書籍・雑誌

『浪漫的逃亡 遊日非流行指南』五月天阿信

昨年から参加している文学フリマにて、ここ数年の台南旅行をまとめたZINEを製作&頒布しているけど、ワタシはもともとネットを始める前から所属していた同人サークルで旅行記や留学記をまとめてもらった経験があるので、それを思い出しながら製作している。
近年は同人界隈以外でもZINE製作が盛んで、しかもオサレでレイアウトが素敵なものが多い。そんなステキZINEをギャラリーや文フリ会場で見てしまうと、字と写真時々イラストでしか勝負できない自分はセンスの無さにしばし打ちのめされるが、ダサいといわれようが作りたいものは作りたいんだ、と決意して作っている。とか言いつつも、仕事の合間に書いたり製作するしかなく、その仕事も近年はかなり忙しくなっているので、毎回間に合わせみたいになってしまうので反省している。
今年はたたき台の旅行記も早く書けたし、地元で台湾映画もまとめて上映してくれるので、旅と映画の二本立てで作るかなと思案中。

さて、前置きはこのへんにして本題。
先日の武道館ライヴでやっと五月天に落ちた(ははは^^;)ワタクシですが、2年前の初武道館前決定の報を聞いた頃に、台北でこの阿信の日本旅行エッセイを買ってきました。先の記事にも書いた通り、当時は仕事とバッティングしたので上京を泣く泣く諦めたのだけど、その代わりにと思って購入。拾い読みはしていたけど、ライヴから台南旅行を経、ZINE作成の参考にと思って再読したので、やっと感想書けます。

2008年に発行され、第8版記念の新装版(だと思う。14年の時点で44刷。1回の刷数が日本ほど多くないのだろうね)で購入。
1999年の五月天デビュー前から大学の研修旅行で、デビュー後はレコーディング(2012年に営業を終了した河口湖の一口坂スタジオを利用していた様子)やライヴで、もちろんプライベートでも度々日本を訪れている阿信が、学生時代の専攻だった建築を中心に、90年代後半から2000年代中盤までの約10年間、東京近郊・京都・大阪・奈良などを回って見たこと・考えたことをまとめたこのエッセイでは、自らの旅を「非流行」と呼んでいる。日本で流行している場所に行ったり、流行りのアイテムを買ったり食べたりだけではなく、自らの興味・関心の赴くままの旅をしよう、というコンセプトらしい。
写真もこの10年間で撮りためたものをふんだんに使っているので、日本の街並みや変化もよく分かる。

東京編は明治神宮から始まり、代々木室内競技場や新都庁、表参道ヒルズなどの日本を代表する建築家たちの代表的な建物を紹介する。「新都庁は実は変形合体ロボ」ってネタまで盛り込みつつ(全世界的に有名なネタだよね)、丹下健三や安藤忠雄の仕事を紹介する。表参道ヒルズは建設前の同潤会アパートの写真と比較していて、ああ、そうだったよなあと思い出させてくれる効果もあり。
ここで好きなのは東京国立博物館。東博は近年TVドラマのロケで外観や内部が使われたりするのでそのへんお馴染みだけど、ページ数も多く、谷口吉郎・吉生と二代にわたる建築家の手によるものと紹介されているのがよかった。
もうなくなってしまったさいたま副都心のジョン・レノン・ミュージアムも彼の聖地。そう言えば行かないままだったな…。

左がカバーを外した本体。右のカバー裏が阿信のピンナップになってる。

後半の関西編はテーマがもっと広がる。
「東京が台北なら京都は台南、そして大阪は高雄」で始まり、大阪のカラフルな商店街の写真も並ぶ。そこに混じって目を引いたのは、阿信自らが描く火の鳥。とくればもうお約束の、宝塚の手塚治虫記念館。子供の頃は漫画家になりたかったけど、その夢は叶わなかった、でも『火の鳥』に出会って心打たれたというような始まりから(すいません不完全で)、茨木春日丘教会(安藤忠雄設計の光の教会)や奈良の写真美術館などを訪問。その間に好きな日本文学の話も挿入される(山本文緒の「プラナリア」と村上春樹)。
京都では和菓子作り体験や金閣寺炎上事件などに思いを馳せながら、修学旅行的なスポットを紹介し、最後にたどり着いた鴨川で、再び学生時代のことを振り返る。

エッセイ部分はわりとフィーリングで読んじゃってるので内容はあまり詳細に紹介できないのだけど(自らの学習のためにいつか翻訳しようかな)、自ら率いるstay real studioが手がけるブックデザインもいい感じ。スクラップブッキングをそのまま見せてもらっているようで、見るだけでも楽しい。旅行記を作る上ではかなり参考になるなあと眺めているのでした。

