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2012年4月

ビッグ・ブルー・レイク(2011/香港)

 今や日本じゃアクションものばっかり公開されているが、香港映画にはさまざまなジャンルの作品があることを忘れちゃいけない。でも、セミドキュメンタリー作品というのはなかなかお目にかかれない気がする。代表的な監督なら河瀬直美さんとかキアロスタミとか、そのあたりかなー。
 日本語のナレーション付き予告が妙に印象的だった『ビッグ・ブルー・レイク』。これがまさに、香港では珍しいセミドキュメンタリータッチの作品で、かなり興味深く、そして一番印象に残った映画だった。

 ロンドンで舞台に立っていたライイー(レイラ・トン)は挫折を経験し、故郷である西貢の村に帰ってくる。10年前に家族の反対を押し切って村を出た彼女だが、帰還すると一番反対していた父親は兄と共に国外に出ており、残された母親は認知症を患っていて、娘を姪だと思い込んでいる。迷子になった母親を探す彼女の前に、母親を保護した中学時代の同級生チャン(ローレンス・チョウ)が現れる。カメラマンをしている彼は、中学の途中で転校して村から去っていたのだった。そしてここに戻ってきたのは、かつてのガールフレンドと待ち合わせした大きな湖を探すためだという。
 ライイーは母親が参加するサークル活動を見学し、そこで多くの老人たちと出会う。彼らとの語らいの中で、ライイーは自らが捨てた故郷と、母や家族との関係を見直すことを決意する。そこで彼女は、老人たちに聞き取り調査を行い、寸劇にまとめることにする…。

 震災後、やたらと「家族の絆」を強調し、押し付けてくる印象もあるような昨今の日本。絆という言葉自体は嫌いじゃないけど、ここまで連呼されるのは正直勘弁してほしい。比較的親と仲のいいワタシでさえそう思うのだから、親との関係が悪い人はなおさら苦痛であろう。もちろん、故郷を捨ててしまった人も。
 だけど、行き場をなくして捨てたはずの故郷に戻らざるを得ないこともある。そこでどう振る舞うかでまた変わる。腐って引き籠るか、あるいは自分を見つめ直すか。よく見かけるのは前者かしら(こらこら)。

 故郷で見た、変わり果てた母の姿。戸惑いながら母の世話をするライイーが、母と近所の人々の言葉と、そして心を通わせるようになるチャンが語る思い出から自分をもう一度見つめ直し、豊かな自然に抱かれて再生していく。故郷は決して恥ずべき場所じゃない。そこからやり直せることだってあるのだ。これが彼女と、一番負い目に感じていた父親との再会へと結びつく。その持っていき方がよかった。

 一見スカした作品にも思えるが、決してそうではない。どこかゆったりしたユーモアもあり、思わず頬が緩んでしまう場面も幾つかある。なによりも舞台となる西貢が美しい。撮影はなんと日語大放送でお馴染みJAMくん!だから日本語予告だったのか…(参考としてこれを)。音楽は河瀬直美作品を手掛ける茂野雅道さん。最初の上映日には奥様が来場しておられましたよ。
そして、ライイーとチャン以外は全員アマチュアの皆さんだそうで、舞台あいさつに立たれたツァン監督の話によると、彼女のご両親も俳優として参加していたとか。
 ライイー役のレイラはほとんどお初なんじゃないかと思うんだけど、他には何に出ていたのだろうか。で、イメージ的には黒縁めがねイメージのローレンス(今回は眼鏡なし)が時おり南朋くんに見えてしょうがなかったのはきっとワタシだけに違いない。いや、全く似ているってわけがないのは十分承知の助なんだよ。そもそもローレンスも好みじゃないしさ。きっとこの記事に引っ張られたんだわ。あはははははははは…(乾いた笑ひ)

 とかバカな締めをしてる場合じゃないよな。
この作品で、ツァイ監督は見事に今年の金像奨の最優秀新人監督賞を受賞しました(参考としてこちらを。金像についての記事もそのうち書きます)。
監督、ホントにおめでとう!次回作も期待してますよ~♪

原題:大藍湖
監督&脚本:ツァン・ツイシャン 撮影:ヤウ・チョンイップ 音楽:茂野雅道
出演:レイラ・トン ローレンス・チョウ エイミー・チャム ジョーマン・チャン 

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恋人のディスクール(2010/香港)

