中華圏以外の映画

シャンハイ(アメリカ/2010)

 毎日jp.映画ページでお馴染みの、紀平重成さんの銀幕閑話の数週前のコラムに、こんな一文があった。

ところで上海が舞台となる作品が相次いでいる。戦前の中国ということになると、抗日やスパイものなど歴史上の舞台として、どうしても上海が取り上げ られやすくなることは十分に理解できる。しかしややもすると“魔都”のイメージに引きずられるのか、ダンスや歌で華やかに彩られる高級クラブのシーンもたびたび登場する。

 「上海を描くと、その作品は大体失敗する」という中国人監督のユニークな分析を人づてに聞いたことがある。“魔都”のなせる技であろうか。いつかその説を検証してみたい。

 …ふーむ。確かにこれまで、中華電影でも数多の上海ものがあったけど、何がよかったかなあ。『色、戒』くらいか?意見には個人差があります。
 振り返って中華圏以外でも上海を舞台にした映画って意外とある。日本でいえば織田アニキの『T.R.Y.』(なぜいきなりこれを思い出したかといえば後述)、米国でいえばインディの2作目。もっともインディはオープニング部分だけだから違うか。
 そんなことをつらつら思いながら、米国で作られた上海映画、そのものずばり『シャンハイ』を観た。ちなみに中文題は《諜海風雲》…だったっけ?

 1941年。海軍から諜報員に転身したポール・ソームズ(ジョン・キューザック)は、大学時代からの親友であり、同じく諜報員となったコナーと上海で落ち合う予定だったが、コナーは日本租界で死体となって発見された。コナーは上海三合会のボス、アンソニー・ラン・ティン(ユンファ)を追っていた。上海ヘラルドの新聞記者に身をやつし、ドイツ領事館のパーティーに潜りこんでアンソニーと会ったポールは、彼の妻アンナ(コン・リー)を見て驚く。彼はアンナとカジノで出会い、勝負をして負けていたのであった。そして、彼は日本軍の大佐タナカ(謙さん)とも出会う。アンソニーはタナカと通じていたのであった。さらにアンナは、実は抗日ゲリラのメンバーであり、南京事件で政治家の父を失ったところ自分を助けてくれたアンソニーと結婚したのであった。ポールはそんなアンナにひかれていく。
 そして、日本領事館に潜りこんでいる諜報員から、ポールは驚きの事実を知る。コナーは日本人の娼婦スミコ(凛子)を通じて、タナカが握っていた極秘情報を入手していたのだ。それが明らかになった時、日本軍は真珠湾を攻撃し、上海は日本軍の占領下におかれる…。

 結論から言いますか。

 ユンファ超かっこいい~♪謙さんにも勝ってる(謙さん迷の方ごめんなさい)。
でも、映画自体は21世紀の『カサブランカ』を目指しながら、見事に失敗してる。
なんとも、もったいない映画だった。

 そもそもアンソニーが英語名だったのはいいとして、いったい「ラン」と「ティン」のどっちが名字なの?と最大のツッコミをしたいのだが、やっぱりユンファは香港や上海の暗黒街で暗躍して、拳銃ぶっ放してくれりゃもういうことなしですから、って安易ですいません。まあねえ、これまで米国や大陸の映画で観てきたユンファの役どころには不完全燃焼でしたからねえ、香港時代を思い出しますよ。ニコッとほほ笑んでくれるしね。
 しかし、役どころが漢奸ですか…。『色、戒』の易さんと同じか…。かつてドラマ版上海灘で、抗日ゲリラの許文強を演じていた(でもこれは観ていない)ってことを思えば、日本軍を襲撃しそうな感じもするんだけど(笑)。
 そのユンファと対応する男、日本軍のタナカこと謙さん。二人並ぶと麗しいなあ。どっちが年上だったっけか?善玉でも悪役でも、やっぱり軍人役は似合うよなあ。でもうっかり前述の『T.R.Y.』を思い出してしまったのは内緒だ。
 ま、よかったのはそれくらいか。後は、コン・リーは…、それ以上に凛子は…(泣)。で、主役って誰だっけ?ユンファだよね?と、ジョン・キューザック迷をいらつかせる発言しちゃってごめんなさい。

 で、それ以上に頭を抱えたのはストーリー展開。なんつーか、説明不足なところも多いし、それぞれの立ち位置もわかりにくい。諜報員としてのポールも、漢奸としてのアンソニーも、ゲリラとしてのアンナも、軍人としてのタナカも。こういう戦争時代の物語には必要な善悪もはっきりさせず、まさに混沌としたまま。勧善懲悪はハリウッド作品のお手のものなのに、珍しいもんだ。そのかわり、フォーフォーや葉問や精武風雲で日本人が思いっきり悪役にされているのだから、それでバランスが取れて…ってそんなこと自分で言うなよ、オレ(泣)。

 で、結論として、こういう映画が成り立つのなら、同じ時代の上海を舞台にした傑作マンガ『南京路に花吹雪』も映画化できるんじゃないか?ということでtwitterの中華クラスタで盛り上がったのであった。

 

 中華趣味的には、やっぱり主人公の一人、黄子満はニコだよねー♪と概ね同意だったんだけど、中華以外の方には反対されたり。ま、いろんな思い入れがあるもんね。これ、ワタシも実家にあるんだけど、久々に読み直したくなったなあ。そしたらここで感想も書けるし。でも、中古書店で探して買った方が早いかな?

 そんなわけで、とっ散らかった感想になったのでした。
まー、このやる気のなさで、つまりは面白くなかったってことがわかっていただけるかと。
ホント、すんません(苦笑)。

中文題:諜海風雲
監督:ミカエル・ハフストローム 脚本:ホセイン・アマニ ピアノ演奏:ラン・ラン
出演:ジョン・キューザック チョウ・ユンファ コン・リー フランカ・ポテンテ 菊地凛子 デヴィッド・モース 渡辺 謙

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プラスティック・シティ(2008/中国・日本・ブラジル)

 アジアンコラボ。それは見果てぬ夢である。
 ってなにをいきなり言いだしているんだ、ワタシは(笑)。

 香港だけじゃなく、日本や台湾や大陸、そして韓国が資本や製作に入って作品を作り上げるアジアンコラボは、一時期盛んに作られていた。香港返還後、2000年前後が一番盛んに作られていたような気がする。これ、近年のアジアンコラボでは比較的成功した作品である『墨攻』の感想でも詳しく書いているんだけど。あ、赤壁もアジアンコラボだったか(笑)。
 今やアジアといえば真っ先に韓国!と言われてしまうのが、中華趣味にはなんとも歯がゆいところなんだけど、やはり映画は香港をメインとした中華圏+日本のコラボが観たい。いや、日本は黙って原作と金だけ出してくれれば(そして韓国も金だけ。あくまでも金だけ)いいんだけどって気もするんだけど、この不況&震災の大変な状況下だもんねえ…。


 この『プラスティック・シティ』は、長年ジャ・ジャンクー作品で撮影を務め、梁家輝出演で『天上の恋人』という作品も撮った余力為が、ジョーと秋生さんという、ある意味驚くべき二人を主演に迎え、全編をブラジルで撮影したブラジリアン・ノワール。ジャンクー、秋生さん、そしてジョーと名前を並べると、なんとなくフィルメックスなかほりがする。いや、フィルメックスでは上映されなかったんだけど、さすがにね。