ワタシも香港や台湾に行き始めてもう長くなっている。行く理由としてはまあいろいろあるけど、決して流行りだから行っているわけじゃない。もちろん食欲もあるし注目のスポットも行くけど、基本的には自分の興味の赴くままに歩いている。もちろん、映画も観たいしね。そんな気持ちを持つと、この本での日本の旅の仕方に共感する。
昔読んだ哈日杏子嬢の日本大好きエッセイでは、「なんでそこまで日本大好きって言えるの?」と大いに戸惑ったのだが、流行りだからというわけでなく、日本が旅行先として最適で、そこで面白いものに出会えたり、大いなる刺激を受けられるからなのかなあとしばらく前から思うようになった。スタンス的には要するに一緒、って考えてもいいのかな。

阿信同様、いままでもこれからも「浪漫的逃亡」で香港や台湾に行くことになるのでしょう。てなわけでここしばらくの台湾旅行記のタイトルにこの本の題名を拝借し、今年作るZINEにもそのまま使うことにしたのでした。とちゃっかりしていてすみません。許してね>五迷の皆様。そんなわけで今年の台湾旅行話エントリはここで一区切り。

実は現在、澳門&香港旅行を控えているのですが、その間にもZINEの構想を練ることになるでしょう(^_^;)。はい、頑張ります。

↓おまけです。武道館ライヴはやっぱり楽しかったねー。

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『キン・フー 武俠電影作法』キン・フー/山田宏一/宇田川幸洋

 昨年フィルメックスで『侠女』を観て大興奮したのは記憶に新しいところだが、ちょうど20年前に出版されたこの本が職場に入っているのを思い出したので、先の記事を書くときには大いに参考になった。そんなわけで、今回は改めてこの本の感想を。


 今から20年以上前、東京国際映画祭やゆうばりファンタで来日されたキン・フー監督(以下カタカタ表記します)への三度のインタビューをまとめたのがこの本。その頃のワタシは香港映画ファンを始めたばかりではあったけど、返還がきっかけで起こった香港映画ブームにより次から次へと公開される新作映画に夢中だったので、こういう方面には全く目を留めなかった。今思えばとても残念なことをしたと思うが、当時はもちろん若かったし、香港映画にもここまで深く長くハマるとは自分でも思ってなかったもので。
 だから、刊行当時にこの本を読まれた方からすれば、かなり遅い読者にしてピントのズレた感想を書くことになるかもしれませんが、そのへんはどうかお許しくださいませ。

 一般的な香港映画のイメージとして、成龍さんや李小龍さんのカンフーものを挙げるのは今に始まったことではないのだが、実は彼らの登場より少し前の60年代後半に、香港映画は第1の黄金期を迎えていた。
 それを確立した映画人の一人がキン・フーさん。1932年に北京で生まれ、1949年に香港に移住し、50年代に映画の世界に入ってからは美術や俳優を務めていたという。本の第1章では大陸で過ごした幼少期について語っているが、その話が非常にスケールが大きくて面白かった。民国期の都会の典型的な大家族に生まれ育ったのだけど、両親や親戚、多くの兄姉の背景まで事細かに語られているので、この時期だけでも映画になりそうと思った次第。

 第2章からは香港に出てから映画に関わりだす話になるのだが、戦後10代で香港に行ったのは特に政治的な理由ではなく、海外進学を目指していたからというのが意外だった。得意の絵画がもととなって美術助手となり、それから俳優となるのは、オールマイティでできる香港映画人らしいキャリア。第3章からはショウブラに行き、いよいよ映画監督としてデビューを果たし、チェン・ペイペイの『大酔侠』(3章)台湾に渡って作った『龍門客棧』(4章)そして『侠女』(5章)と各作品を詳細に語っている。
 キン・フー作品で実際に観たのは、未だに侠女だけという情けなさなのだけど、昨年初めて大画面で観て疑問に思ったことや気がつかなかったことが多かったので、この本を後から読んで知識を補充できるのはよかった。連続掲載された侠女の例の竹林での闘いなど写真も多いのはわかりやすくていい。
 そして、最後のインタビューで語られていたある構想にあっと言ったのは言うまでもない。
そこでは、彼が亡くなった後にウーさんがハリウッドで撮影を切望していた《華工血涙史》について語られていたからだ。これは話を聞いてはいたものの、ワタシもすっかり忘れていたので、なぜか申し訳なく思ったなあ。

 案の定、文章を書いても自分の勉強不足を思い知ったので恥ずかしいところですが、以前も侠女で書いたように、キン・フーさんがもしいなければ、その後の香港映画の隆盛はなかったといえるだろうし、武侠映画や武侠小説に興味を持ったら、これを読んでさらに作品を観るとより理解が深まるので、良い教科書だなというのが総じての感想。また、60年代当時は香港と台湾が映画製作の基盤は別であっても、人が互いに行き合って映画をどう作っていったかという状況もわかるので、本当に貴重な記録である。
 草思社のサイトにはまだ掲載されていて、絶版にはなっていないようなので、まもなく東京で始まる侠女&残酷ドラゴン(龍門客棧)デジタル修復版上映に合わせて、書籍が動けばいいなと思っている。特に中華電影を観始めた若い観客には張り切ってオススメしたい。


