« どん底から復活へ。女は強くあらねば。 | トップページ | 東京国際、今年は不参加だけれども。 »

クリーン(2004/フランス・イギリス・カナダ)

 マギーと彼女の元ダンこと、オリヴィエ・アサイヤスの出会いとなった(そして二人の運命を決めた)映画『イルマ・ヴェップ』を観たとき、いったいなんなんだこれは!と唖然茫然としたことを今でも覚えている。

 人気女優マギーが香港からフランスに招かれ、ベテラン監督のもとで女盗賊を演じる映画の撮影をするけれど、監督はイカレてるし、そのせいで撮影は全然進まないし、英語は通じないし、彼女についたフランス人スタイリスト(だったと思ったな)はレズビアンで当然の如く迫られるし、取材に来た新聞記者は香港映画を誤解(!)してるし、その状況に戸惑った彼女もお気に入りのロックを聞きまくってハイになった挙句、映画の衣装を着込んで、ホテルの別室から宿泊客のものを盗み出してしまうの至るなどと、なんともカオスな展開が繰り広げられた。そして出来上がった作品がまぁ、ノイズにあふれたアヴァンギャルド丸出しのもので、この後マギーがアサイヤスと結婚したと聞いたときには、アサイヤスはこのときにすでにマギーらぶらぶだったんだなーと思ったものであった。それを思えば、件の映画がああなったのには、大いに納得したもんだったわよ。

 さて、97年の終わりごろに彼らの結婚が伝えられ、それから『花様年華』を経て'03年ごろに、この二人の離婚を知ったわけだったのだが、当時は何のかのいいつつ愛は醒めるもんなのね、とありきたりのことをつぶやいてみた記憶がある。しかし、翌年のカンヌにこの『クリーン』が出品され、そこで彼が別れてもマギーを起用して映画を撮ったことを知って、さらに何だかわけがわからなくなった。え、それってどーゆーこと?別れてもまだ好きなんかい、アサイヤスよ!とつっこんだっけなぁ。
 この映画も日本では特別上映&テレビでしか観ることができず、今後見る機会はないのね、なんて思っていたら、以前も書いた通り今年の春にアサイヤスの新作『夏時間の庭』が評判を呼んだことから公開が決まったことを知った。ちょうど上京する機会があったので、このチャンスを逃がすわけにはいかんと観に行った次第。

 エミリー・ワン(マギー)はパリのケーブルTV局で人気を博した歌手志望のビデオジョッキーだったが、ロンドンでカナダ人ロックスターのリー・ハウザーと出会い結婚した。二人の間にできた息子ジェイ(ジェームズ・デニス)をバンクーバーのリーの実家に預けて、各地のライヴハウスを転々としていたが、行き詰まった二人はドラッグで身を持ち崩していた。
 カナダ・ハミルトン。メトリックがステージに立つライヴで、彼らはレコード会社と交渉にでるが、話がこじれてしまう。この件で怒ったエミリーはリーと激しく口論し、泊まっていたホテルを飛び出してしまうが、翌朝戻ってみると、リーがホテルで死んでいた。死因はドラッグの過剰摂取。彼女もまたヘロインを摂取していたため、すぐさま警察に逮捕されてしまい、半年間服役することになる。
 出所後、エミリーはリーの代理人となっている父親のアルブレヒト(ニック・ノルティ)と会う。彼の妻ローズも含め、世間では「エミリーがリーを殺した」と非難する人間が多かったが、アルブレヒトは彼女の立場を思いやり、その思いを受け止めてくれていた。しかし、エミリーがジェイに会うことを願うと、彼はそれを拒むのであった。

 ジェイと再会するには、今までの自堕落な生活を改め、働かなくてはいけない。そう思ったエミリーは、青春を過ごしたパリへと渡る。叔父に紹介してもらった中華料理店で働きながら、服役中に出会ったミュージシャンと共同で作った作品で歌手デビューをつかもうと試みる。しかし、頼りにしていたリーの友人は当てにならず、元マッシブ・アタックのトリッキーに自分のデモを聴いてもらうチャンスを逸する。薬物治療の副作用に苦しみながら働く彼女を、中華料理店の従業員は「こいつヤク中だしな」と蔑む。その仕事もやめてしまった彼女は、旧友たちとつるむ自堕落な生活に逆戻りするが、かつての仲間がやはりオーバードーズで命を落とした姿を見てはっと我に返る。

 エミリーはVJ時代の彼女に憧れていたというイレーヌ(ジャンヌ・パリバール)のもとに行き、仕事を紹介してもらう。それはプランタンのブティックで東洋人観光客の相手をするという、彼女にとっては苦手なものであったが、ジェイに会うには仕方がないと考え、引き受けることにする。さらにもう一人の旧友エレナ(ベアトリス・ダル)の家に住むことにもなり、彼女は生まれ変わろうと努力する。
 そんな時、妻の治療のために、アルブレヒトがジェイを連れてロンドンにやってきた。彼はエミリーとジェイを会わせることにする。エミリーがロンドンに行くことを拒んだため、週末を使って二人でパリに行くことになるが、ローズは未だにエミリーを憎んでおり、彼女に「ママがパパを殺した」と教えられたジェイもまた、エミリーに憎しみを抱いていた…。
 
