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2014年5月

サイレント・ウォー(2012/香港・中国)

 

『レッドクリフ』二部作の製作から『グランドマスター』の完成までの期間はだいたい5年。後者の撮影は2009年から始まったと聞くので、この期間にぴったり当てはまる。しかしこの間、トニー・レオンはそれのみ撮影していたわけではない。2年前に一時期撮影が中断していた時、『大魔術師』とこの『サイレント・ウォー』の2本に出演している。この2作の共通点は、周迅と共演していること、そして舞台が大陸であるということか。
 ただし、日本公開時のダイアログは前者が普通話、後者が広東語。なんでだ。


 1949年、新中国設立前夜。共産党の特務機関「701部隊」の諜報員200号こと張學寧(周迅)は、ボスの老鬼こと郭興中(王學兵)に、暗号解読のために優れた聴覚を持つ者を探すという任務を受ける。上海に飛んだ彼女は、 聴力に優れたピアノ調律師の羅耳三(パル・シン)に目をつけるが、その間一騒動に巻き込まれる最中に出会ったのが、羅の相棒で目の見えない何兵(トニー)。彼の聴力に羅以上の可能性を感じた200号は部隊にスカウトする。その目論見は成功し、何兵は国民党の通信傍受に成功する。
 何兵は部隊の重要人物になり、同じ部隊に所属する沈静(メイヴィス・ファン)と恋仲になって結婚する。そして200号は郭から老鬼の地位を譲られて、新たなミッションを与えられる。それは通称「重慶」という国民党で重要な位置を占めるスパイの正体をつかむことであった…。

Silentwar


 中国の作家・麦家による長編小説『暗算』を映画化したということだが、すでに2006年に大陸でドラマ化されており、この麦家自身が脚本を手がけたらしい。
そんなベストセラーである原作だが、これを映画化したのが、我らが無間道脚本家コンビ、アランさん&フェリックスさん。
 時代設定は新中国創立の1949年頃。背景には国共内戦。そしてメインは共産党の特務機関。なるほど、確かにこれなら、この批評みたいに「国家礼賛のプロパガンダ」って言いたくなるでしょうねー。
 でもさあ、それ言ったら古今東西の諜報ものはすべてプロパガンダになるってことかよ。舞台が中国で何兵の目が見えなくなった原因が日本兵にどやされたから抗日でプロパガンダって安直すぎてつまらないし馬鹿らしい。映画は娯楽なんだから、こんなところにまで嫌中思想持ち込まないでほしいよ。

 とはいいつつも、物語的にはかなり辛くて厳しい。
200号と何兵は安直な恋愛関係にはならなかったものの、能力を利用し、それを発揮させたことで、かけがえのない仲間としての繋がりが二人の間に生まれたのだろう。そもそも彼女が恋愛体質ではなさそうなキャラであることは明示されていたようだし、国民党員の父親をもったことで不当な評価を受けていた沈静を何兵が支えられたのは、やはり自分も部隊の中では異端だったからじゃないのかな。
 だからこそ、後半の作戦のあのしくじりを大いに悔いたのはわかるんだけど、いくら何でもアレは…。それが安易に読める展開であったから、なおさら辛いのよ、ああ。

 以上のような部分を割りきって、ファン的にはトニーの姿を愉しめばいいやと思いましたよ。まあワタシも寝顔がいいなあとか思って観ていたわけだし。
 「目で殺す」キャラと言われてだいたい四半世紀のトニーだが、その眼力を封印させて演技派の本領を発揮させたいと願うクリエイターが多いのか、失明する役どころは『楽園の瑕』  『地下鉄』未公開の《偷偷愛你》(多分観てないようなのだが…。参照は大陸版wikipedia)に続いて4作目だそうだ。なんでそんなに眼神演技を封印させたいんだ香港映画人(苦笑)。
 序盤に見せる白濁した瞳はあまりにも痛々しい。それでいても見つめられているような気にはなるんだけど、それでも痛々しい。そんな彼も視力が回復できることになり、手術を受けて見えるようになった喜びやら、沈静を見つめる眼差しの柔らかさなどはさすが眼神って言いたいんだけど、それでも悲劇が…。
 でも、キャラ設定はちょっとブレていたんだじゃないかな。200号と出会った時の、これまで街で必死に生きてきた人間ゆえのスレてて人をなめくさってて、それでいてどっか可愛さのある雰囲気(割と得意な感じのキャラね)がよかったのに、諜報局に招かれてからはどんどんシリアスになっていったわけだし、うーん、そのへんが個人的に惜しいです。