…と、ここで不勉強丸出しな感想を書いたので、最後にダメ押しで自分の馬鹿さをさらけ出します。
 そういえばキン・フーさんについては、昔中国語の授業で読んだ《香港電影類型論》でもちゃんと論文が掲載されていたんですよ。でもすっかり落ちていたのでした。
ああもうほんとにすみません、そっちもきちんと読み返しておかないとなあ…。

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『台南 「日本」に出会える街』一青 妙

新年快樂   萬事如意

 昨年は劇場で中華電影をそれほど観ていなかったこともあり、あまり更新できませんでした。
今年は劇場のみならず、ソフトやTV放映等で未見作を押さえつつ、できるだけ劇場で観られるように頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
 とりあえず、近日中には年末に観た『ストームブレイカーズ・妖魔大戦(万万没想到)』の感想を書きますね。

 で、年明け初の記事は台湾ネタです。

 相変わらず続く書籍界での台湾ブーム。
一時期の猫も杓子も的「おいしーい、かわいーい、ほっこりー」なトーンはだんだん鳴りを潜めているようだけど、それでも先月はHanakoやCREAで特集が組まれたりで、まだまだこの流れは終わらない感じ。
 そんな中、昨年は東海岸をとりあげた『わたしの台湾・東海岸』を出版した妙姉さんこと一青妙さんがもう1冊出した台南本を読みました。


 前著『わたしの台南』から発展し、見どころの多い台南の中でも、日本統治時代に建てられて、リノベートされた建物を中心に、かなりディープに紹介されているおもしろい本。新潮社の美術グラフ「とんぼの本」のシリーズの1冊なので、建築メインになるのは納得できる。
 雑誌の台南特集でも取り上げられるリノベカフェももちろんあるけど、國華街と西門路に挟まれた西市場や、現地でもパンフレットをもらった昭和天皇が皇太子の時に行幸したルートなど、面白い話が多い。中でも目を引いたのが、新渡戸稲造が関わり、ワタシ自身も昨年足を運んだ台糖の糖業博物館も含む台南に多く残る製糖工場跡と、安平にもある塩田跡。ここはそれぞれ統治時代に発展した産業であるので、これらを回るだけでも南部の産業もわかるのかもしれないなあ。
 もちろん、八田與一の功績は欠かせない。あとはやはり昨年行った新化のさらに先にあるマンゴーの名産地・玉井(統治時代最後の漢人による大規模武装蜂起抗日反乱と言われるタバニー事件があった場所でもある)も紹介されていたのがよかった。

 おいしさや可愛さを求めるのはもちろんアリだけど、もっとつっこんだ旅をしたいと思うのなら、こういう旅も面白い。ここ最近、職場で新渡戸や後藤新平などの岩手の先人と台湾との関わりを調べる機会が増えてきたので、これらを参考にして歴史をたどって行きたいものである。

 そうそう、その調べ物も兼ねて、来月11ヵ月ぶりに台南へ行ってきます。
書店や古書店、図書館で資料を探しながら、まだ行ってない面白い場所へ行くのが楽しみです。あーでも一応旧正月シーズンにかかっているから、《健忘村》《52Hz, I Love You》も観られたらいいんだけど。

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【2016ZINE新刊】『寶島幸福茶舗』ZINE version

 ご無沙汰しております。そしてお待たせいたしました。
今年のZINE『寶島幸福茶舗』完成いたしました。

 予告した通り、昨年と今年で旅した台南について綴ったフォト&エッセイ集です。
blog記事をたたき台にして本文は書き下ろし、blog未掲載の写真も少しあります。
今月開催された第1回文学フリマ岩手で頒布開始しました。

仕様/W148×H210㎜(A5)
28p(表紙カラー、中面モノクロ&カラー)
中綴じ
価格:450円(送料込)



 当日のブースはこんなかんじ。また、こちらにレポート書いてみました。

 また、文フリ合わせで、2年前に製作した『廿一世紀香港電影欣賞指南』も多少の改訂(2016年版前言・後言で『ミッドナイト・アフター』の紹介を追加)を加えて、再発行いたしました。

仕様/W148×H210㎜(A5)
24p(表紙カラー、中面モノクロ)
中綴じ
価格:350円(送料込)

 さらに、昨年製作した『我愛寶島』も愛猫篇・環島篇・日與夜篇も、僅かですがまだ在庫あります。こちらは完売後は再発行いたしませんので、ご了承ください。

【販売方法・お問い合わせ
1・twitterの@bs_yasagure(販売サークル「書局やさぐれ」のアカウントです)をフォローの上DMをお送りください。
2・下のコメントフォームに問い合わせ内容を入力ください。メールアドレスは必須です。
3・funkin4hk☆(@にしてください)gmail.comまでお願いいたします>ただ、こちらからのお返事は遅れる可能性がありますので、1か2でのお問い合わせのほうが確実です。

