

 バベッジがあまりにも激しく性犯罪者を憎んでいるので、彼の家族がその毒牙にかかって命を落としたのかと最初は思っていたのだけど…。でもそうしたらもっとドロドロな話になっていたのかもね。
 しかし、アンドリューさんもチャレンジャーだ、と改めて思った次第。こんな危ないネタ(しかもただの性犯罪じゃなくて異常性愛によって起こる犯罪だ)、誰も映画化しようと思わなかったのではないのか?傷城以上にえぐい場面も多いので(さすがに人〇ミ〇チは登場しないけど、それに近いようなものが多少…)、ダメな人はダメでしょう。そんなえぐいネタでありながら、身も蓋もなく殺人が起こるわけじゃないし、ちゃんと犯人は見つかるので、とりあえずモラリティは守られたんじゃないかな。

 あーでも、ちゃんと映画になってましたよー。香港人監督が必ず通るジャ〇=ク〇ー〇・ヴァ〇・〇ム主演のオレ様アクションとは全然違う、、無間道や傷城につながるお得意のスリラー映画だったし。初の非中華映画だった『デイジー』よりも格段にいい出来でしょう。あれはもろに韓流狙いって感じだったもんなー、いま思えば。
 てなわけで、ねーねーレオ、せっかく傷城リメイク権手に入れて、アンドリューさんも米国映画デビューしたんだから、オリジナルの監督にリメイクもメガホン取ってもらったらどーかね?そして決してスコに撮らせるんじゃないのよー(爆)。

 …って、結構冒険っぽい発言だったかしら?皆様の反論、お待ちしておりますm(_ _)m。

 最後に一言。アヴリルちゃん、オマエはそんな役柄でホントにいいのか!

| | コメント (0) | トラックバック (2)

インビジブル・ウェーブ(2006/タイ)

 香港映画で登場する外国で一番目につくのは日本かもしれないけど、それと同じくらい目につくのは実はタイだったりする。そういえば韓国からは俳優が出演しても、舞台としては意外とクローズアップされないよね(『ソウル攻略』は別)。
 例えば無間道三部作にて、命を狙われたサムボスは香港からタイに逃げ、そこで培ったネットワークを生かしてタイのヤクザと取引をしていたし、タイと香港の両映画界で活躍するパン兄弟の作品は、それぞれ香港とタイが舞台になる(『The EYE』や『ツイン・ショット(ひとりにして)』などを見ればよくわかる)。それはなぜかなぁと考えてみたのだが、この映画を観た翌日の學友演唱会にて、彼が「ワタシは船乗りの家で育ちました」と語った言葉がヒントになった。ああ、そうか。香港もタイも大部分が海に面していて、船乗りたちが多く寄港していたんだっけ。ということはお互いに“海の民”としての結びつきが昔からあって、その絆が今映画界で息づいているのかな、なんてずいぶん飛躍した結論に至った。…何へんなこと言ってるんだオマエは、とどうか遠慮なくつっこんでくださいませ。(そういえば思い出したけど、最近の香港映画はポストプロダクションをタイで行った作品も多いよね)

 翻ってタイを見れば、パン兄弟作品にトニー・ジャー作品、コメディの『アタック・ナンバーハーフ』からアート系の『トロピカル・マラディ』まで、実にバラエティ豊かな作品が紹介されているけど、タイといえばこれ!という決定的な作品がどうも見つからないような気がする。最近はアジア映画=みんな韓国になってしまって、以前に比べると香港映画はおろか、タイやインドの映画も簡単に一般上映されなくなってしまっているのが原因かも。東京国際のアジアの風で好評を博しても、やっぱり一般上映に降りて来てくれて話題を作ってくれなければ、見られないもんなぁ。
 その東京国際で製作作品が上映されている、大プロデューサーアンディ先生率いるフォーカスが製作(スタッフには製作総指揮で盟友ダニエル・ユーさんが参加)し、昨年のベルリン映画祭に出品されたタイ映画『インビジブル・ウェーブ』は、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督が前作の『地球で最後のふたり』に続いて浅野忠信くんを主演に、ドイル兄さんをカメラに迎えて撮った作品。しかし、全篇タイで撮られた前作よりスケール感はアップし、舞台はホンコン・マカオ・プーケットの3ヵ所となり、キャストも韓国からカン・ヘジョン、香港のエリック兄貴が登場して、アジアンミックス度はぐっと高くなった。最初はこの作品の感想をここで書くつもりじゃなかったけど、映画における香港とタイの関係を考えているうちにこっちで書くほうがいいなと思ったので、取り上げた次第。