 恋愛映画が全般的に苦手だけど(特に高校生の初恋ものとセックスシーンに重きを置いたもの。両極端だな。具体的な例は挙げんが)、香港の恋愛映画は結構好きだ。それもジャンル不問で。なんつーか、こじつけくさいって言われるかもしれないけど、香港の恋愛ものは日本のそれよりも、愛の始まりも終わりも説得力のある描かれ方をしていて、それがワタシの心をえぐってくるんだろうなあと思う。…まあ、中には全然えぐってこない作品もあるけどさ。これも具体的な題名は挙げんが(笑)。
 ちなみにワタシが好きな香港の恋愛映画は『誰かがあなたを愛してる』と『十二夜』。ラヴソングとブエノスは殿堂すぎて恋愛映画じゃないかな、ワタシにとっては。 

『恋人のディスクール』は、昨年の大阪アジアン映画祭コンペティションでグランプリを得た作品。当時の審査員長があの行定勲監督というのには驚いた。でも製作がホーチョン、共同監督の片割れがあのデレクと聞けば、その完成度の高さには納得するのであった。


夜の銅鑼湾をさまよう男(イーソン)と女(カリーナ)。親密で他愛ない会話の端々から、二人にはお互いに恋人がいることがわかる。男の自宅近くで別れた二人。ベッドに横たわる彼の傍らでは、その恋人(メイビス)が寝息を立てていた。
 街の洗濯屋で働く娘(ケイ・ツェー)は、いつも洗濯物を預けにくるインターン(だと思うのだが…エディ・ポン)に片思いをしている。店番でヒマな時は、頭の中で彼を相手に自分が主人公の恋物語を展開しているが、なぜか空想の中の彼は人形。しかし、その幸せも長くは続かず、恋の相手は引っ越してしまう…。
 インテリア店で旧友を見かけた男(ジャッキー・ヒョン)は、少年(ウィリアム・チャン)の頃の苦い恋を思い出す。彼は学生の頃、旧友の母親(キット・チャン)に恋をした。父親(エリックとっつぁん)にも好意的に迎えられ、食事を共にする仲となったが、ある日、父親が若い女性と浮気をしている現場を目撃し、それを母親に告げてしまう…。
 その彼が現在付き合っている女(これがカリーナ)が、別の男(つまりイーソン)と付き合っていることに気づいた。そこで彼は男の恋人に近づくのだが…。

 全4話のオムニバスで、それがつながってくるという構成は目新しいものではない。でも、この作品が強烈だったのが、描かれている恋愛が決してハッピーエンドではないということ。そして、恋愛の過程で生まれる悦びや不安、嫉妬や怒りなど、決してきれいとは言い難い感情をまっすぐに捉えている点だ。まるでスガシカオの曲の世界だな、なんて思ったりして(意見には個人差があります)。

 夜の街を陽気に彷徨いながら、どこか軽い背徳感を覚え、それすらにも酔ってしまいそうな第1話。少女っぽい妄想と現実のもどかしさの差が切ない第2話、少年の青い経験(って実際には事には及んでないが)と残酷さがどこか官能的な第3話、そして、それが一気に集結し、恋愛の辛さとそれを受け入れて生きる覚悟を感じた最終話。決して脱いだり性的だったりと直接的な表現ではないのだけど、なんだかエロティックである。こういう考えさせる恋愛映画ってタイプだけど、…それはワタシがまともに恋愛してないからだろうか?まあいいか。あくまでも恋愛に対する考えは人それぞれだしね。

原題:戀人蕠語
製作:パン・ホーチョン 監督:デレク・ツァン&ジミー・ワン
出演:イーソン・チャン カリーナ・ラム メイビス・ファン ケイ・ツェー エディ・ポン ジャッキー・ヒョン キット・チャン エリック・ツァン ウィリアム・チャン

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星空(2011/台湾・香港・中国)

 ホウちゃんやミンリャン、そして今は亡きエドワード・ヤン(以下ヤンちゃん)など、台湾映画の大御所たちからDNAを受け継ぎながら自分の持ち味を生かした軽やかな21世紀型の青春映画を作る彼らの「チルドレン」が、現在の台湾映画の質を高め、しっかり支えていることは、ホウちゃんたちに台湾映画を教えてもらった身としては非常に喜ばしいことである。
 華流の中心をなす台湾エンタメは、一般的には日本の人気マンガをドラマ化したものがどうしても注目を集めやすいけど、現在の「チルドレン」たちは、この手のTVドラマにもかかわりながらも、大御所監督たちの下で学んできた監督が多いようなので、基本は映画においているというのも嬉しい。日本は逆になっちゃうからね(とこっそり暴言)。