 なお、来年の6月に第2回文フリ岩手の開催が決定しております。
来年のZINEはこちらに合わせて発行予定。
内容は検討中ですが、旅行記続編は出す予定です。
後は「文学」フリマなので、以前から書いていた某シリーズもそろそろ復活させようかなーと(^_^;)。

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『太陽は動かない』吉田修一

 現在大阪を中心に撮影されている ウーさんの新作《追捕(Manhunt)》
あの高倉健さんの出演作で、文革終了間もない中国大陸で人気を博した映画『君よ憤怒の河を渉れ』と同じ原作小説(西村寿行氏著)の再映画化。つまり、リメイクではないというわけなのね。
 当初はアンドリュー・ラウ監督、アンディ&金城くんの主演、ヒロインはすーちーで企画されていて、監督がウーさんに交替してからもしばらくそのキャスト案は生きていたらしい。でも全てオファーが断られてしまったらしいのと、東アジア映画の大作として製作されることから、『戦場のレクイエム』のチャン・ハンユーが健さんの役どころとなり、映画版では原田芳雄さんが演じた警部を、なんと福山雅治が演じることになった。ヒロインは大陸のチー・ウェイ。他、韓国のハ・ジウォン、日本からは桜庭ななみ、國村隼さん、倉田保昭先生なども出演とのこと(詳細はこちら)。
 製作がおなじみ香港のメディアアジアだけど、メインに香港の俳優がいないのがほんとうに残念。でもこれまで『破風』『ヘリオス』などで、なぜこれだけ大規模な東アジア映画が作られながらも日本が絡めないのかと苦々しく思っていたこともあって、このプロジェクトには成功してほしいと思っているのだ。
 なんてったってさあ、フクヤマの事務所はあのアミューズだぜ。フクヤマや神木くんやタケルやperfumeだけでなく、おでぃーんや中国語が堪能なことをぜひ売りにしてほしい野村周平も所属しているんだぜ。それに20年前には香港映画に出資したり、香港の人気明星たちをサポートしていたこともあるんだし。
 なお、日本ではギャガでの配給が決まり、公開は2018年だとのこと。ちと先が長いなあ。でも楽しみ楽しみ。

 さて、今回は今後製作が盛んになってほしい東アジア映画の原作になれば面白いなと思った小説の感想。以前書いた『路』の吉田修一さんが、前者に先駆けて書かれた初のスパイ&冒険小説です。


 主人公はニュース通信社のホーチミン支局に所属する鷹野一彦。しかし記者とは仮の姿で、アジア各国を渡り歩いては機密情報を入手し高値で売り飛ばす産業スパイである。今回の任務は、新疆での油田開発をめぐる日中韓の利権争いの背後関係を探ること。情報を狙っているのは彼だけではない。韓国人スパイのデイビッド・キムと、AYAKOという日本名を持つ、国籍不明の謎の美女も動き出していた。サイゴンの病院で起きた銃撃事件や、ウイグル過激派が天津のスタジアムを爆破する計画など、複数の関連事件を探りながら真相をつかもうとする鷹野だが、部下の田岡が何者かに拉致されたことから、壮絶な情報戦に拍車がかかっていく…。

 アジアの闇事情に通じる上海雑技団のボス、武闘派のウイグルゲリラ(女性)、中国共産党の若手政治家から、日本の政界の重鎮までが登場して物語に絡んでくるが、日本の目的はエネルギー政策。この小説が発表されたのが4年前の春、しかも書き下ろしとのことなので、3.11は意識していたことはわかる。そういう背景でアジアでのインテリジェンスを描いているので、面白く読んだ。日本のスパイものをあまりよく知らない(公安だったらドラマ&映画の『外事警察』が思い浮かぶんだが)から、なおさらかもしれない。

 でも、ちょっと引っかかりを覚えたのが、鷹野たちがスパイとなった由縁。クールなスパイものにしてはあまりにウェットでヘヴィな背景を背負っているのだ。彼らの所属するAN通信が今いろいろ言われている某公共放送が計画しながら頓挫したアジア版CNNから生まれたというアイディアは悪くないんだけど、兵隊として使われる彼らがあまりに突拍子もない設定をしょっているので、それでいいのかなー?とちと疑問で。この件は昨年発売された第2弾『森は知っている』で書かれているらしいので、文庫化されたら読もうかな。

 いずれにしろ、映画化したらかなり面白そうな話。
日本で企画を立てて香港や台湾に持って行ってもいいだろうしね。制作費がなかなか取れない現実はもちろんわかっているけど、少女漫画原作ばかりでなく、こーゆー重厚な東アジア映画もたまに邦画でやってくれてもよくってよ。