 1984年、突然のゴールドラッシュに沸くブラジル国境付近のアマゾン川。中国人のユダ(秋生さん)は、川岸の森の中で銃声を聞く。そこでは日本人旅行客が殺されており、一人の子どもがうずくまっていた。ユダは少年を引き取って育てることにした。
 2008年、サンパウロ。成長した少年―キリン(ジョー)は、ユダと共に偽物の販売で財をなし、地下マーケットを仕切るまでにのし上がっていた。ユダは若い嫁をもらい、ショッピングモールの地主となって、アジア人コミュニティの顔役になっていた。そんな彼らに「ミスター台湾」と名乗る男(陳昭榮)が近づき、手を組もうと画策するが、その裏に胡散臭いものを感じた彼らは用心を深める。
 ある日、サンパウロ市政府がユダを逮捕する。これまで友好関係を築いてきた市が掌を返したのだ。裏にはミスター台湾がいた。キリンはユダを救うため、あれこれと奔走するが…。

 日本よりも台湾よりも湿り気を帯びたようなブラジルの空気の色彩。
暖色の色味が強く、影の部分とのコントラストがくっきりしている。もちろん、大陸でもこんな色はだせない。その色彩の中をキリンとユダの親子がさまよう。
 物語はこの親子の絆と葛藤を軸にして、ブラジルの黑社會とマジックリアリズムをミックスして感覚に訴えるように作ってみました的なものを感じたけど、んー、こういう作りは90年代末には通じても、今の観客に見せるのは厳しくないか?雰囲気に身をまかせるのも悪くないけど、ちょっとねえ…。

 製作された年は日本とブラジルが修好100年を迎えた年だったと聞いたけど、それはあんまり関係ないかな。ジョーはたしかに日本人役だけど、全編を北京語とポルトガル語で話す。彼のポルトガル語の発音がいいかどうかはわからないけど、北京語は…。まあ、発音は難しいからね。
 でも、せっかく秋生さんを起用したのだから、無理に北京語にせず、広東語でもよかったんじゃないの?北京語を話す秋生さんはもう珍しくないのかもしれないけど、やっぱり広東語でしゃべりまくってこそ秋生さんって気もするもんだし。

 そんなふうに文句を言ってみても、やっぱり秋生さんとジョーが並んで見られるのは嬉しい。余力為はカメラマンだからか、ジョーの広い肩幅も、秋生さんの白シャツ&スーツ姿もとっても魅力的に写してくれている。そして、やっぱり秋生さんってセクスィーだわ、と改めて思ったよ。

 以上のように、《狼災記》に続いていろいろ厳しいことは言いたいけど、ジョーにはまだまだ中華電影とのアジアンコラボを続けてもらいたい気がする。まあ、初の海外電影がキム・ギドクの『悲夢』で、最新作がチャン・ドンゴンと共演で、いくら韓国で人気だからといっても、そっちばっかじゃなくて、中華圏にもせっせと顔売って欲しいんですよ、彼には。
 だからジョーよ、これからも頑張れよ。となんか迷だとは思えないくらい投げやりな状態で、この記事を締めたりする(苦笑)。

原題:蕩寇
製作:ジャ・ジャンクー 監督&脚本:ユー・リクウァイ 撮影:ライ・イウファイ 音楽:半野喜弘 編集:ウェンダース・リー
出演:オダギリジョー アンソニー・ウォン ホアン・イー チェン・シャオロン テイナ・ミューラー 

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グリーン・ホーネット(2011/アメリカ)

 ハリウッドの大作には興味がなくなってきたこの頃だが、それでもヒーローものが大好きなので、X-MENやアイアンマンなどのアメコミヒーローものが始まると観に行っている。日本の特撮ものが好きなこともあるので、その延長で観ているってのもあるのかな。久々に今期のライダーも途中参加だけど観ているし。

 さて、ヒーローといえばジェイ。
 ワタシは常々「ジェイが仮面ライダーやればいいのに」と言っているくらい、ジェイにはヒーローものが似合うと思っているのだが、本人もヒーローものが好きらしく、自ら企画・監督・出演した『パンダマン』なんてー特撮ドラマシリーズを作っちゃっている(ちなみに主演は宇豪&弾頭)。

 これももちろん観たいとは思っているのだが、やっぱりジェイ本人がヒーローになってほしいよなあ。 そんなことを思っていたら、思わぬところからオファーが来て、ヒーローになったジェイを見ることができちゃった、というのが、『グリーン・ホーネット』なのである。

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 ブリット・リード(セス・ローゲン)の父ジェームズ(トム・ウィルキンソン)は新聞社「デイリー・センチネル」の社長兼編集長。厳格な父に反して、彼は放蕩三昧を繰り広げていた。街は荒廃し、東欧系ギャングのチェドノフスキー(クリストフ・ヴァルツ)が頭角を現して支配しようとしていた。
 そんな時、父が蜂に刺されてアレルギー反応を起こして急死する。当然、センチネル社はブリットが継ぐことになった。突然のことに茫然とする彼のもとに、元父親の運転手をしていたカトーと名乗る男(ジェイ)がやってきて、ブリットに父親のことを話す。リード家の車のメンテナンスを担当していた彼はメカに強く、ブリットは彼の腕前にほれ込む。そこで彼はカトーを巻き込んでちょっとした悪巧みをするが、その最中に暴漢と遭遇。カトーは暴漢に立ち向かい、見事に撃退する。
 それに感心したブリットはあることを思いつく。この街の荒廃の原因はいったい何なのか。その諸悪の根源を叩き潰そうと。しかし、やるのなら正統派のヒーローではなく、悪人として振舞おうじゃないか。彼は「グリーン・ホーネット(緑のスズメバチ)」と名乗り、カトーの開発した高性能車「ブラック・ビューティー」に乗り、仮面に素顔を隠して夜な夜な街に出没する。そしてセンチネル社に新しく赴任した秘書レノア(キャメロン・ディアス)やたたき上げの副編集長アックスフォード(エドワード・ジェームズ・オルモス)らを巻き込み、ホーネットの悪名を喧伝してのし上がるのだが…。

 60年代にブルース・リーが出演して名声をなしたという同名のTVシリーズ&ラジオドラマがオリジナルというこの映画だが、もともと企画を立てたセスは星仔にカトー役としての出演と監督を依頼したそうだ。だけど、いろいろあって星仔が降板。やがてミシェル・ゴンドリーが監督に決定し、カトー役をSkypeでオーディションしたところ、ジェイが応募してその役を見事に射止め、結果としてこれが彼にとって初のハリウッド&英語映画となったというラッキーさ。
 いや、もちろん星仔のシニカルなカトーも観てみたかったなあ。なんてったって李小龍さんを敬愛する彼のことだから、ブリットに毒を吐きつつ、ピンチになると全部自分でおいしいところをさらっていったのかもしれない。

