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花の生涯 梅蘭芳(2008/中国)

 今でこそ、ファンタジックな(こらこら!)歴史超大作ばっかり公開されている中国映画だが、そんな中にあっても、やっぱり陳凱歌(カイコー)や張藝謀、そして田壮壮たちが80年代から90年代に作ってきた作品こそが一番面白く、今観ても興味深いものだと思う。彼らは、大国でありながらもその政治的特殊性で沈黙を保ってきた改革開放前後中国で、決してプロパガンダではない、それぞれが持つセンスを充分に発揮した映画を作っては、世界から注目を浴びてきた。
 これらの3人の中でカイコーは、80年代末にNYの映画学校で教鞭をとったり、ロックバンドのPVを演出したりと積極的に欧米で活動し、それでいて天安門事件で揺れる故郷の動向に目をやっていた。その時期を経て作り上げられた『覇王別姫』は、オリエンタリズムを強調して欧米市場を意識しつつも、自らが生きてきた20世紀中国の激動を、レスリーの演じる京劇の女形に託してスクリーンに刻みつけた。艶やかな京劇の世界に魅入られながら、歴史の非情さ、人を愛することの悲しさや愚かさを感じ、何度観ても感動してしまう作品である。

 さて、こんな作品を撮ってしまったからには、やはり中国独特の演劇である京劇の伝説的な女形、梅蘭芳に彼の興味が行くのは必然的だったのだろう。実際に梅家の人々とかかわりを持っていた(fromパンフレットでのインタビュー)というカイコーが、当初スタンリー・クワンの監督で企画が進んでいた伝記の映画の方針変更により、この伝記映画『花の生涯 梅蘭芳』を作ることになったそうなのだが、はたしてそれはカイコーにとって吉だったのか、はたまた…?

 京劇の名門に生まれた梅蘭芳(字は[田宛]華)。幼い頃、大好きな伯父からもらった手紙には、「自分のような悲惨な目にあいたくなければ、京劇をやめろ。しかし、お前はやめられないだろう」というようなことが記されていた。叔父は西太后の誕生日のために舞台に立ったとき、喪に服していたため赤い服を着なかったという理由のために、紙の首枷をはめて城内を歩かされるという屈辱を受けたのであった。その出来事と伯父の言葉は、梅蘭芳の心の中に生涯強く印象づけられる。
 中華民国初期。京劇界の大物十三燕(王学[土斤])に師事した梅蘭芳(余少群)は人気の高い女形となっていた。ある晩、外国帰りの高級官僚、邱如白(孫紅雷)の講演を聞きに行った彼は、旧来の京劇を批判し、俳優は生身の人間を演じるべきという主張に感銘を受ける。彼は邱に自分の公演の招待券を渡す。最初は梅蘭芳を見くびっていた邱如白も、舞台に立つ彼の美しさとチャレンジングな姿勢に魅了されてしまい、地位も家も捨てて梅蘭芳を助けることを決意し、二人は義兄弟の契りを結ぶ。
 梅蘭芳の演技は輝きを増し、より大胆になっていく。師匠の十三燕はそれを快く思わず、梅蘭芳を押さえつけようとし、3日間で別々の劇場で上演し、客の入りを競おうと勝負を持ちかける。最初の日こそ、師匠対決との重圧で歌えなくなり、負けてしまった彼だが、師匠の十八番である軍記ものではなくオリジナルの現代悲劇を演目にすることで突破口を開き、2日連続の勝利を勝ち取る。それは自分が勝つと高をくくっていた十三燕のプライドを粉々にしたが、師匠の危機を知って終幕後すぐ駆けつけた梅蘭芳に、「負けることは恥ではない。恐れることが恥なのだ」と語って、彼に京劇の全てを託す。
 20年代後半。名実ともに京劇界のトップ俳優となった梅蘭芳(リヨン)は、邱如白と銀行家の「六爺」(英達)とともに、京劇のアピールのために、ニューヨーク公演を企画していた。そんなある日、梅蘭芳は京劇界トップの男役、孟小冬(ツーイー)と知り合う。「梅龍鎮」を演じて以来、二人の中は急速に接近していく。今の妻、福芝芳(陳紅)と愛のない結婚をしていた彼にとって、これはほとんど初めてといっていい恋だった。それは邱如白だけでなく、芝芳も知ることになる。二人の恋が梅蘭芳の役者生命に危機を及ぼすと考えた邱如白は、芝芳と小冬を逢わせて小冬に恋をあきらめさせた。しかし、それだけでなく、邱如白は刺客まで雇って小冬を殺すことまでも考える。渡米前に六爺が開いたパーティーにて、刺客は小冬に銃を向けるが、小冬の決心を知った邱如白が止める間もなく、刺客はなだれこんだ警官隊によって銃殺された。
 酷評と大恐慌の中で催されたNY公演は成功裏に終わった。しかし、あの刺客を雇ったのが邱如白だと梅蘭芳が知ってしまったため、義兄弟の仲は急速に冷えていく。そして日本が北京を占領した1937年、彼は京劇をやめることを決意し、邱如白とも別れて上海に向かう。
 それでも、邱如白は彼の艶やかな姿をみることを渇望した。さらに、同じことを考えていた男がもう一人いた。それは、あのパーティーに賓客として招かれていた日本軍の若き少佐、田中隆一(アンドーくん)だった…。