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『店主は、猫 台湾の看板ニャンコたち』猫夫人

 学生時代に初めて台湾に行った時に感じたのは、やたらと犬が多いところだということだった。だけど今は、猫が多いらしい。それは自分自身も旅して感じることが多く、台北の路地裏から墾丁の海岸まで、いろいろなところで猫を見かけてきた。
 ただ、台北近郊の猴侗には残念ながらまだ行ったことがない。ここ数年は台北より北にあまり行かなくなってしまったのと、休日になるといつも人出がすごいと聞くので、ヘタレなワタシはついつい腰が引けてしまうのでしたのよ(笑)

 その猴侗で猫ボランティアに従事し、『世界ネコ歩き』台湾編のコーディネーターを務めている猫専門フォトグラファー・猫夫人こと簡佩玲さんが5年前に発表したフォトエッセイがこれ。


 こちらが前作。これで猴侗が一躍名所となったとか。

 また、猫夫人は日本最北端のネコ島として知られる宮城県石巻市の田代島にゃんフォトコンテストでも大賞・金猫賞の入賞経験があります。こちらのblogに写真がありました。かわいい~(=^・・^=)

 登場するお店は、写真と住所を見る限りいずれもローカル的で老舗っぽい雰囲気を醸し出している。乾物屋などのお店で猫を飼うのは、もともと店に出るネズミを捕ってもらおうという理由が大きいのだろうけど、ネズミを捕るのが下手くそな猫はそのまま家族あるいは店員として一緒に暮らすというのがいい。そして、ご近所にもお客さんにも可愛がられて自由に生きている様が写真から伝わってくるのもまたいいのだ。

 また、どの店の猫にもそれぞれの物語があり、それぞれの個性がある。お客さんが苦手な猫もいるし、店の売り物を食べちゃう猫もいる。店にやってきて飼われるようになった理由も様々で、ほとんどの猫が保護猫出身じゃないかなと思われる。
 猫夫人はただ猫の写真を撮るだけではなく、猫と人との共生を目指して活動している。それはあとがきでも詳しく述べられているのだけど、これまで台湾人は猫に迷信や悪いイメージを抱いていて尊重してこなかったというのがやや意外であった。まあ、それは以前は野良犬を多く見かけたというのと関係があるかどうかというわけじゃないのだろうけど。でも、こういう写真を見たり、実際に街で猫を見かけたりする限りでは、台湾の人々の親切は何も人に対してだけでなく、猫や犬のような小さきものにも向けられているのではないか、などとついつい思ってしまう。

 猫カフェももちろんいいんだけど、街なかの商店街でノビノビしている猫に出会えて、ちょっと遊んでもらえたらそれはそれで嬉しい。それがきっかけでお店の人や近所の人と話ができればなお嬉しい。そんなところからだって台湾を知ることができそうだな、などとも思ったのでした。
 今度は『猫楽園』も買って、次の旅で猴侗まで足を運べたらいいけど、休日はかなり混雑するともいうからねえ…。でも一度行ってみたい。

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台湾人作家の見る日本×日本人翻訳家の見る台湾@不忍ブックストリートweek2016

 2005年から始まり、毎年谷根千地域を会場に行われる日本最大の地域型ブックイベント・不忍ブックストリートweek
 ここ数年はGW中に開催され、古本をダンボール一箱分のスペースで売る一箱古本市を中心に様々なイベントが行われています。不肖もとはしも、書局やさぐれ店主として昨年の一箱に参加いたしました。
 このイベントの中心人物である南陀楼綾繁氏の著書『一箱古本市の歩きかた』によれば、一箱古本市は『牯嶺街少年殺人事件』の、夜市で古本が売られていた場面から発想されたとのことで、台湾好き&本好きとしては何かを感じさせられるものが大いにあります。

 そんな今年の不忍で、4月29日に開催された台湾トーク「台湾人作家の見る日本×日本人翻訳家の見る日本」に参加してまいりました。遅くなりましたがご報告を。
 ちなみにこのイベントで行われた台湾関連のトークショーは、2014年の「台湾で本を売ること、作ること」に続いて二度目だそうです。

 ゲストは東京在住の台湾人作家、張維中さんと、『歩道橋の魔術師』 『日本統治時代の台湾』の翻訳者で台湾文学を中心としたブックカルチャーを紹介しているサイト「もっと台湾」主宰の天野健太郎さん。
 トークはオール日本語。張さんは8年前から日本に住んでいて日本語も実にペラペラですが、日本語で長時間トークされるのはこの日が初めてだったそうです。