 監督がゴンドリーさんと聞いて、実はちょっと意外に思った。
フランス生まれの彼の映画は結構好きで、オスカーで注目された『エターナル・サンシャイン』に『恋愛睡眠のすすめ』『僕らのミライへ逆回転』が気に入っているし、レオス・カラックスやポン・ジュノとともに撮ったオムニバス映画『TOKYO!』の一編「インテリア・デザイン」もかわいくて好きだ(リンクのあるのは別blogで書いた感想)。
 ケミカルブラザーズのPV(個人的には「Star Guitar」がお気に入り)等を手がけ、劇映画ではオサレな恋愛ものやヒネったコメディを作ってきた彼がなぜいきなりアクション映画を?…でも、本編を観ると、ちゃんと彼らしい作品になっていたので、結構満足。

 この映画の主人公たちは根本的にバカ。これはセスがコメディアンだからというだけじゃなく、ヒーローものにしてはあまりにもおバカで大人げない。そもそもヒーローになる動機も変だし、その行動もバカっぽい。さらに高い運動能力を持つ発明の天才カトーに比べ、ブリットは頭脳も運動神経も圧倒的に劣る。勝っているのはカネだけ(笑)。これでは明らかにカトーのほうに目が行くものの、彼も結構子供っぽいところがあって、ささいなことでブリットと仲違いしちゃうことだってある。一人がダメダメでもう一人が優れている、というバディものの定型よりちょっとずれているところが、なんだかいい。
 ゴンドリー作品は定型よりちょっとすれてて、なおかつキャラクターがややオタクで意地っ張り(特に男性キャラ)なところが魅力かなと思っている。だから、この映画はアクションものの皮をかぶっていても、こういう持ち味はちゃーんと生きている。 
 アクション場面での、戦闘時のカトーの脳内を視覚化する“カトー・ビジョン”は面白かったけど、なんか『ロミオ・マスト・ダイ』の“X-rayバイオレンス”を思い出しちゃったのはワタシだけだろうか。いや、それ以前に、3Dじゃなくても十分面白かったんじゃないの?といった方がいいかもしれないな。そのへんは同意が多そう。

 さて、キャラクターについて。
中華趣味としてはやっぱりカトーだよねー(はぁと)。「歌で世界に認めてもらいたいから英語は勉強しないよ」と言ってたジェイだけど、こういう映画なら勉強せざるを得ないよね(笑)。でも、リズム感のおかげか、発音はよくて安心。ゴンドリーさんもジェイの持ち味を十分了解しているのか、歌ったりピアノを弾いたりする場面もあるのがファンにはたまらないかも。運転手という設定もイニDに通じるしね。ただ「イケてるお抱え運転手」というコピーを背負いながら、ジェイ自体はそれほどイケメンではないので、一緒に鑑賞した朋友(ジェイ出演作はあまり観ていないとのこと)はそれほどひかれるものがないと言っていた。が!なんと彼女は仮面姿には萌えていたそうだ(微笑)。
 セスは初めて観るんだけど、まー他の作品も機会があったらどっかで観られるかな、と思った次第。薄くてすんまそん。ただ、彼自身コメディアンであったら、同じくコメディを得意とする星仔とは相性がよくないかもしれないなあ、とちょっと思ったりする。
 キャメロンは…まああんな役どころでオッケイですね。『イングロリアス・バスターズ』の怪演が記憶に新しいヴァルツさんも頑張っていたけど、ラストはちょっともったいなかったかなー。そして、個人的には『ブレードランナー』やドラマ『バトルスター・ギャラクティカ』で知られるオルモスさんの存在感に手を振らせていただきました。もっと出番が多くてもよかったよー。

 この映画、全米公開から1週間後に日本で観られたけれど、台湾や香港では旧正月シーズンに合わせてこれから公開が始まる。賀歳片にも通じるノリも感じたので、台湾のお客さんがジェイの一挙一動にワーッと盛り上がってくれればいいのになあ、なんてね。

中文題:青蜂侠
監督:ミシェル・ゴンドリー 製作&脚本&出演:セス・ローゲン 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ジェイ・チョウ キャメロン・ディアス クリストフ・ヴァルツ エドワード・ジェームズ・オルモス トム・ウィルキンソン

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アジア映画『ノルウェイの森』

こっちでは感想を書くつもりはなかったけど、やっぱり中華なかほりがどことなくあったので、ちょっとだけ書いてしまおう、『ノルウェイの森』

↑台湾で流れていたスポット広告、だと思う。

 かつてトニーが映画化を熱望していたというのは有名な話だけど、この映画はそのトニーと親交があるご存じトラン・アン・ユン監督が手掛け、カメラはリー・ピンビンが担当している。
 それもあるので、日本映画らしさがあまり感じられない。60年代の東京というより、アジアのどこかみたい。学生運動が背景に描かれていても、どこか浮遊感がある。同じころはアジア各国も大きく揺れていたもんね。それもどこかに感じられる。

 よく考えれば、村上春樹(以下ハルキ)の作品群は、日本文学の枠を飛び越えて、すでに世界文学となっている。だからこそ、日本ではなくアジアの監督で映画化されるというのは納得できる。ましてや、トランさんは長い間映画化を渇望していたというのだから、なおさらである。安易な世界的ベストセラーではなく、ちゃんと愛とリスペクトが込められた作品に仕上がっていたのが嬉しかった。

 そして、改めて思ったのは、王家衛はやっぱりバリバリのハルキストなんだなってこと(笑)。それで、この本を早いところ読んでおこうと思った次第。

 ところで、映画自体はうまくできているし、観てよかったとも思うのだけど、それでもツッコミどころはいっぱいある。それについては、改めて日記blogに書いてTBするのでよろしくお願いしますです。

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小さな村の小さなダンサー(2009/オーストラリア)

 人種の坩堝と呼ばれるアメリカでは、華人を主人公にした映画は決して珍しいものではない。ウーさんや成龍さんがハリウッドに進出する以前からそのような作品は作られてきた。例を挙げるなら『スモーク』で有名な中華系アメリカ人ウェイン・ワン監督の作品群や李安さんの出世作『ウエディング・バンケット』などがそれ。
 ヒューストンバレエ団でプリンシパルを務めた華人バレエダンサーの半生を描いた、この『小さな村の小さなダンサー』も、その系列であるんだけど、珍しいのはオーストラリアのスタッフで作られたということ。しかも監督は中華系じゃなく、21年前にアカデミー賞で作品賞に輝いた『ドライビングMissデイジー』のペレスフォードさん。それに加え、やはりオーストラリアで作られた傑作伝記映画『シャイン』のスタッフが集結して作られたとか。

 リー・ツンシン(李存信)ご本人の自伝が原作。

 1972年、文革まっただ中の中国山東省のとある村。この村に突然やってきた共産党幹部により選ばれ、わずか11歳で親と引き離されて北京舞踏学院で学ぶことになった存信(ホアン・ウェイピン)。理由もわからず家族と別れた彼にとって、バレエの訓練は厳しく辛いものだった。しかし、彼をバレエに目覚めさせたのは、親身になって教えてくれたチェン先生だった。
 頭角を現し成長した存信(グオ・チャンウ)は舞踏学院でもトップクラスのダンサーとなる。しかし文革まっただ中のこの時代、時の指導者が求めたのはクラシックではなく、『紅色娘子軍』のような革命を鼓舞する創作バレエだった。チェン先生は指導者の一人、江青に申し入れをしたが、そのために学院から追放されてしまう。現実を厳しさを知る存信。
 ある日、アメリカのヒューストンバレエ団から芸術監督のベン(ブルース・グリーンウッド)と二人のダンサーがやってきて、舞踏学院の生徒とデモンストレーションを行った。彼らは中国の優れたダンサーを自分たちのバレエ団に招くことを希望し、そのメガネにかなったのが存信だった。初めて行く外国、初めて見るアメリカの人々やもの。中国の外にはこんな自由な世界があったのかと、存信は気づく。そして、彼はスランプに悩むバレエ団の研修生・エリザベス(アマンダ・シュル)と初めての恋に落ちる。
 そして、研修の期限が近づいてきた。存信は自由のためにエリザベスと結婚し、弁護士のフォスター(カイル・マクラクラン)の協力を得て、アメリカに亡命することを選ぶ。それは、両親をの別れを決意しなければならないという辛い選択であった…。