 まあ、感想はこんなんでいいかなあ。比較的ネタバレ少なめでお送りしました。
しかし、『グランド・マスター』公開と今年のベルリン映画祭審査員を経て、現在休養中のトニーだけど、髪が伸びた頃にはゆっくりペースでも構わないから、香港での新作に出演してほしいなあ。一代宗師を含んだここ数年の作品で、香港映画に関心ない人々にはすっかり「中国の俳優」扱いされているみたいだしなあ。あ、『1905』以外の日港合作の企画でもいいんですよ。外野に余計なことを言わせられないしっかりしたオリジナル企画、出てこないかなあ。ワタシが出したいくらいだけど、プロちゃんじゃないですし、場末のアマチュアブロガーですから。

原題:聽風者
監督&脚本:アラン・マック&フェリックス・チョン 原作(『暗算』)&脚本:マイ・ジア 製作:ロナルド・ウォン&チャーリー・ジュオ 音楽:チャン・ウォンウィン 撮影:アンソニー・プーン 編集:パン・チンヘイ
出演:トニー・レオン ジョウ・シュン メイヴィス・ファン ワン・シュエピン パル・シン キャリー・ン

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ドラゴン怒りの鉄拳(1971/香港)

 かつてのワタシは「ローマの休日を観たことがない映画ファン」だった。
 そして少し前までのワタシは「李小龍作品を観たことがない香港映画ファン」であった。
 はい、そこでドヤ顔禁止ね自分。そんなこと言ってもいいことなんか全然ないから(笑)。

 李小龍さんの没後40年を迎えた昨年は、ちょうどうまい具合に師匠の葉問を描いた『グランド・マスター』が完成し、WOWOWでも出演作が放映されていたが…え~と未見作がまだHDDに入りっぱなしです、あはははは。

 フォーフォーこと『SPIRIT』で取り上げられた霍元甲は実在の人物だけど、彼の弟子とされるこの映画の主人公・陳眞(李小龍さん)は架空の人物。でも、その後は梁小龍さんやリンチェイ、小春が演じている。ド兄さんは1995年にドラマで、そして2010年の『レジェンド・オブ・フィスト』で二度演じている。
 なぜそんなに人気なのか?と言えば、うーむ、まあもにょりたくなるので、また後でねえ…。

 20世紀初頭の上海。ここに、中国きっての名武術家・霍元甲は武術館を開き、若き武術家たちを養成していたが、ある日、謎の死を遂げる。弟子の陳眞は悲しみにくれるが、租界で道場を開く日本人鈴木(橋本力)らが現れ、弟子たちを「東亜の病夫」と侮辱する。それに怒った陳眞は虹口に乗り込み、大暴れする。兄弟子や恋人である師匠の娘麗児(ノラ・ミャオ)は陳眞の無鉄砲ぶりを心配する。やがて、陳眞は師匠が料理人に化けていた道場の日本人に毒殺されたという真実を知り…。

 最近の映画はアクションでもステディカムで撮ったり、動きに合わせて撮るので、わかる人にはそれでごまかされてるなーと感じるところはきっとあるんだろうなあ、とこの映画の安定したカメラワークを観て思った。襲いかかる敵に対して陳眞がどう動き、どう相手を封じるのかが非常に興味深かった。これなら李小龍さんに憧れる男子は多いわけだし、夢中になるわけだよな、と。キャラ的には手のつけられない暴れん坊っぽいんだが、まあそのへんは若いんだから、ということにしておこう。彼を批判的に見る道場の兄弟子もいるわけで、そのへんで客観性は保てているんだろうし、リベンジものとしても出来がいい。銃撃に向かうラストの大跳躍もいい決め方で、彼の最高傑作と言われるのも大納得。ヒロインのノラ・ミャオさんも可憐だし、道場に女子の拳士がいるのもいい感じ…とはいってもクライマックス前でやられちゃうのが悲しいんだけど。