フライヤーいろいろ。一番上の猫の写真は天野さんの最新翻訳作『店主は、猫』のアドカード。


会場は谷根千〈記憶の蔵〉。現在は映画保存協会の資料保存庫としても使われているそうですが、かつては八路軍で働いていた看護婦たちの荷物保存庫だったとか。

 張さんはまだ著作の日本語訳がないそうですが、著作『天地無用』の一部訳が読めます。
 小さい頃から家族が「日本製のものはいいよ」など、よく日本の話をしていたことと、90年代末からの哈日ブームの頃は大学生で、その頃映画の『Love Letter』にハマって2回観たとか。初日本旅行は大学4年の頃で、それ以来年一回くらいで来日。他に香港や米国にも旅をしていて、旅した場所を作品の舞台にすることが多かったとか。
 15年前くらいは、英語が喋れない日本人が多く、旅するたびに「よし、日本語を勉強しよう!」と決意しては挫折を繰り返し、そこで日本で本気で1年間頑張ってみようと思って2008年から早稲田に留学し、専門学校で雑誌編集デザインを学んだ後、現在は出版社に勤務して台湾のガイドブック等を作り、台湾で小説やエッセイを発表しています。

 一方、天野さんは90年代中盤の香港返還をきっかけにした中華カルチャーブームの洗礼を受け(同志よ!と思ったら見事に同世代でした。納得)30歳を前にして中国語を学びたいと決意し、香港と台湾に行ってみたが、後者の方が暮らしやすいと思い、師範大学の國語中心に留学。その後通訳・翻訳者を経、2010年から台湾の本を日本で売りたいと『台湾海峡一九四九』を翻訳して白水社から出版したそうです。

 台湾ブームは2000年からあったが、一気に注目されたのが震災後のあの義援金のことから。それを好機といろいろと活動をしている天野さん曰く、台湾ブームには、90年代後半の、司馬遼太郎の『台湾紀行』、台湾在住の片倉佳史さんや青木由香さんが発信する日本人からの視点のものがあるという。それぞれをファーストウェーブ、セカンドウェーブと名付けると、未だに盛んなのはセカンドウェーブであり、その延長線上として旅行誌や女性誌で取り上げられる台湾は消費されるものばかりなので、小説やノンフィクション、建築やデザインなど台湾人が発信する台湾カルチャーをサードウェーブとして紹介したいという話が一番印象的でした。

 90年代初頭から今に至るまでたびたび台湾に渡り、家族も住むようになった身としては、義援金についてはもちろん感謝しているし、以前に比べて台湾のことを話しやすくなった嬉しさはあるんだけど、雑誌やwebで特集される台湾は「美味しい、かわいい、ほっこり」なものばかりで、それだけじゃなんだかなあと思ったのでした。悲情城市のロケ地として観光地となった九份を、某ジブリアニメのモデルとなったなどと紹介されるのもなんだか違和感だったもの。
 ワタシ自身、かつて一周旅行までしたこともあるけど、詳しく知ることなく今に至っている。それに中華商場もだけど、あの頃あった思い出の場所や遊び場もなくなってしまっている。第二の故郷とも言えた淡水も、もうすっかり変わってしまってビックリしたもの。
それでも、今の台湾は興味深い。日本統治時代の建物のリノベーションや、日本のカルチャーに影響を受けて自分たちの街であれこれトライしてローカルカルチャーを育っていく若者たち。ここ数年足を運ぶために、いろいろな面白さを感じるし、それを踏まえて映画や文学やデザインを見ていくとほんとうに面白い。ただ癒されに行くだけでなく、歴史や社会の上から生まれた台湾カルチャーを大いに味わい、いろいろな発見ができるのが楽しいんですよね。あ、もちろんおいしいものは正義ですから、こちらも助けられています。

 

 当日購入したりいただいたりしたもの。左は各主要都市のランドマークをデザインした高鐵特製ふせん(これはもちろん台南ね)と印花樂の付箋、そして張さんのエッセイ『夢中見』。エッセイは張さんに質問していただきました。ちょっとずつですが今読んでいます。
 そして右は岩合さんの世界ネコ歩き台湾編のコーディネーターを務めた猫夫人の最新フォトエッセイ『店主は、猫』。
後日、こちらの感想もアップいたします。

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寶島幸福茶舗【おまけ&告知】

 旅行記自体は前回の記事で完結しましたが、今回は番外編ということで。
まずは買ったお土産を幾つか。

 オークラの鳳梨酥の箱。
デザインがステキなので、食べた後に取っておいてます。

林百貨で購入した無米楽のお米。
「米どころに住んでるのになんで米買うんだよ」とつっこまれるかしらん(笑)
これはクックドゥのアジアン鶏飯と一緒に炊きこんで美味しく召し上がりました。

すっかり台湾土産の新たな定番となったヌガー。
これも林百貨で買った安平のヌガーです。

これは全然台湾じゃないか(笑)東南アジアでよく使われている蝦醬。
ちょうどTLで蝦醬で鶏手羽先&手羽元を漬け込んだ料理が流行っていて、思わず買っちゃったのでした。においはかなり強烈だけど、美味しく焼けますよ。