 中国という国の誇りよりも、中華民族という誇りを選んで自分の道を進む。
在外華僑の著名人のスタンスは、こういうものではないかと感じる。
しかし、国に縛られていたら、自分の表現に限界がある。それが現実だ。

 もともと李存信は、自らバレエを目指したわけではない。共産党によって選ばれ、親と引き離された。大都会で一人で生きる彼に光を示したのが、バレエであった、と捉えた方がいいかも。
バレエと出会ったことで彼は二人の師と、自由と、初めての恋と、生涯の伴侶を得た。だけど、国を捨てても忘れられなかったのは、幼い頃に別れた両親と、家族だった。国を離れてもなお、それを恋うるのは、やはり両親や家族のことなのだろう。中華民族の「家族」の絆の強さは、中国以外で作られる華人の映画にはよくあるテーマなのだが、それがまたこの映画でも大切に描かれていた。

 李存信を演じた3人は、いずれもプロの俳優ではない。
渡米後の存信を演じたツァオ・チーは本人もまたバレエダンサー(英国バーミンガム・ロイヤルバレエ団プリンシパル)だし、メインビジュアルで印象的な少年期のホアン・ウェイピンは、この作品のために選ばれた男の子。でも、それほど違和感はなくつないでいたと思う。
 お母さん役は、どんな作品でどんな役でもこなせるジョアン姐さん。彼女は2年前に出演した《意(ホームソング・ストーリー)》でオーストラリアと縁ができたようで、おそらくその経験を買われての出演で、弁護士役のカイル・マクラクランは絶対『ツイン・ピークス』つながりでの出演だと思う(笑)。

 ところで、李存信のことを調べるためにTwitterで質問し、いろいろ教えてもらった中で知った事実がある。この映画、やっぱりというか意外というか、中国本土で上映されていないのだ。
 原因はやはり、政府の考えを否定的に描いてるからだということにあるのだが、そこまで不寛容じゃなくていいのに、とあいかわらず大陸にわだかまりを残してしまうワタシであった。いや、まあ、しょうがないことなのだが。

原題:Mao's Last Dancer
監督:ブルース・ペレスフォード 製作:ジェーン・スコット 脚本:ジャン・サーディ 振付:グレアム・マーフィー 
出演:ツァオ・チー ホアン・ウェンビン グオ・チャンウ ジョアン・チェン ブルース・グリーンウッド アマンダ・シュル カイル・マクラクラン

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ベスト・キッド(2010/アメリカ)

 武侠ものが好きだからという以前に、師弟ものが好きである。
中華もの以外の日本ドラマでも、心身の鍛錬により魑魅魍魎に対抗できる力を得た人々の話とか、落語に魅せられてかつての名門に弟子入りした少女の話などを好んで観ていたので、そう言い切ってしまっていいのかもしれない。
 学校で教師から教えてもらうより、1対1で学ぶことから、技や伝統を受け継ぐだけでなく、師匠の想いを知って、それを自分の心に加えて心も体も成長する。師弟ものにはそういう魅力を感じてしまう。だから好きなのかもしれない。

 さて、『ベスト・キッド』。実はなぜかオリジナルをスルーしちゃってます、すいません。
一応、オリジナル公開時は青春まっただ中(死語?)だったのに、ほんとに見事なまでにスルーしちゃってるんですよ。あはははは。ラルフ・マッチオ、元気かなあ。
 だから、成龍さんとウィル・スミスの息子ジェイデンくん主演でリメイクされると知った時も、うっかりスルーしそうに…ってすいませんすいません、さっさと本題いきます。

 デトロイトで育ったドレ・パーカー(ジェイデン)は、格闘技が大好きな12歳。父親を亡くし、母親のシェリー(タラジ・P・ヘンソン)に育てられたが、シェリーが北京の自動車工場に転勤することになり、未知の国・中国へとやってくる。北京中学に転校したドレは、中国人ばかりの環境に馴染めない。彼はヴァイオリンを弾く少女メイイン(漢字がわかりません…)に心ひかれるが、カンフーを学ぶ近所の鐘少年たちにいじめられる。
 そんなドレを助けたのが、マンションの管理人をしているカンフーの使い手、韓(成龍)。彼らは鐘の通うカンフー学校に行くが、そこの師範(于榮光)が強さのみを追求していることを知って驚く。そして、ドレがカンフートーナメントに出場し、鐘と勝負を決めるということになってしまう。
 ドレは韓に弟子入りするが、韓は彼にひたすらジャージの脱ぎ着を練習させるばかり。単調な訓練をこなしながら日々を過ごすドレだが、彼は韓のことを何も知らなかった。なぜ一人暮らしなのか、なぜ、家の中にポンコツ車を持ち込んで、せっせと改装しているのか。やがて、彼は韓が抱えていた悲しみを知ることになる…。

 王道ですな。あまりに王道だからこそ、ついハマって燃えてしまう物語。
中華趣味としてはおかしいと思う場面は多少あるんだけど(例:北京中学ってインターナショナルスクールかよ!とか、韓の修行した場所って…とか、挙げればきりなし)、まあそれはしょうがないでしょう。米国映画だから。そもそもドレが学ぶのはカンフーなのに、なんで原題がオリジナルと同じ「カラテ・キッド」なんだかってのが最大の疑問よね。ま、物語の最初の方で、ドレがTVでカラテのレッスンを観てトレーニングしているので、そこだけ観てむりやり原題に納得するしかないかの。

 確かに主役はあくまでもドレなので、成龍さんの役どころはあれで問題ないでしょう。しかし、あそこまでの老け役は珍しいねえ。オリジナルのノリユキ・パット・モリタさんとは似ているようで全く違う。それは本人も意識したみたいだし(from朝日新聞インタビュー)。本来はこういう役どころがどんどん回ってきてもおかしくない年頃なので、こういう役ならどんどん観たい。
 ジェイデンくんも頑張っていたよねー。本気で特訓したらしいし、身体感覚もよかった。やっぱり、身体がでかくなる前に撮れたのが一番いいのかな。欧米人やアフリカンアメリカンの皆さんも大柄だから、成長しちゃったら「動きおせーよ」と言いたくなるに違いないので。

 そんなわけで意外と楽しんだ次第。あとは、ま、観ていただきたいかなってことで。
ここはすっきりとまとめて撤収しますよ。また何か思い出したら追記するかもしれないけど。

原題(香港題):The Karate Kid/功夫夢
製作:ウィル・スミス&ジェイダ・ピンケット・スミス他 製作総指揮:ハン・サンピン他 監督:ハラルド・ズワルト 脚本:クリストファー・マーフィー
出演:ジェイデン・スミス ジャッキー・チェン タラジ・P・ヘンソン ユー・ロングアン