まあ、引っかかるといえば、やっぱり敵役が日本人ってことでしょうかねー。しかも袴が後ろ前だったり(それはスタッフの「こっちの方がかっこいい!」という意思の尊重だと聞いたが)、芸者のストリップダンスだったりで、今のおもいっきりライトサイドでこういうのがわからない輩には国辱だーとか言われちゃうんだろうな。でも、こういう傍若無人さなら、同じ日本人でもムカつくよ。田中安野(といえば獅童)ばりに「貴様は日本の恥だ!」と言いたくなるし、実際やりたい放題の輩もとうじはいたんでしょ?それならボコられちゃっていいのさ、ははははは。

こんな感じの軽い感想ですいません。今後も劇場で観た李小龍作品の感想は書いていきますが、以前も書いたとおり思い入れが薄めなので、失礼なことはたくさん言うと思います。どうかお許しください。
でもこれだけは言おう。メインテーマの変奏曲で、切ない場面にかかる曲がどっかグランドマスターっぽかったぞ。こんなこと書くと、また李小龍マジファンの人に怒られるかしらん。

原題(英題):精武門(Fist of Fury)
監督&脚本:ロー・ウェイ
出演:ブルース・リー   ノラ・ミャオ   ティエン・フォン  橋本  力   勝村   淳  ボブ・ベイカー

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危険な関係(2012/中国)

 今年上半期、中国をはじめとした中華圏で大流行したのは、『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョンが久しぶりに主演した韓国ドラマ『星から来たあなた』だったという。また、台湾在住の弟によると、若者も聴くのはK-POPがほとんどとのことだとか。10年くらい前から台湾で韓国ドラマが人気になっているとも聞いていたし、あれからかなり年が経っても、思った以上に大韓娯楽は中華圏の若者に浸透しているようである。日本も今、アミューズが所属アーティストの中華圏ライヴを次々と開催したり、吉本が芸人を台湾や香港のTV局に送り込んでいるようだが、もう少し早く動いてもよかったんじゃないの?と思った次第。まあ、いろんな事情もわかってるんだけどね。

 そういえば、ペ様が日本に上陸して猛威を振るってから早くも10年。お好きな方には本当に申し訳ないのだけど、韓流ブームのあの大嵐のせいでそれ以外のアジアンエンタメが駆逐された感があり、これ以後どうも大韓娯楽についての印象が悪くなってしまったのである。でも、韓国映画はある程度好きだ。今でもポン・ジュノが新作を撮ったといえば観に行くし、香港より生々しいバイオレンスも薄目を開けながら観てしまう。まー、たまにそのくどさが食傷気味に感じることもあるけどね。
 まあ、そういう映画が目立つせいで、カンフー以外の香港映画がいつも韓国映画に間違え…げふんげふんげふん。

 気を取り直し、そんなワタシが初めて好きになった韓国映画は『8月のクリスマス』。その映画を作って脚光を浴びたホ・ジノ監督は、近作を大陸で撮っている。それをすっかり忘れていた。最初の作品『きみに微笑む雨』は韓国との合作扱いだったが、同郷のチャン・ドンゴンを招いて完全大陸資本で作った2作目が、この『危険な関係』。原作はラクロが書いた小説だが、これまでに何度も映画化されている。数えてみたら9回目だそうだ。ちなみにアジアでもすでに2回(最初は1978年製作の藤田敏八監督による同名の日活ロマンポルノで、その次がペ様主演の『スキャンダル』)映画化されている。詳細は公式サイトにあり。一番有名なのはロジェ・ヴァディム監督の最初の映画化作品(1959)と、スティーブン・フリアーズ監督、グレン・クローズ主演のイギリス映画(多分。1988)、ミロシュ・フォアマン監督のフランス映画『恋の掟』(1989)かなあ。