嘉義の新台湾餅舗で買ったのは台湾型の鳳梨酥。
これをオークラのヌガーと一緒に中国茶会に持って行っていただきました。

 今回は割と写真多めに掲載したのですが、文章との兼ね合いで載せることができなかったのも多々ありました。これもいずれはなにか形にしたいと思っています。

 さて、ここしばらくは年に一度のzine発行を恒例としていますが、昨年は以前の旅行の写真を自ら製本した写真集を作りました。
 今年は、この旅行記と昨年の台南滞在記をもとにしてzineを作成します。
 初販売は来たる9月4日(日)に開催される文学フリマ岩手です!
 結構なボリュームになると思いますが、相変わらずのコピー手製本で作りますのでどうなることやら。これから以前の記事や資料をひっくり返し、写真もここに載せなかったもの中心に選択して、この夏いっぱいかけて執筆いたします。はい、頑張ります。

 いやー、言っちゃった。
これはもう後には引き下がれないぞー。あはははははははは。

 とは言え、このblogも出来る限り更新いたします。
今後のアップ予定は、4月に不忍ブックストリートで開催された台湾トークのレポートと、『台湾新電影時代』『山河ノスタルジア』の感想ですよー。
これもなるべく今月中に上げる予定です。

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『日本統治時代の台湾』陳 柔缙

 これまで何度か書いていたけど、ワタシの師匠は台湾生まれの日本人、すなわち湾生である。最近blogを始めたので(といいつつ管理しているのはこの弟子なのですが>宣伝)、今後台湾で過ごした少女時代のことも、きっと語ってくれるはずである。
 また、今年の大阪アジアン映画祭のオープニングは、台湾で大きな反響を呼んだドキュメンタリー『湾生回家』。今年の秋、岩波ホールでの上映も決まったとのことで、観るのがとても楽しみだ。

 今回取り上げる『日本統治時代の台湾』は、師匠にもオススメした本。
コラムニストの著者が、題名通り日本統治時代の台湾の庶民史を、当時を知る人々からの聞き取りや日本語資料等を調べあげて、26のエピソードとしてまとめたノンフィクション。


 これまでは大きな中華圏の一部として台湾を捉えてきたけど、日本人的には、どうしても日本統治時代は台湾においてネガティヴに捉えられているのではないか、とかなり長い間思っていた。留学中に釣魚台事件が起こり、学内外で沸き起こった反日運動に巻き込まれたことがあったのでそう考えたり、環島の旅で出会ったお年寄りに「私は今でも日本人です、尊敬する人は天皇陛下です」などと言われると、自分のことでもないのに妙な照れくささやこそばゆさを覚えたものだった。
 実は20年前に他界した祖母が奉公時代に台湾や満州に渡っていたらしいのだが、とてもつらい思い出ばかりだったらしく、彼女はあの世にそのことを持って行ってしまった。だから、その時代のことはアンタッチャブルなのかと思っていたのだが、実際に青春時代を台湾で過ごした師匠の話を聞くにつれ、実はそんなに辛いわけじゃなかったのでは?と自分の思い込みを疑問に思うようになった。
 そして、『海角七号』『セデック・バレ』『KANO』と魏徳聖さんの日治三部作と言える映画を観たり、旅の中で統治時代の建物などに出会うことで、統治時代の台湾の、いろんな意味での複雑さ、もっとざっくり言うと面白さを改めて知った。その延長線上で、この本を面白く読んだ。

 台湾初のマラソンで大活躍した台湾人ランナーの話から始まり、ご存知一青妙&窈姉妹の先祖、基隆の顔家で起こったとんでもない盗難事件(!)、その顔家も含む台湾五大名家とイケメンセレブ、思わず近松門左衛門を江戸時代から連れてきたくなる美麗島心中(近松は鄭成功を主人公にした『国性爺合戦』を書いているしね。ついでにこの冬NHKで放映されていた『ちかえもん』面白かったわ)、板垣退助や閑院宮殿下の訪台とその顛末、といちいち書いているときりがないけど、戦後間もない米軍占領時の日本に渡った張超英のエピソードで締めくくられるまで、日本人も台湾人も、老いも若きも、お金持ちもビンボーな人々も、あらゆる人々の50年間の台湾での人生が詰まっている。どこから読んでも面白く、非常に興味深い。

 台湾はいい国だ、だって親日だからだと無邪気にいう人は少なくない。だけど、なぜ親日なのか?と考えると、非常な複雑さを覚える。もちろん、それは台湾人の持つ愛にもまさる親切心のなすところが一番大きいのだけど、こういう昔の姿を、決してかつての日本礼賛的な視点を全く抜きにして見ることもその助けになるのだろうな、などとふと思った。台湾人の著者がまとめたこともあり、非常に公正な視点で書かれているのも好感度が高いしね。