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エンター・ザ・李小龍

 しばらく前から思っていたことだが、だいたい30代以上の男子は、ほとんどが007シリーズとブルース・リー(以下李小龍、または李さん)を通って大人になっているような気がする。同世代の女子がオードリー・ヘップバーンの映画を通ってきているのと同じように(しかしワタシは成人するまでオードリーの映画を観たことがなかった…)、男子の定番はボンドさんと李小龍なのだとワタシは勝手に固く信じている。

 さて、今年はそんな李さんの生誕70周年。ちなみにジョン・レノンも同い年(のはず)。 
それもあって、春の香港国際電影節では李小龍特集が組まれ、金像奨でも李小龍トリビュートが設けられた。そして、彼の伝記映画も作られると聞いた次第。李さんもすでに世界的な文化英雄であるので、どこでどんなイベントがあって当然なのだが、今年はちょうど区切りのいい年ということもあるので、特に周辺が賑々しくなっている模様。

 それは日本でも同じで、彼の命日の翌週から、NHK-BSでは李小龍主演5作のうち、香港での初主演作『ドラゴン危機一発(唐山大兄)』、米国映画初主演にして遺作『燃えよドラゴン』そして死後残されたフィルムに追加撮影を行った『死亡遊戯』の3本が放映された。
 先に書いたとおり、実はワタシは香港映画ファンでありながら李小龍をいままでスルーしてきている。いや、ほら、彼ってすでにレジェンドじゃないの。ワタシごときの場末の弱小bloggerがあれこれ言っちゃいけないような気がするし、彼の存在は香港映画界の中でもあまりにも唯一無二であって、どうも他の作品と結びつきにくいところがあると想っていたからである。
 しかし、この春に中国語教室で羅[上/下]さんの『香港電影類型論』で李小龍論を読み、やっぱり香港映画に関心を持ったら、彼の存在は避けて通れないものなのかなあと思い始め、これをいい機会にと思ってみることにしたのである。

 この3本で、個人的に一番面白かったのは『危機一発』かな。
 初主演でとっても初々しい李さんが広東語をしゃべり、例の雄叫び(怪鳥音とは言いたくない)をあげず、アクションも実に香港映画的で観ていて親しみがわく。李さん以外の皆さんのアクションもしっかりしてらしたしね。
 あと、この作品では李さんが義理堅く明るい青年だったのもポイント高し。純朴でよく笑っててお母さん思い。「ケンカはしない」とお母さんから言われたことを堅く守っていたけど、工場のいざこざに巻き込まれてお母さんのペンダントを壊されてしまったことで怒りが爆発、麻薬を密売している社長と対決することになる。後半からはもう血みどろな対決場面が続くのだが、前半から中盤で快活なキャラクターを打ち出してくれたこともあって、事件に巻き込まれて命を落とした同僚達との友情や、友人の妹に寄せるほのかな想いなどを交えつつ、クライマックスに持っていくドキドキ感が高まるのであった。ま、お約束的な流れなんだけどね。
 李さんをめぐる二人のヒロインも対照的でよかった。純情可憐なマリア・イーと、妖艶で肉感的なノラ・ミャオ。李さんが酒の勢いでノラさんと事に及んでしまった場面(と言っても直接的描写はないよ)なんか、えー!とビックリさせられたけどね。

 それで、2本の米国作品である『燃えよ』と『死亡遊戯』なんだが…。
うーん、はっきり言っちゃえば、李さんの超絶アクション&肉体の美しさと、70年代香港のライブな雰囲気を眼いっぱい味わえるところしか見所がなかったなあ。ストーリーとか、李さん以外の人の演出とかは、なんだかどーでもいいって感じ。
 例えば、『燃えよ』では李さんのライバルの皆さんは、んー、ホントにすごいの?って思って流し見てたし(注:当人は基本的に格闘技というものに全く関心がないために、かなり失礼を承知で暴言を吐いてます。だからファンの方は怒らないで下さい)、名優・石堅さん演じる悪玉のホーはすっごく趣味が悪くてドSな男だなー、だから自分の趣味じゃないわ、なんて思ったのも事実。ま、それでも、格闘大会に参加する西洋人のファイターたちが熱気あふれる香港の街角に降りたつ姿に例のテーマ曲がのっかるオープニングタイトルには、観ていて結構テンション上がったんだけどね。
 それは『死亡遊戯』でも同じで、香港やマカオの風景と(マカオは今とあんまり変わってない感じ)、クライマックスの李さんの3連戦は見どころあるけど、あとは…って感じだったのはいうまでもなかったりする。あとはあのトラックスーツがなぜオールインワンタイプなのかなー、スニーカーがオシャレだなー、なんて思ってみていたんだが、それはつぶやきながら教えてもらった。足元のスニーカーは李さんが普段から愛用していたオニツカタイガーのもの。そして、この映画にオマージュを捧げた『キル・ビル』で、やはりトラックスーツタイプのジャージ(こらこら)をまとっていたユマ・サーマンが、これまたこれに似せたデザインのスニーカーをはいていたのでそれを限定で出したことがあるとか。まあ、周知の事実だけど一応書いておきました。
 閑話休題。で、結局『燃えよ』と『死亡遊戯』に共通しているのは、作り手の李さんに対する強い愛と、それに応じて熱演した李さんの意気込みだけはよく伝わってきているってことだろうか。映画自体としてはものすごくつっこみたいし、物語も演出も完璧じゃないんだけど、それはすべて李さんがいればオッケイであり、許されてしまう。やっぱすげー人だよ、李さんは、と改めて思うのであった。

 さて、李さん亡き後の中華なアクションヒーローといえば、われらがリンチェイとド兄さん。
これは映画放映に先立つ特集番組で取材されていたゴードン・チャン監督が「中国におけるアクションスターの最高峰は李小龍、次にリンチェイ、そしてドニー」とも言っていた。そのゴードンさんがプロデュースを務め、アンドリューさんが2年ぶりに監督し、ド兄さんの主演による新作映画《精武風雲》は、李さんの『ドラゴン怒りの鉄拳(精武門)』の続編にあたるという物語。これは件の特集番組でもちゃんと紹介されていたんだけど、なんとこの映画が、今年のヴェネチア映画祭のオープニングナイトを飾るということらしい!
 これ以外にも今年のヴェネチアには香港がらみの映画が多く上映されるので、このことについてはまた次回以降の記事で書きますよー。

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紐約紐約我愛你♪

 注・今回の題名は中国語(繁体字)フォントで作成したため、一部ウェブから見えにくくなっております。なお、題名は《玫瑰玫瑰我愛你》のパロディです。

 関東&関西方面が『冷たい雨(後略)』で盛り上がる中、とーほぐに住むワタクシは『ニューヨーク、アイラブユー』を観に行っていた。
   これはパリ20区を舞台にしたオムニバス映画『パリ、ジュテーム』(2006、中華圏からはクリストファー・ドイルが監督として参加)を企画したプロデューサーが、今度はNYを舞台に世界各地から監督を招集して作り上げたオムニバス映画(全11話)の第2弾。