 1930年代、上海。謝易梵(シエ・イーファン/ドンゴン)は社交界でもよく知られた名うてのプレイボーイ。現在は大叔母の雪姑(リサ・ルー)の元に居候し、気ままに暮らしていた。ある日、ファンは大叔母を尋ねてやってきた未亡人の杜芬玉(トゥ・フェンユィ/ツーイー)と出会う。彼女のかつての夫は東北にあった大学教授であり、夫亡き後も学生や知識人を援助したり、子供へ教育を施そうとして社会活動に邁進していた。
 上海の社交界の花にして実業家の未亡人・莫婕妤(モウ・ジエユィ/セシリア)は、再婚を目論んでいた大富豪が女子学生の令嬢・貝貝と婚約したことに怒り狂い、ファンに貝貝を誘惑することを依頼するが、彼は断る。その代わり、パーティーに寄付の呼びかけのためにやってきたフェンユィを見て、生真面目で亡き夫への忠誠を誓った彼女を自分に夢中にさせることかどうかで、モウ夫人と賭けをする。賭けたのは自分の相続した土地。そしてフェンユィを落とせば、彼はモウ夫人を好きにできる権利を得られる。
 こうして始まった危険なゲームは、貝貝と彼女に思いを寄せる貧乏な美学生戴文舟(ショーン・ドウ)を巻き込み、意外な方向へと展開するのであった…。

 この記事を書くために、公式サイトと共に簡体字版Wikipediaも調べたのだが、これホント?最初、ホ・ジノさんはレスリーとマギーで撮りたかったの?つーことは、ドンゴンとセシの役どころを当てるつもりだったのか?うーん、レスリーのプレイボーイ役はこの時代だと『花の影』を思い浮かべちゃって、あまり新味がない。マギーは上手いからセシの演じた悪女も朝飯前な気もするが、やっぱり実現しなくてよかったんじゃないかなあ。

 希代のプレイボーイがゲームに乗り出し、標的と戯れているうちに恋に落ちてしまうという設定には特に新味はないので、ここはどのように見せるかという点でチェックしてしまう。
恋愛ものが上手いホ・ジノさんなので、そのへんは一工夫をしている。ファンとフェンユィの駆け引きや、ファンとモウ夫人の罠にかけられて恋に落ちてしまう貝貝とダイの揺れ動く感情を表すのには、クローズアップが多用されていた。正直、顔相撲…もといクローズアップが多いと、ちょっとくどさも感じないわけではないのだけど、王道な撮りをしているので、割とあっているのじゃないかと思う。

 これを観た時は、ちょうど金像奬を始めとした中華圏の主要映画賞の最優秀女優賞を一代宗師でツーイーが総なめした頃。ツーイーは基本あまり好きではないのだが、派手な悪女や跳ねっ返りばかりだけじゃない幅の広さを身につけてきたのはよくわかる。だから身持ちの堅い未亡人役も違和感なくしっとり演じられているなと感じた。うーむ、だけど、彼女の演じるモウ夫人も見てみたかったかもね。