 で、師匠の思い出話を聞いたり、このような面白いエピソードを読んだことでふと思ったことがある。もしかしたら、日本統治時代の台湾で青春期を送った女性をヒロインにした朝ドラなどというのもできるんじゃないだろうかと。
 でも、それは絶対できない。だって企画した時点から、いろんなところからいろいろ言われそうだものね(汗)。

 そんなことを考えながら感想を書いてみましたが、例によって例のごとく、この記事に関する政治的な点においてのツッコミが寄せられても、一切ノーコメントを貫かせていただきますので、あしからず( ̄ー ̄)ニヤリ。あくまでも「※意見には個人差があります」

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『明月』蔡 素芬

 この度の台湾南部地震で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 この春、台南へ旅しますが、ワタシが行くことで現地のためになればと思っております。ってなんか偉そうですみません。

 さて、今回はその台南と高雄を舞台にした約20年前の台湾のベストセラー、《塩田児女》シリーズの第1弾『明月』の感想。なぜこれを?という理由は、この小説は我が地元、岩手県紫波町の地方出版社・桜出版から発売されているからなのです。これまでの台湾小説は、少出版社でありながらも東京の会社から出版されることが多かったのですが、ここ数年は地方の出版社からも出ているようです。
で、なぜ紫波町の?と不思議に思ったのですが、昨年11月に盛岡市で行われた台湾文学講座(こちらで多少触れてます)でわかりました。この小説の邦訳を監修された翻訳家の林水福さんが、石川啄木の中文訳をされていた方なのでした。啄木といえば盛岡の先人。もしかしたらそんな縁で、こっちの出版社で引き受けることになったのかしら、と推測しておりますが、真意はいかがでしょうか?


 台南郊外の七股は、塩田による製塩業が盛んな集落。王明月は塩田農家の二番目の娘である。しかし塩田だけでは子供たちを養えず、父の知先は台北に出稼ぎに出ており、明月は姉の明心と共に、ひどい喘息を患って寝たきりになっている母・阿舎の世話をしながら塩田を切り盛りしていた。やがて成人した明心が嫁いで家を出るが、程なくして病で命を落としてしまう。そこで阿舎と知先は、明月に婿を取ることを決める。明月は幼なじみの漁師・大方と相思相愛だったが、大方は一人っ子のため婿入りさせられず、慶生という男が王家の婿に入ることになった。
 しかし、慶生は明月と結婚した途端、塩田業を手伝うことなく博打に明け暮れる。お互いに愛がないことを知りながらも、小さな子供がいることでどうしても別れることができなかった。やがて漁から大方が帰り、明月と再会するが、二人の恋は燃え上がり、彼女は大方の子供を宿す。
 そんな中でも慶生は博打で借金を増やしていく。いよいよ塩田業だけでその借金は返せなくなってしまい、明月は七股を離れ、一家揃って高雄に移住して働くことを決意する…。

 物語は40年代末から始まる。昨年秋の台湾文学講座で、著者の蔡さんが自作を解説してくださったのだが、曰く、この小説では戦後早期の台湾女性の典型的な姿を描くことを試みたらしく、貧しい村での農業の発展、そこから工業へと主産業が変化し人口が減少していく様子も合わせて描いたとのこと。人口減により七股の製塩業は衰退し、92年に生産をストップしてしまったものの、今でも塩田は残っているので、台湾でこの小説が出版された時、塩田を見に行く人が増加したらしい。昨年、安平の夕遊出張所にも行ったのもあるけど、予定次第かな。

 読んでみて思ったのは、いやー、メロドラマだな~ってこと>当たり前だけどね。
台湾では1998年に全20回の連ドラになったそうだけど、日本だったら昼メロだろうなあ。慶生が安定のクズなので、大方とのロマンスが引き立つのも子供出来ちゃうのもお約束だしね。
 まあ、オーソドックスだよなー、もうちょっと意外性があってもと思って読んでたら、クライマックスで慶生が!そして窮地に落とされた明月に思いがけない助け舟が!という展開になり、えーっ、そこで終わるの!と驚いた。で、この後は明月の娘・祥浩が80年代の台北で大学生活を過ごす続編『オリーブの樹』で読めるようなので、そのうち買って読みますわ。で、実はこの祥浩が…なんだけど、それも続編の感想で改めて書きますわ。

 しかし、「明月」だけでとってもステキな題名だと思うから、わざわざ英題の「クリスタル・ムーン」ってつけなくともよかったのよ。あとね、訳文はもう少しブラッシュアップしていただいてもよかった。女性なのに男言葉で話されたり(某東京中国映画週間のオネエ字幕を思い出した)、原文の固有名詞をそのまま使ったので日本語で漢字が出てない箇所が多少あって気になった。続編ではそのへんが解消されていることを願います。

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