 手塚治虫御大をこよなく愛したヤンちゃんが、その代表的キャラクターにちなんで名付けた「原子映像(アトム・フィルムズ)」。彼の没後も映像プロダクションとして多くの作品を制作し、世に送り出している。この原子映像が中華圏を代表する絵本作家ジミーの作品に取り組み、監督に『九月に降る風』のトム・リン、そして主演に『ミラクル7号』のあの男の子、でも実は女の子の徐嬌(英語名はジョシー!)を迎えて両岸三地合作で映画化したのが『星空』である。


 小美(徐嬌)は台北に住む13歳の7年生(日本の中学1年生)。彫刻家のおじいちゃん(ケネス・ツァン)が大好きで、星空が美しい山奥の小屋に家族みんなで住むことを望んでいるが、キュレーターでパリ行きを切望している母親(レネ)と父親(ハーリン)の不仲に不安を隠しきれない。学校でも居場所がなく、ぼんやりとした日々を送っている。
 ある日、彼女のクラスに小傑(リン・フイミン)という少年が転校してくる。彼は小美の部屋から見えるアパートに引っ越してきた男の子だった。小傑に興味を示した彼女は、下校後にあとをつけてみると、ビルの地下に入った文具屋で万引きをしているのを目撃。真似して万引きする小美だが、お店の人に見つかってしまう。それを助けてくれたのが、小傑だった。彼は母親との二人暮らしだが、別居している父親に暴力を振るわれていたらしい。家庭に居場所がなく、美術が好きという共通項から、二人は友情を深め、自分たちの世界を美しく彩りたいと願う。
 しかし、担任の先生から勧められて二人で取り組んだ教室美化コンテストのディスプレイはいじめっ子たちにずたずたにされてしまい、小美は傷つく。さらに、パリ行きを断念した小美の母は酒におぼれるようになる。そして、最愛のおじいちゃんが倒れ、この世を去ってしまう。自分の幸せな世界の崩壊を感じ、絶望を抱いた彼女は、小傑に声をかけ、この世で一番美しい星空が見えるおじいちゃんの山小屋を目指して、二人で家出をする…。

 カラフルな色彩にあふれながらどこか陰を帯びていて、読後は生きることの喜びとともに哀しみを感じずにはいられないジミーの絵本たち。これをそのまま映像化するのが本当に難しいのは、『ターンレフト・ターンライト』『サウンド・オブ・カラー 地下鉄の恋』を観ればわかること(一応言っておくけど、両作品とも映画としては大いに楽しめるので、結構好きな作品)。
 この色彩を取り入れることはたやすい。しかし、ジミーの作品では、盲目の少女の不安、運命の人に出会えないもどかしさ、最愛の人を亡くした絶望などがあふれる色彩の中で描かれ、彼らは哀しみから光に向かって歩き出そうとする。それにはかつて病で生死の境をさまよったという経験がある彼の死生観が反映されているのだろうな、と思っている。
 この原作は残念ながら未読なのだが、映画には彼の精神が見事に生きていた。

 子供から大人へと急激に変わる思春期に欠かせない心の不安定さは、どこでも誰でも同じである。ワタシももちろん経験してきた。これを気軽に中二病というなかれ(笑)。この間に失うもの、壊して/壊されてしまうものも少なくないが、小美の場合はそれがあまりにも多すぎた。両親の不仲や死にゆく祖父という辛い現実に直面するようになり、幼年期の美しいものを奪われたくない小美を癒すのは、数々の名画をモチーフにしたジグソーパズル、フレンチレストランで母と踊る、ゴダールの「はなればなれに」を思わせるダンス、そして同志であり騎士でもある小傑の存在。
 二人の関係は恋愛というよりは、この時点ではむしろソウルメイトとしての結びつきが強い。おそらく、お互いに初めての恋を意識してなかったわけじゃないんだろうけど、恋と自覚する以前に、お互いの抱える孤独や問題が大きかったのかもしれない。だからこそ、山小屋で星空を見に行く家出が、あれだけの苦難になったのだろう。「スタンド・バイ・ミー」の死体探しの旅と共通するものを感じたし。

 小傑との苦難続きの山への旅を経ても、壊れた世界は元に戻らない。それどころか、家族の崩壊ばかりではなく小傑も彼女の前から去っていく。しかし、この旅で小美は自らの「幼年期の終わり」を自覚したのだろうな。失うものは多いけど、それを悲しむのではなく、思い出にして次へ進むこと。だからこそ、絶望から這い上がれて成長したんだろう。