 ドンゴンは、もしかして唯一の韓国人キャストか?中国語映画には『無極』で経験があるので、特に違和感がない。言葉も多分自分の声だよね?この人、やっぱどえらいハンサムだよなー、と改めて思ったよ。レスリーよりも適してるんじゃないかな。…ええ、もちろん、惚れないよ全くもって(笑)。
 ところでドンゴンといえば『無極』で見せてくれたあの豪快なドンゴン走り。これはジョーと共演した日韓合作『マイウェイ』でもそれを見せてくれていたので、ものっそい顔して猛烈に走るドンゴン走りがこの映画でも見られたらもっと嬉しいわーと思っていたのだが、うん、さすがにここではなかったね。あはははは。
 そしてセシ…。あの忌まわしい事件から歳月が経ち、女優復帰して久しくなったが…、うーん、うーん、もう『星願』の頃の、ユニークな声の愛らしい彼女はいないんだなと思って寂しくなる。妙に浮いて見えるマスカラがなんか似合ってないなあとか、号泣する時にあげる悲痛な叫びがなんか聞き苦しいとか、なんかもにょりたくなる要素も多かった。もうすっかり大人だから、こういう悪女役もこなせるんだろうけど、逆にフェンユィが演じられるってわけじゃないだろうしなあ。もったいないとは思うけど、それじゃ彼女に何が似合うのか?と問われてもまた悩む。
 後は貫禄のリサ・ルーさんとか、『サンザシの樹の下で』のショーンくん(大陸俳優で英語名持っている人って珍しいよな…って以前も書いてたわ。ははは)に手を振らせてもらった次第。まあ、そんな感じかな。

 最後に私的な話になるが、実は今現在、我が街で公開された新作中華圏映画は、これと3月に上映された『三姉妹・雲南の子(残念ながら予定が合わずに断念)』の2本しかない。この状況はあまりにも寂しいなあ。現在の日中関係が映画配給に影響してるとか言われたら、それはすごくもったいないなと思う。まあ、多分東京での入りとか何だらがあるんだろうなと思うのだけど、こんな状態でシネマートでたくさん上映されているような香港映画の地元配給を願うには、やっぱり厳しいのかしらね…(泣)。

 と、暗い話で締めてしまってごめんなさいでした。

原題&英題:危險關係(Dangerous Liaisons)
監督:ホ・ジノ 脚本:ゲリン・ヤン 原作:ピエール・コデルロス・ド・ラクロ
出演:チャン・ツーイー チャン・ドンゴン セシリア・チャン ショーン・ドウ リサ・ルー

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セデック・バレ(2011/台湾)

 本文の内容とは全く関係ありませんが、台湾つながりではまずこれを言っておかなければ。

 

本blogは、花巻―台湾間の国際線定期便の実現を願っています。

 このところ、初めての海外個人旅行先として台湾が一般的にも注目されてきているが、ここ10年ばかりは弟が断続的に働いていたり、師匠の生まれ故郷ということで、その関係で台湾を旅するということが多くなってる。
 そういえども、ワタシと台湾との関係ももう長くなる。初めての海外留学にして、初めて長く住んだ外国がここだった。そして、この留学に備えていろいろ調べていた時、霧社事件のことを知り、同期留学の友人とともに霧社を訪れたことを思い出した。

 

『セデック・バレ』は霧社事件を描く2部作の大作映画。ただ、地元では残念なことに劇場未公開。キネマ旬報ベストテン洋画部門で4位にランクインするなど、評価は非常に高かったものの、特集上映にも入らなかった。それはやはり上映時間約5時間という長さなのか、はたまた日本人と戦い、首を狩るという展開が残虐性や右寄りの人々に反感を買われるからと思われたからなのか…?そのあたりは後ほど。


 1895年、日清戦争での勝利により、日本は台湾を占領し、統治することになった。
 台湾には清から移り住んだ台湾人(漢人)の他、先住民(蕃人)も多い。その先住民の一族であるセデック族は中部の山間部にすみ、それぞれ社(部落)ごとで生活し、社間の闘争や社の儀式として「出草」と呼ばれる首狩りの儀式を行っていた。モーナ・ルダオ(大慶/林慶台)は出草を経てひとつの社を率いる統領となったが、彼らの住む山間にも日本軍はやってきた。
 1930年。セデック族のテリトリーには多くの日本人が入り込んでいた。セデックの者はダキス・ノービンこと一郎とダキス・ナウイこと二郎の花岡兄弟のように日本人名を名乗って暮らしたり、娘が日本人に嫁ぐなどしていたが、それを避けてさらに山奥へと登って暮らす者もあった。統治側の日本人警官にも、現地語を話せる小島巡査(安藤政信)のように、原住民を理解する者もいたが、セデック族と日本人との対立は絶えなかった。
 長年日本人に抑え込まれ、一触即発状態が長く続いてきたセデックたちは、その怒りを民族の誇りを取り戻すという決意に変えて、出草の実行を決意する。(第1部・太陽旗)