 同じ京劇テーマとはいえ、『覇王別姫』とは違い、今度は実在の人物を取り上げている。激動の時代をフィクションとして描いた前者より、こちらの方がより高いハードルが設定されてしまう。そのハードルを飛び越えられたかといえば…、うーむ、やっぱりだったか、と思った次第。
 時代的にはあの映画より少し前から始まるし、梅蘭芳が亡くなった後の文革の時代までは描かれなかったけど、それでもかぶるところは多いもんでね。
 梅蘭芳のものの考え方の根幹をなした亡き伯父の手紙を軸として、先進的な考えを持ち、旧来の形式を果敢に打ち破ろうとする梅蘭芳に激しく共鳴して彼を愛する(もちろん変な意味じゃないぞ)邱如白
が、梅蘭芳の演技に「孤独」を読み取り、それを大切に思うという、映画のテーマとなるべき部分の解釈は悪くないと思うけど(天才はやはり孤独なのだから)、それが十二分に発揮されていたかと言えば、そう思えなかったのが残念だったような気がする。邱如白を演じる孫紅雷が大熱演していたからこそ、そうなってしまったように思える。

 これはその他の演技者もしかりかな。リヨンは…、いくら北方系のノーブル(のっぺり、ではなく)な顔立ちだとはいえ、やっぱり化粧を施して舞うと「うーむ」だったし、というか壮年期になってから素顔の演技が多かっただけあって、これでいいのかなーと思ったのはいうまでもなく。
 ツーイーは、さすがにいつものイケイケな感じはなかったものの、大柄なリヨンと並ぶとどーしてもその華奢さ、小ささが強調されるぞ。『梅龍鎮』を演じた時こそ、背丈は揃えられていたけど、この役はツーイーでよかったのか?と思った次第。同じことはカイコー嫁が演じた福芝芳にもいいたい。
でも、ベテランの王学[土斤]さん、英達さんはやっぱりうまかったです。よかった。
 お久しぶりのアンドーくん、中国語台詞が多少アレでも、だいたいにおいて日本人若手俳優の中国語なんてこんなもんだから(某映画でのタマテツもそんなもんだった)、なんて思ったので寛大にみていたけど、日本語の台詞回しがこんなに下手でいいの?オマケにずいぶん痩せちゃって。いったい何があったの~?六平さんは軍人役が似合うので、特に文句はございません。しかし吉野中将、拉致監禁した梅蘭芳を「こんな女の腐ったの」呼ばわりしていたけど、我が国にも男性が女性を演じる歌舞伎があるんですけどどーよ(苦笑)。
 そして、期待の新星、余少群くん。さすが現役の京劇俳優だけあって、見応えありましたねー。素顔は好みが分かれそうだけど。彼、NHKと中国の電視台が合作したドラマ『蒼穹の昴』で、なんと主演を張るそうなので、これはちょっと楽しみかなーって気がしますよん。

 さて、陳凱歌の描いた梅蘭芳にはこんな感想を抱いたものなのだが、これがもし、当初の企画どおりスタンリーさんが監督していれば、きっと全然違うものになったんだろうなぁと思った。ああ、スタンリーさんに誰かまた企画持ってきてあげればいいのに。同テーマでの競作って珍しくないもんね、《葉問》と《一代宗師》みたいにさ。

英題:Forever Enthralled
監督:チェン・カイコー 製作:ハン・サンピン 脚本:コーリン・ヤン他 音楽:チャオ・チーピン 
出演:レオン・ライ ユイ・シャオチュン スン・ホンレイ チャン・ツーイー チェン・ホン ワン・シュエチー イン・ダー 安藤政信 六平直政

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