 多種多様な人種が暮らしているこの街にふさわしく、監督もキャストも前作より多国籍に及び、バラエティに富んでいた。日本では岩井俊二監督が、オーランド・ブルームとクリスティーナ・リッチを主演に迎え(第3話)、これで初めて英語映画を撮ったことが話題になっていたけど、中華圏からは監督に姜文さん、キャストにはマギーQ(彼女はベトナム人と米国人のミックスだけど、香港で活躍していたわけだから勝手に中華明星に認定)とすーちーが参加しているので、実は思ったより中華度が高かったりする。そんなわけで、ここで取り上げた次第。
 実はこれ、香港からの帰りの飛行機の中で観たのだが、8話目まで観て「すーちーまだー?」といってたら着陸態勢に入っていた。だから感想は全部観なけりゃ書けなかったんだよね。

 スリの青年ベン(ヘイデン・クリステンセン)と作家の男(イーサン・ホーク…だったと思った)がなぜか同じタクシーに乗り合わせてしまうオープニングから、マンハッタン先端部に近いトライベッカ(近年はデニーロ先生主催のトライベッカ映画祭で有名に)舞台を移した第1話で、いきなり姜文さんが監督。
 大学教授ギャリー(アンディ・ガルシア)の財布を抜き取ったベンは、そこに挟まれていた女性の写真に心をひかれる。そして街中でその女性モリー(レイチェル・ビルソン)を見かけた彼が後をつけると、モリーはカフェでギャリーを待っていた。実はこの二人は不倫の関係。ベンは彼女に近づいてあの手この手で口説こうとするが、そこに現れたギャリーに、財布をすった仕返しをされてしまう。
 最初観たときは姜文作品だとは全然気づかなかったんだけど、ベンの吸っている煙草が中国製で、それを見たギャリーが「ワタシは中国語が話せるよ」とか言っててきとーに(笑)話していたから、まーちょっとしたお遊びをしたな姜文さん、と思った次第。 。
 この話は、後半の取られた財布とモリーの恋心をめぐってベンとギャリーが応酬しあう場面がすっごくテンポがよくて面白かった。こんな小粋な感じ、今後彼が中華圏で作るであろう新作にも出てくれれば嬉しいな。

 マギーQが登場するのは、フランスの俳優兼映画監督、イヴァン・アタルが演出したソーホーが舞台の第4話(ちなみにイヴァンは同じ舞台でもう1話撮っている)。
夜のレストランの前で、イーサン演じる作家の男が彼女にすっかり魅了され、エロトーク全開の彼に話しかけられてしまったけど、実は…という役どころ。他愛もないエピソードだけど、イーサンと並んで煙草をふかすアンニュイな彼女は画面に映える。中華電影ではなかなか見られないセクシーさも醸しだしていたけど、…それでももーちょっと色気がほしいかな、ってこれはあくまでも個人的な意見ですよ(笑)。
 ついでに書いておこう。イヴァンって『ラッシュアワー3』に出ていたって?…あー、もしかして、あの見せどころが全然ないパリの刑事か。いやあ、言われてやっと思い出したよ。言われなきゃ全然気づかなかったよ。

 ところでこの映画、ただ話を10話並べたわけじゃなくて、各話の間にはインターミッションが入る。これをつなぐのは若きビデオアーティストのゾーイ(エミリー・オハナ)。つまり各話の場面はゾーイが街を歩いて拾い集めたという設定になる。それもあるので、インターミッションにはそれぞれの話の登場人物が出会ったりするわけである。マギーも8話と9話をつなぐインターミッションに登場し、チャイナタウンのランドリーにセクスィーランジェリーの洗濯を依頼したり、広東語(これが意外とうまくなかったのだが、もっとしゃべれなかったっけ?)を話していたりする。 

 そのチャイナタウンが舞台になった第9話を撮ったのが、ドイツ生まれのトルコ移民であるファティ・アキン監督。彼はドイツに暮らすトルコ移民の姿を描いた『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』で世界的に注目されたそうだけど、ごめん、ノーチェックだった。しかも彼、まだ若い。ちょっとビックリ。
 このエピソードで、やっとすーちーが登場。
 病を抱え、トルコからやってきた画家(ウグル・ユーゼル。トルコを代表する俳優にして映画監督だとか)がそこで出逢ったのが、すーちー演じる漢方薬局の店員。彼女に魅了された画家は、最後の作品のモデルになってほしいとすーちーに依頼するのだけど、彼女はなんともいえずに返事を濁す。ある日、思い切って画家のアトリエを訪ねた彼女は、画家が描いた自分の肖像を見つけ、彼が目を描かずに亡くなってしまったことを知る。そこで彼女がとった行動は…。
 物語的にはこれまたありきたり(オリエンタルビューティーに心奪われる初老の男性という設定がいかにもベタ)なんだけど、この役どころをありがちなツーイーじゃなくてすーちーに振ったのは大正解。この映画でのマギーとすーちーは、同じ中華女優でも見事に好対照であり、役どころも適材適所。美しくメイクしたマギーと同じくらい、ほぼすっぴん(多分)でラフなカッコのすーちーは魅力的。彼女は『トランスポーター』でハリウッドに進出したわけだけど、その前にホウちゃんの『ミレニアム・マンボ』に主演したことから欧米で有名になったというので、なんとなく納得。あと、これを観て気づいたのは、よくよく観ると全然似ているとは思わないのだが、ちょっとした瞬間に見ると、彼女が某ひん○ゅうマジシャン山田な…じゃなかった、仲間由紀恵嬢に似ているといわれるのはこれまたなんとなくわかるな、と思った次第。
 ところでアキン監督、中華電影お好きなようです(fromプロダクションノート)。だからすーちーを使えたのは嬉しかったんじゃないかなあ。

 第11話の後のエピローグ。画家と永遠の別れを経験したすーちーは、まるで画家の代わりに風景を残すかのごとく、街の写真を撮り始める。そこで彼女はゾーイと出会い、街と愛の思い出をシェアする。彼女の気持ちを受け取ったゾーイは、これまで撮ってきたフィルムを編集し、NYの街にそれを投影する。この街に生まれた愛が街の人々に降り注がれ、やがて映画は幸せな終幕を迎える。
 観終わって、ステキな気分になれる映画であった。 

 ところでこのプロジェクトの第3弾は、なんと上海を舞台にした“Shanghai,I love you”とのこと。
これまた再び、ちょっとビックリ。今ちょうど上海万博が行われているとはいえ、やっぱり同じように上海を舞台にした多国籍なラブストーリーが展開されるのかな。
そして、舞台が舞台だから、アジア圏の監督やキャストが招集されるんだろうけど、…さすがにまだこのプロジェクトは動いていないよね。
別のプロジェクトだけど、都市を舞台にしたオムニバス短編映画としては『TOKYO!』もあるんだけど、香港でこういうのってできないかなあ。もしできるとしたら、誰に何をやってもらいたいかなあ。ちょっと考えてみる。もちろん企画を持ち込むわけじゃないし、単なるお遊びでね。