1930年10月27日。霧社の公学校で行われた連合運動会がセデック族の複数の社の者によって襲撃され、男たちだけでなく女子供も区別なく殺され、首を狩られた。二郎の妻のセデック人高山初子(ビビスー)のように現場に居合わせたものの難を逃れた者もいたが、小島の妻(田中千絵)は命を失った。日本軍は鎌田司令官(河原さぶ)の指揮により反撃を開始。高地戦に長けたセデック族は苦戦を強いられるが、長年モーナと対立してきたタイモ・ワリス(馬志翔)もモーナたちを追う。そして追い詰められた戦士たちは次々と倒れ、あるいは自決の道を選ぶ…(第2部・虹の橋)

こっちの方を載せてみたよ。

 先にも書いた通り、多くの観客に衝撃かつ抵抗を与えるのが、セデック族の出草、すなわち首狩り場面であろう。その標的となるのが日本人であるから、実際、抗日映画だと一部団体からのクレームを恐れたのもよくわかるし、一方この映画を大々的にフィーチャーしたムック「別冊映画秘宝・惨劇の世界映画事件史」で某映画評論家が「ゴア映画(人体破壊やスプラッタ描写のある映画を最近こう呼ぶらしい)」扱いしていたのに引いてしまったのもまた事実だ。
 今でこそ首狩りなどという習慣はほとんどなくなっているのだろうけど、南方民族においてはこれを部族の男たちのアイデンティティとしていた。つまりセデックたちは近代化=日本の統治下によりそれを喪いつつあったが、自らの民族の誇りを取り戻すための戦いとしてあの行動に出た、というわけだ。第1部の冒頭では、若きモーナと、まだ幼いタイモが出草のさなかに出会って因縁の始まりとなるわけだが、ここで同じ部族であっても、所属している社が違えば首狩りの対象になるということも描かれる。これも含め、セデックに伝わる「虹の橋」の伝説にも言及されているので、この描写が必然的だったのもよく理解できる。(虹の橋を始めとしたセデックの伝承について詳しく書かれたblogがあるので、参考資料として貼っておく。これね)
 だからこそ、ここと第1部クライマックスの暴動のくだりでただの血祭り切株祭り(人体切断描写を一部の人はこう呼ぶらしい。比喩的に上手くても悪趣味で嫌だなあ>個人的意見) にならなかったのは幸いだ。グロ描写が苦手なワタシがこう思うのだから間違いない。そんなこともあって、文化的背景とかそういうのを理解しないままでこの映画を「切株ヒャッハー!」とか言ってる人は信じがたいな…ってキツイ言い方しているようで失礼します。

 ウーさん&テレンス・チャン氏のプロデュース効果大ありといった(素直にほめております)激烈な戦闘シーンが全面を覆う第2部。日本人統治による長年の抑圧の中で古来の掟(ガヤ)に従い、出草を行った社の少年たちは男となる。セデックたちは民族の誇りを取り戻す。しかし、その代償に彼らは多くのものを喪う。日本軍だけでなく、同じ民族からも追われるようになった先にあるのは、自滅であった…。
 巨大な力に立ち向かい、それを倒すという展開は日本の戦国武将の逸話にも、戦時中の襲撃にもよくある話ではあるが、その勢力はかならず倍の力で反撃に出る。その力にはやはりかなわない。反撃されたら投降するしか道はないのに、そうできなかったセデックの男たちとその家族はほとんどが自決を選ぶ。つまり、自ら落とし前をつけたということだ。これは武士の落とし前に確かに共通する。
 反乱を起こした者のほとんどが自決し、首謀者のモーナが姿をくらました後、鎌田司令官はセデックたちを「彼らは武士道の持ち主だった」と評した。確かに、先に述べたようなことから、セデックの誇りやその行動は日本の武士に近しいものが多いとは思ったが、はたしてそれは新渡戸稲造のいう思想としての「武士道」とはどこまで重なり合ったのだろうか、と少し気になった。いや、武士道という言葉はいろいろと一人歩きしやすい危険性もどこかにあると思うし、新渡戸の武士道は必ずしも「死ぬことと見つけたり」とは読み取れない感もあってね。そういえば新渡戸も台湾にゆかりの深い人物でありましたな。