 そんな感じにとったけど、深読みしすぎたかな(笑)。
改めていうことじゃないけど、美術はすばらしいし、美術や映画など既存の作品へのリスペクトがまた独自の味わいになっていて、ジミー作品とは違うけど精神的には一緒である証明となっているのがいい。
 すっかり成長しちゃって少女っぽさが強まった徐嬌ちゃんはかわいらしくて切なく、(美山加恋ちゃんと同世代かな?)初演技ながら彼女と真剣勝負をした感があるエリックくんのりりしさ、レネにハーリンにケネスさんという大人キャストの完璧さ、突然登場して強い印象を与えた学校の先生役の石頭@五月天、そしてフィナーレをしっかりと締める成長後の小美役のルンメイも素晴らしい。久々に涙腺も緩んでしまったのでした。

上映後にはトム・リン監督のサプライズティーチインも実施。すでにあちこちで紹介済みだけど、これも印象的だったので、全作品の感想を書いた後に別記事にてまとめます。

英題:Starry,starry night
監督&脚本:トム・リン 製作総指揮:チェン・クオフー 原作:ジミー 撮影:ジェイク・ポロック 音楽:World's End Girlfriend 音響:トゥー・ドゥーチー
出演:ジョシー・シュー・チャオ エリック・リン・フイミン レネ・リウ ハーレム・ユー ケネス・ツァン 石頭(五月天) グイ・ルンメイ

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タタール大作戦(2010/モンゴル)

 おそらく、モンゴルを中華圏と言ってしまったら、モンゴルの皆さんにものすごく怒られるだろうというのはよーくわかっている。だけど、せっかく大阪アジアン映画祭で観た作品だし、中華圏くささも感じられたし、内モンゴル自治区を舞台にした中国映画『モンゴリアン・ピンポン』の感想をここですでに書いているので、例外として感想を書きたいと思う。

 昨年のしたまちコメディ映画祭で評判を博した想定外のモンゴリアンコメディ、それがこの『タタール大作戦』
草原ではなく街が舞台で、BGMは民族音楽じゃなくヒップホップ!さらにクレジットはウニャウニャしたモンゴル文字じゃなくてロシアでおなじみのキリル文字!こんな想定外な作品をしれっと作るなんてすげーぜ(笑)。

 重い病気を抱えた娘を持つタイヴナーは、いきなり銀行をクビにされる。妻や娘に失業したことをなかなか告白できないが、それでも先立つ金がいる。実は彼が失職したのは、銀行の不正を指摘したからだったのだ。それならば上司が横領した金を強奪しようじゃないかと思いついたタイヴナーは、元ボクサー&元警官で現役ギャングスタの親友トルガーに計画を打ち明ける。その計画に乗り気になったトルガーはこれを「タタール大作戦」と命名、ロゴまで考えて(笑)仲間を募り、ロシアとモンゴルのハーフであるドライバーのコーリャ、パソコンオタクのギャルバーを加えて行動に出るのだが…。

 開巻いきなり展開する血みどろの銃撃戦。4人が次々に撃たれ、逃げられずに絶望した仲間の一人は銃口を口の中に突っ込んで引鉄を引く。
 なぬー!いきなり結末を見せるパターンか、なんかヘッポコなクエタラ(タランティーノをこう呼んでいる)くさいなー、などと思っていたら、あれ?みんな生きてるぞ?で、どれが一体真実なのか?と混乱しながらメインタイトルへ移り、本題に入る。
 タイヴナーの現金強奪計画が着々と進むにつれて、時折はさまれるレザボアモンゴリアン(こらこら)。現金を強奪したのはいいものの、警官や警備に囲まれ、ハチの巣にされる4人の姿が挿入される。やっぱり強奪は失敗か!『黄金を抱いて翔べ』(from高村薫。ちなみに今年映画化される)にすらならないのか、って強奪するのは現金だってば。
ノリノリのトルガーがほぼリーダーのような状態になって、とんとん拍子で進んでいく強奪計画だが、彼らの語るプランに血みどろなショットがマッシュアップされるようにはさまれるのだから、安心して観ていられるわけはない。…でも、決して計画通りに行かなくても、ただ血みどろになって果てるだけでない。思いもよらぬ展開をはさんで、もっとも理想的なエンディングに向かう。それまでの伏線はすべて回収されるので、爽快なこと限りなし。

 あまり作品を固有名詞や路線でカテゴライズするのは好きじゃないけど、例えるとしたらこの映画では、先に挙げたクエタラだけじゃなく、ウーさんもトーさんもリスペクトされている。それも適切なもので、観た人で彼らが好きな人がいれば、そうそうそういう雰囲気だよねーと首を縦に振ってしまうだろう。そんな楽しみがある。

原題(英題):Tatar Ajillagaa(operation Tatar)
監督:バートル・バトウルズィー 脚本:R・ムンフサイハン
出演:A・ボルフー E・ガンホルド B・エンフタイヴァン B・ダグワージャムツ 

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