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やっぱりアーロン父子の声で聴いてみたいぞ、テンマ父子。

 どーもー、東京国際ぶっ飛ばし中でーす。
ぶっ飛ばしたついでにっていっちゃなんだけど、『アトム』観てきましたー。

 …で、なんでそれをこっちに書く必要があるんだって?
そりゃーアナタ、ワタシが香港映画の次の次の次の次に愛しているのが手塚治虫御大のマンガだからさ、ってーわけじゃなくて、このアニメ映画の製作を手掛けているのが、香港のイマジというアニメスタジオだからなのでアルのよ。ネタもないことだし、無理やりここに書きます(爆)。
 ちなみに、香港では全米と同じで10月23日開始(リンク先の「WORLD RELEASE DATE」参照のこと)。 最近(というか今日?)、香港プレミアが行われたようで、手塚眞さんのblogでその様子が紹介されてました。

 で、感想。
 ま、基本的に欧米の方が作った作品だし(99年にコロンビアが映画化権を得てから紆余曲折がかなりあったとか)、アトムならすでに浦沢直樹さんが『PLUTO』という優れたバリエーションを出してくださっているので、世間一般に言われるほど違和感はなかったし、これもまたインスパイア作品ではあるな、と思った次第。
 少なくともね、ここしばらく日本で実写映像化された他の御大作品よりは、ずーっと愛とリスペクトを感じさせてくれる出来だよ。『どろろ』(リンク先は観た時の感想)はいくら程小東さんを呼んでアクションで頑張ったとしても、なぜどろろが男装した子供じゃなくて男装の女性じゃなきゃいけないんだろうと思ったし、現在香港で公開中の『MW』(リンク先同上)も、原作では重要な位置を占めていた主人公二人の濃密な同性愛関係という設定をばっさりカットして、ただのアクション映画にされてしまったのにも思いっきり頭を抱えてしまったものー。

 そういう悪しき前例をこれまで観てきたこともあって、それと比べたらかなりいいと思ったし、この作品には眞さん(日本語版では御大がモデルのキャラの声優をしていたわ)もアドバイザーとしてあれこれ助言していたというので、そういうところでもうちょっと評価されてもいいんじゃないかな、と思った次第。原作と違う!と言ったら、果てしなく文句つけまくることになるからね。それでも文句つけたいところがあるんだが(例えば、アトムと仲良くなる人間の女の子コーラがかわいくないとか、ってこれは個人的好みか)、これまたきりがなくなるからやめておこう。

 さて、この映画には香港らしさがあまりないので、まーアニメだからそんなものよねと思ったけど、巨大なゴミ捨て場が広がる地上のダウンタウンに漢字があふれていて、これは香港、というより華人街をモデルにしたのかなー、なんて観ていた。

 米国版ではフレディ・ハイモアくん(fromチャーリーとチョコレート工場)が声をあてているからか、オリジナルより大人びたアトムはどこかフレディくん似。フレディくんのイメージが「薄幸」なので(苦笑)、ピッタリといえばピッタリか。日本語版のウエトアヤ小姐…。んー、棒読みじゃないだけいいが、やっぱり違う気がする。香港版のイアンくん(ン・キントー)は、どんなふうに演じてくれるんだろうか?声変わりしたのかな?
 役所さんがあてていた天馬博士(英語名ビル・テンマ。…)。絵はやっぱり米国版キャストのニコラス・ケイジにちょっと似ているとは思ったのだが、役所さんって声優やってもそーゆー喋り方なんですか?まったくぅ(いや、これでも好きですが)。
 で、香港版テンマさんは、《父子》再び!のアーロン。眞さん、先に挙げたblog記事でアーロンを誉めてますねぇ♪でもアーロンって、確かに役所さんよりは若いけど、かといってニコラス・ケイジよりずっと若いわけではない。ああ見えても既に40代のはず(笑)。

 そんなわけで、アーロン「父子」による香港版アトムが非常に観たいんだが、今度渡港したら、吹替入りのDVDでも買うべき?でもそこまで思い入れは…(苦笑)。

※10/19追記。
東方日報にプレミア記事があったので、写真を。

Aaron_ian

…えあろんお父さん、上に着ているのはTシャツ?それともベスト?
(記事によるとこれはTシャツらしい。噂になっている熊黛林小姐とのことを聞かれていた様子)
あと、眼鏡が黒ぶちなのは、御大リスペクトだよね?
それならベレー帽もかぶってほしいぞ、お父さん。

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クリーン(2004/フランス・イギリス・カナダ)

 マギーと彼女の元ダンこと、オリヴィエ・アサイヤスの出会いとなった(そして二人の運命を決めた)映画『イルマ・ヴェップ』を観たとき、いったいなんなんだこれは!と唖然茫然としたことを今でも覚えている。

 人気女優マギーが香港からフランスに招かれ、ベテラン監督のもとで女盗賊を演じる映画の撮影をするけれど、監督はイカレてるし、そのせいで撮影は全然進まないし、英語は通じないし、彼女についたフランス人スタイリスト(だったと思ったな)はレズビアンで当然の如く迫られるし、取材に来た新聞記者は香港映画を誤解(!)してるし、その状況に戸惑った彼女もお気に入りのロックを聞きまくってハイになった挙句、映画の衣装を着込んで、ホテルの別室から宿泊客のものを盗み出してしまうの至るなどと、なんともカオスな展開が繰り広げられた。そして出来上がった作品がまぁ、ノイズにあふれたアヴァンギャルド丸出しのもので、この後マギーがアサイヤスと結婚したと聞いたときには、アサイヤスはこのときにすでにマギーらぶらぶだったんだなーと思ったものであった。それを思えば、件の映画がああなったのには、大いに納得したもんだったわよ。

 さて、97年の終わりごろに彼らの結婚が伝えられ、それから『花様年華』を経て'03年ごろに、この二人の離婚を知ったわけだったのだが、当時は何のかのいいつつ愛は醒めるもんなのね、とありきたりのことをつぶやいてみた記憶がある。しかし、翌年のカンヌにこの『クリーン』が出品され、そこで彼が別れてもマギーを起用して映画を撮ったことを知って、さらに何だかわけがわからなくなった。え、それってどーゆーこと?別れてもまだ好きなんかい、アサイヤスよ!とつっこんだっけなぁ。
 この映画も日本では特別上映&テレビでしか観ることができず、今後見る機会はないのね、なんて思っていたら、以前も書いた通り今年の春にアサイヤスの新作『夏時間の庭』が評判を呼んだことから公開が決まったことを知った。ちょうど上京する機会があったので、このチャンスを逃がすわけにはいかんと観に行った次第。

 エミリー・ワン(マギー)はパリのケーブルTV局で人気を博した歌手志望のビデオジョッキーだったが、ロンドンでカナダ人ロックスターのリー・ハウザーと出会い結婚した。二人の間にできた息子ジェイ(ジェームズ・デニス)をバンクーバーのリーの実家に預けて、各地のライヴハウスを転々としていたが、行き詰まった二人はドラッグで身を持ち崩していた。
 カナダ・ハミルトン。メトリックがステージに立つライヴで、彼らはレコード会社と交渉にでるが、話がこじれてしまう。この件で怒ったエミリーはリーと激しく口論し、泊まっていたホテルを飛び出してしまうが、翌朝戻ってみると、リーがホテルで死んでいた。死因はドラッグの過剰摂取。彼女もまたヘロインを摂取していたため、すぐさま警察に逮捕されてしまい、半年間服役することになる。
 出所後、エミリーはリーの代理人となっている父親のアルブレヒト(ニック・ノルティ)と会う。彼の妻ローズも含め、世間では「エミリーがリーを殺した」と非難する人間が多かったが、アルブレヒトは彼女の立場を思いやり、その思いを受け止めてくれていた。しかし、エミリーがジェイに会うことを願うと、彼はそれを拒むのであった。