 ハマモトキョージ(浅野くん)はマカオに住み、香港のヴィクトリアピークのレストランに務める日本人シェフ。キョージのボスはタイ人シェフだが、彼はシェフの日本人妻セイコと不倫関係にあった。それを知ったボスはキョージに自分の妻を殺させ、しばらくタイに逃げることを命ずる。中環の小さな廟の僧侶(エリック兄貴)から金と必要なものを受け取り、キョージは香港発プーケット行きのフェリーに乗り込む。二等客室の不便さに悪戦苦闘しつつ船の旅を過ごすキョージは、ニドという赤ん坊を連れた女性ノイ(ヘジョン)と出会い、興味を覚える。プーケットに着いた二人は再会を約束する。
 安ホテルにチェックインしたキョージは強盗に襲われて有り金を全部奪われる。ボスに連絡したところ、世話人のリザード(光石研)に金を手配してもらえることになった。リザードと面会したホテルで彼はノイに再会したが、そこで彼女がボスの新しい恋人だったという事実を知る。自分がボスに始末されようとしていることにようやく気がついたキョージに、リザードの銃口が向けられる…。

 実際、ストーリーはあってなきの如しかな。つっこみたい場面もいっぱいあった(例えばマカオから香港まで船で通っているって設定はどーよとか)。前作でもタイに逃げて日本交流センターの図書室で働く主人公の正体がどーやら若いヤクザだったっていう設定にツッコミ入れたくなったけど、おそらく細かい設定は気にせずに作っているんだろうな。ラッタナルさん(ってすげー略称だな)、ジャームッシュや王家衛がお好きなようで、あーこの人、ロードムービーとフィルムノワールも大好きなんだな、ってのが観ていてよくわかった。その自分が大好きなものをステキなスタッフ&キャストで思いっきり撮るってことに文句はないけど、ただ雰囲気に流されすぎちゃってないかな?ってのが気になるわけで…。これは王家衛作品だと『天使の涙』だったり、ドイル兄さん&浅野くんの『孔雀』でもそういう印象があったので。そういう映画が嫌いってわけじゃないけど、ちょっと時代的には遅すぎるのかな?

 しかしドイル兄さん、浅野くんにラブラブだね。香港女子は正直だから、彼や獅童くんのようなハンサムとは言いがたい個性派よりも、某木○さんや某竹○内くんのようなハンサム系が好まれるらしいけど(今ならジョーやぶっきーも人気なの?)、『2046』に浅野くんを出しても文句はなかったよアタシは。むしろ○村さんより適役では…ってかなり暴言めいた個人的希望を今さら書くなよ自分。
 ちなみにワタシは浅野くんはそんなに嫌いじゃありませーん。この映画でもわかるように、ここ数年の定番だった落ち武者のような長髪も悪くないって思ったし。今はオカッパなんだよね(苦笑)。さすがに30過ぎたせいかどうかしらんけど、二の腕が妙にたくましくなったよね。…それは時代劇等の出演が続いていたからか。あと、日本語のセリフより英語のセリフのほうがはっきりしていて聞きやすかった。これは意外。
 キョージは日本人にはもちろん日本語で話すけど、香港やプーケットではガイジンなので、それ以外には英語で話す。ボスやノイは彼に英語で話しかけるけど、それでも広東語で返答するツワモノがエリック兄貴。いやーさすが映画の多言語化が進む香港映画人(爆)。少ない出番ながら存在感をしっかりアピールしてましたよ。しかしそれ以外に強烈だったのは光石研さんなんだけど、あれは彼にアテられた作られたキャラなのか、それとも演じる際にどんどん膨らませていったのか?
 ヘジョン嬢は大韓女優の中でもわりと好みなんだが、華がないなーと感じたのは扱いがあまりにも…だったせいか?キョージに接近しようとしてもなかなか接近せず、どっか中途半端な感じも。それならキョージの家のご近所さん、マリアを演じたマリア・コルデロ(名前は知ってたけど初めて演技を観た…)の包容力ある大人の女性の方がわずかな出番の中にも存在感があってよかったんだけどなぁ。

 最後に感心したのは、タイ映画なのに悪役(?)をタイ人に設定したこと。これは偉いというか思い切ったというか。
 でもボスも前の妻を殺して新しい恋人と幸せになろうとしている極悪人のわりには、なんか妙にキョージに対して優しさや思いやりがあったりするので、単純な悪役とは言い切れないか。だから、キョージは復讐しきれなかったんだな。

監督:ペンエーグ・ラッタナルアーン 製作総指揮:ダニエル・ユー 脚本:プラーブダー・ユン 撮影:クリストファー・ドイル 衣裳:タケオ・キクチ
出演:浅野忠信 カン・ヘジョン エリック・ツァン マリア・コルデロ 光石 研

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウーさん、多分銃弾抜きで子供たちを撮る。

 カンヌも終わり、BBも観たら、衣替えと共にいきなり仕事が忙しくなり、気がつけば學友さん演唱会東京ツアーまであと約1週間じゃないか!という日々。ちなみに『夜宴』はこちらでは7月初旬公開なんだけど、『傷城』はいつやるの?仙台が来月7日公開だというので、遠征して