 セリフのほとんどがセデック語(だと思った)か日本語で、國語は脇役の漢人キャラがわずかに話すのみ。セデック族の俳優はプロアマ不問で原住民キャストが演じており、本業が現役の牧師という林慶台さんが演じるモーナはカリスマ性を帯びており、これが初演技とは思えない気迫であった。『KANO』で監督を務めた馬志翔(先住民名はウミン・ボヤ)はドラマでキャリアを積んだ俳優で、30代半ばということもあって、モーナとは好対照なタイモにぴったりだったと思う。ビビスーがタイヤル族の血筋というのはこの映画で初めて知った。日本人キャストも安藤くんやキム兄、河原さんや春田さんなど渋くて軍服が似合う面々が揃っていたが、それぞれの役どころの複雑さもあって、これも適材適所であった。海角に続いて登場した田中千絵は…思ったより出番少なかったね。そしてやっぱりキツさが気になってしまう。これはもうしょうがないのか?

 魏徳聖監督の前作『海角七号』 は普通の日本人はこれまであまり知ることのなかった日本統治時代に着目し、歴史から日本と台湾との繋がりに光を当てた快作だが、やっぱりどうしてもラブストーリーが蛇足に見えて個人的にはあまり好きではなかった。いや、いい映画だし、いろんな人にはオススメしていますけどね。でも、これを見ると、やっぱり魏徳聖が一番作りたい作品、一番思い入れがある作品はやはりこれであるとわかるし、その思いをがっつりと受け止められる。よくやったもんである。
 まあ、あまりも彼の思い入れが強いからなのか、台湾ではセデックの視点から見てかなり矛盾もあると言われているらしいが(実際、台湾ではそういった批判的視点で書かれた論文もあると弟に聞いた)、何よりもこの映画が台湾統治時代に明るくない人間に及ぼしたインパクトは大きいし、そこから台湾と日本との関係史も掘り起こせる。統治には陰も闇もつきものだが、決してそればかりではない。なんといっても、この映画の後に魏徳聖が馬志翔と共に撮りあげた『KANO』が、先住民・台湾人・日本人が一丸となって、海の向こうの甲子園を目指した話であるのだから、決して恥ずべき過去ではない。むしろ知らなければいけない事実はまだまだ埋れているはずなのだ。それをもっと知りたい、という気持ちが今とても強い。

 だから、KANOとセデックはセットで観るのがいいのかもしれない。
セデックを抗日と大批判し、KANOを誉めたというどこぞの右っぽい人がいると言うが、その人にもKANOを観た後で、もっかいセデックを観て欲しいもんだが…まあ、無理だろうな。しょうがないんだけどね。
(以上、政治的と受け取られる発言についてのコメントは、同意・批判にかかわらず、お控えください。本blogは政治的スタンスなど何もない場末のアマチュアブロガーが執筆しておりますので)
 というわけで、政治的主張の代わりに繰り返します。

本blogは、花巻―台湾間の国際線定期便の早期実現を願っています。

 大事なことなので、2回言いました。以上。

原題&英題:賽德克・巴萊(Seediq Bale)
監督&脚本:ウェイ・ダーション 製作:ジョン・ウー&テレンス・チャン プロダクションデザイン:種田陽平 美術プロデューサー:赤塚佳仁
出演:リン・チンタイ マー・ジーシアン ダーチン 安藤政信 ビビアン・スー 木村祐一 ルオ・メイリン 田中千絵 春田純一 河原さぶ  

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