 ジェイと再会するには、今までの自堕落な生活を改め、働かなくてはいけない。そう思ったエミリーは、青春を過ごしたパリへと渡る。叔父に紹介してもらった中華料理店で働きながら、服役中に出会ったミュージシャンと共同で作った作品で歌手デビューをつかもうと試みる。しかし、頼りにしていたリーの友人は当てにならず、元マッシブ・アタックのトリッキーに自分のデモを聴いてもらうチャンスを逸する。薬物治療の副作用に苦しみながら働く彼女を、中華料理店の従業員は「こいつヤク中だしな」と蔑む。その仕事もやめてしまった彼女は、旧友たちとつるむ自堕落な生活に逆戻りするが、かつての仲間がやはりオーバードーズで命を落とした姿を見てはっと我に返る。

 エミリーはVJ時代の彼女に憧れていたというイレーヌ(ジャンヌ・パリバール)のもとに行き、仕事を紹介してもらう。それはプランタンのブティックで東洋人観光客の相手をするという、彼女にとっては苦手なものであったが、ジェイに会うには仕方がないと考え、引き受けることにする。さらにもう一人の旧友エレナ(ベアトリス・ダル)の家に住むことにもなり、彼女は生まれ変わろうと努力する。
 そんな時、妻の治療のために、アルブレヒトがジェイを連れてロンドンにやってきた。彼はエミリーとジェイを会わせることにする。エミリーがロンドンに行くことを拒んだため、週末を使って二人でパリに行くことになるが、ローズは未だにエミリーを憎んでおり、彼女に「ママがパパを殺した」と教えられたジェイもまた、エミリーに憎しみを抱いていた…。
 
 観た後にまず一言。
「ああ、観てよかった。意外とまともな話だった…(苦笑)」
 いくらこのコンビの前作が、あんだけひどい(こらこら)話だったり、アサイヤスがここ数年で撮ってきた作品に日本のアングラカルチャーやら香港ノワール的モチーフやらを取り入れたりしてきても(ちなみにまだ両作品とも観れていない。てか観る機会あるのか?)彼は決して自分の趣味に走りまくって語る物語を置き去りにする“フランスのクエタラ”ではないというわけよね。『夏時間』みたいな作品も撮れるわけだし。
 ええ、まぁ、それでいても、いくら夫婦関係をやめたにしては、これはやっぱり彼のマギーらぶらぶっぷりが相変わらず前面に出ている映画ではあるし、あまりにもらぶらぶっぷりがすごくて、物語がよくわからんっていう批判(これは藤原帰一さんがAERAで書いていたっけ)もよくわかる。さらにいろんなところでツッコミたくもなるし、つっこんでいけばきりがなくなる。

 でも、これが何だか捨てがたいなぁと感じたのは、彼女演じるエミリーがどん底に落ちようとも生きることに必死であることに共感を持ったことと、現代の人間がまっとうに生きるには、やっぱり働かなきゃダメであるという、どうにもこの映画のテーマにそぐわない(苦笑)ことを感じてしまったことだったりするのである。前者はとりあえずおいといて、この後者の考えをちょっとだけ。
 冒頭、リーと暮らしてヘロインでデロデロになっている彼女は、夫を成功させたい一心で、周りに噛みついていく。これは彼を愛しながらも、一方で依存心が強いんじゃないかと思わせられないこともない。そういうように見られるから、エミリーがリーを堕落させたと誤解されるのも納得できる。だけど、彼女は決してそういうつもりだったわけじゃない。堕落してしまったからこそ、依存心も高まるんじゃないかな。これって某○りPのことにも微妙に通じるものがある。やっぱりダンナは当てにしちゃいけないのよ(怒られそうなことを平気で書いてすんません)。
 リーを失ってジェイを手元に置きたい、なんてエミリーは例によって調子のいいことを考えるけど、それを拒まれたらやはり全力で自分がまっとうになるしかない。そして、まっとうになるために、自分の失ったものを取り戻すには、やっぱり自分のために働かなきゃいけない。だから、彼女はどんなに嫌なことでやろうとする。

 だけど…、それでいても、ジェイとともに自分の願いであった歌うことも諦められない。ジェイと会うため、そして自分の生活の安定のために、サンフランシスコでのレコーディングを諦める彼女だが、ジェイと出会い、SFで彼を産んだということがきっかけで、歌への渇望も高まる。それが成功に結びつけるかどうかはわからないけど、結局彼女は働くことよりも、歌うことに自分を賭ける。
 これやっぱり失敗に終わってしまう可能性だって、もちろんあるのだろう。それでも、彼女はもう昔の自堕落な彼女じゃない。もしデビューできなくても、きっと諦めずに何度も挑戦するかもしれない。その間には働いて、夢に賭ける準備期間にすることだってできる。そんなふうにも読み取れる。子供も夢も、なんていう欲望は、ホントに都合のいいことかもしれないけど、SFで迎えるラストシーンで、すっきりと額を出したエミリーがスタジオのテラスから、ベイエリアの遠景を見つめる姿には、そんな欲望も飛び越しちゃって、自分のやりたいことをやりきって未来を見つめるような思いがあるようで、何だか神々しさまで感じてしまった…ってこんなことを書いてるアタシもまた、マギーに感情移入しすぎ?でも、カンヌで女優賞を獲ったのは、案外こんなふうな理由があったのかもね(笑)。

 たとえステロタイプな役柄をふられたとしても、そこからもはみ出してしまうのがマギーの魅力だと思うことがある。中華圏から欧米に出た女優の中でも、マギーは突出したものを持っていて、いくらツーイーやコン・リーがハリウッドで頑張っても、やっぱり彼女にはかなわない。あ、ミシェル姐もまた別格。
 それゆえに、監督たちは彼女をミューズとして崇め、彼女をイマジネーションの源とするのかしら。思えば、アサイヤスだけじゃなく、楊凡も『ストーリー・ローズ』で彼女の複雑さを引き出していたわけだし、王家衛作品での彼女は言わずもがな。最近のマギーはそんな作品ばかりにでているので、もーちょっと出てほしいとは思うけど、彼女もマイペースにやってるからね。ま、しょうがないといえばしょうがないか。
 そして、アサイヤスの次にマギーにやられた監督は…、そうか、オマエか、クエタラか!この秋公開のイングローリアスなんとか(題名長すぎ!)では泣く泣く出番がカットされたというけど、転んでもただで起きなさそうなクエタラだから、次回作で絶対マギーを大フューチャーしてくるかもね(嘘)。

 と、アサイヤスに負けじおとらじのマギーらぶらぶ状態であれこれ書いてきたが、最後にこれだけ言わせてくれ。 
 いくらマギーにらぶらぶだとはいえ、アサイヤスよ、彼女に歌わせるってーのはもーちょっと考え(以下略)。

監督&脚本:オリヴィエ・アサイヤス 撮影:エリック・ゴーティエ 編集:リュック・バルニエ 音楽:ブライアン・イーノ他
出演:マギー・チャン ニック・ノルティ ベアトリス・ダル ジャンヌ・バリバール ジェームズ・デニス

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