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『流転の王妃の昭和史』愛新覚羅 浩

 日中戦争のことを考えると、どうしてもきりがなくなってしまう。
 南京大虐殺(あえてこう言う)は実際どうだったのか。引き揚げ途中で置き去りにされた子供や女性たちはどうやって生き抜いたのか。満州国という国を作った軍部の思惑と、そこに希望を見出して移住人たちの気持ちはどんなだったのだろうか。そしてあの時、中国人と日本人は本当にお互い憎みあっていたのか。

 何が真実で、何が虚実なのか。それはあの戦争の時代に生き、戦争が起こした悲劇に巻き込まれた人々それぞれの思いがあるから、一言でいうことは難しいのだろう。それをワタシたちに直接教えてくれる人々も、だんだん少なくなっていく。
 映画にしろ書籍にしろ、戦争に関わる出来事について書かれたものが苦手で、あまり手に取ってこなかったのだが、歳を取ってやはり知らねばならないと思っていたことと、年末の旅行時、たまたま母親がワタシにくれたことがきっかけで、この本を読むことになった。

 ちなみにこの本、2003年にテレ朝系で放映されたドラマスペシャル『流転の王妃・最後の皇弟』の原作の一つとなっているそうだ。残念ながら未見。いや、いま観たいとも思わないが(苦笑)。

 筆者は旧侯爵家の令嬢にして、かつての清朝皇帝の一族だった愛新覚羅家に嫁いだ。こう簡単に説明できれば一番いいのだが、それが日中戦争時であり、その結婚だって自らが築いた「満州国」の皇帝の弟溥傑に嫁がせようとした軍部の策略からだから、話は簡単ではない。
 生涯のあらましはWikipediaに掲載されているとおりであり(氏名表記は結婚前の「嵯峨 浩」)、本の内容もそれに即しているのでパス。

 読み始めてちょっと驚いたのが、溥傑氏との結婚が軍部によって仕組まれたものでありながら、浩さんは最終的に自らの意思で溥傑氏を愛そうとしたことであり、その想いに溥傑氏も答えてあげていたということである。政略結婚というと、どうしても愛がないゆえに夫婦間での亀裂が大きくなることが多い。彼らの兄夫婦にあたる、溥儀に嫁いだ婉容皇后をモデルにした小説『我が名はエリザベス』でもその悲惨さは描かれている(しかも、あの小説と同じように、この本でも溥儀が同性愛者であったという論述があった。やはり有名な事実だったのか。『ラストエンペラー』ではすっぱり切ってあったもんな)。
 また、今ほど国際結婚が一般的でなかった時代なのに、中国人(満州人)に嫁ぐことに抵抗を持っていなかったということにも驚かされる。それは浩さんたちの身分から来る余裕のもちかたからなのだろうけど、ここまで寛容であるとは思わなかった。

 結婚と満州での暮らし、日中戦争へ向かう不安、そして脱出と夫との別離…。
日中戦争で被害を受けた多くの人々と同じように、浩さんも激動の数年を生きた。
 しかし、帰国して夫の釈放を待つ間、彼女と溥傑氏の間に生まれた大学生の長女が心中事件で命を落とす。この「天城山心中」については初めて知ったのだが、この本を読む限りはどうしても相手側のストーカー行為の果てにある無理心中としか思えない。しかし、これまたwikipediaをたどると、その長女は中国にいた溥傑氏に対して、付き合っていたという男性への思いを綴っていた手紙を送っていたということもあったらしいので、一般的には後者の理由を根拠とした情死であるというようにいわれているらしい。
 …それであっても、命を落とすまでしなくても、なんて安易に考えてしまうのはいけないだろうか。

 日中戦争や、その前後の出来事について書かれたノンフィクションは数多く出版されている。満州に夢と希望を抱いて移民したものの、土地の悪条件に苦しみながら開拓していった農民の話から、浩さんのような満州国の上部と関わっていた人々、そして当の軍人の話まで多数だ。
 この戦争から激化していく第二次世界大戦が終わって今年で65年。その記憶は風化しつつあるのだろうが、近隣諸国のもめごとが起こると幽霊のように現れてくる。
 たとえ自分に経験がないといっても、戦争なんて起こらないでほしいし、やってはいけない。そんな気持ちになる。だから、今まで避けてきた戦争関係のノンフィクションにちょっと気をつけながら見て行こうかな、と思っている。

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