 観た後にまず一言。
「ああ、観てよかった。意外とまともな話だった…(苦笑)」
 いくらこのコンビの前作が、あんだけひどい(こらこら)話だったり、アサイヤスがここ数年で撮ってきた作品に日本のアングラカルチャーやら香港ノワール的モチーフやらを取り入れたりしてきても(ちなみにまだ両作品とも観れていない。てか観る機会あるのか?)彼は決して自分の趣味に走りまくって語る物語を置き去りにする“フランスのクエタラ”ではないというわけよね。『夏時間』みたいな作品も撮れるわけだし。
 ええ、まぁ、それでいても、いくら夫婦関係をやめたにしては、これはやっぱり彼のマギーらぶらぶっぷりが相変わらず前面に出ている映画ではあるし、あまりにもらぶらぶっぷりがすごくて、物語がよくわからんっていう批判(これは藤原帰一さんがAERAで書いていたっけ)もよくわかる。さらにいろんなところでツッコミたくもなるし、つっこんでいけばきりがなくなる。

 でも、これが何だか捨てがたいなぁと感じたのは、彼女演じるエミリーがどん底に落ちようとも生きることに必死であることに共感を持ったことと、現代の人間がまっとうに生きるには、やっぱり働かなきゃダメであるという、どうにもこの映画のテーマにそぐわない(苦笑)ことを感じてしまったことだったりするのである。前者はとりあえずおいといて、この後者の考えをちょっとだけ。
 冒頭、リーと暮らしてヘロインでデロデロになっている彼女は、夫を成功させたい一心で、周りに噛みついていく。これは彼を愛しながらも、一方で依存心が強いんじゃないかと思わせられないこともない。そういうように見られるから、エミリーがリーを堕落させたと誤解されるのも納得できる。だけど、彼女は決してそういうつもりだったわけじゃない。堕落してしまったからこそ、依存心も高まるんじゃないかな。これって某○りPのことにも微妙に通じるものがある。やっぱりダンナは当てにしちゃいけないのよ(怒られそうなことを平気で書いてすんません)。
 リーを失ってジェイを手元に置きたい、なんてエミリーは例によって調子のいいことを考えるけど、それを拒まれたらやはり全力で自分がまっとうになるしかない。そして、まっとうになるために、自分の失ったものを取り戻すには、やっぱり自分のために働かなきゃいけない。だから、彼女はどんなに嫌なことでやろうとする。

 だけど…、それでいても、ジェイとともに自分の願いであった歌うことも諦められない。ジェイと会うため、そして自分の生活の安定のために、サンフランシスコでのレコーディングを諦める彼女だが、ジェイと出会い、SFで彼を産んだということがきっかけで、歌への渇望も高まる。それが成功に結びつけるかどうかはわからないけど、結局彼女は働くことよりも、歌うことに自分を賭ける。
 これやっぱり失敗に終わってしまう可能性だって、もちろんあるのだろう。それでも、彼女はもう昔の自堕落な彼女じゃない。もしデビューできなくても、きっと諦めずに何度も挑戦するかもしれない。その間には働いて、夢に賭ける準備期間にすることだってできる。そんなふうにも読み取れる。子供も夢も、なんていう欲望は、ホントに都合のいいことかもしれないけど、SFで迎えるラストシーンで、すっきりと額を出したエミリーがスタジオのテラスから、ベイエリアの遠景を見つめる姿には、そんな欲望も飛び越しちゃって、自分のやりたいことをやりきって未来を見つめるような思いがあるようで、何だか神々しさまで感じてしまった…ってこんなことを書いてるアタシもまた、マギーに感情移入しすぎ?でも、カンヌで女優賞を獲ったのは、案外こんなふうな理由があったのかもね(笑)。

 たとえステロタイプな役柄をふられたとしても、そこからもはみ出してしまうのがマギーの魅力だと思うことがある。中華圏から欧米に出た女優の中でも、マギーは突出したものを持っていて、いくらツーイーやコン・リーがハリウッドで頑張っても、やっぱり彼女にはかなわない。あ、ミシェル姐もまた別格。
 それゆえに、監督たちは彼女をミューズとして崇め、彼女をイマジネーションの源とするのかしら。思えば、アサイヤスだけじゃなく、楊凡も『ストーリー・ローズ』で彼女の複雑さを引き出していたわけだし、王家衛作品での彼女は言わずもがな。最近のマギーはそんな作品ばかりにでているので、もーちょっと出てほしいとは思うけど、彼女もマイペースにやってるからね。ま、しょうがないといえばしょうがないか。
 そして、アサイヤスの次にマギーにやられた監督は…、そうか、オマエか、クエタラか!この秋公開のイングローリアスなんとか(題名長すぎ!)では泣く泣く出番がカットされたというけど、転んでもただで起きなさそうなクエタラだから、次回作で絶対マギーを大フューチャーしてくるかもね(嘘)。

 と、アサイヤスに負けじおとらじのマギーらぶらぶ状態であれこれ書いてきたが、最後にこれだけ言わせてくれ。 
 いくらマギーにらぶらぶだとはいえ、アサイヤスよ、彼女に歌わせるってーのはもーちょっと考え(以下略)。

監督&脚本:オリヴィエ・アサイヤス 撮影:エリック・ゴーティエ 編集:リュック・バルニエ 音楽:ブライアン・イーノ他
出演:マギー・チャン ニック・ノルティ ベアトリス・ダル ジャンヌ・バリバール ジェームズ・デニス

|

« どん底から復活へ。女は強くあらねば。 | トップページ | 東京国際、今年は不参加だけれども。 »

中華圏以外の映画」カテゴリの記事

海外の映画祭」カテゴリの記事

コメント

女優とは所詮、男以上に剛い心を以ってバッシングに耐え抜き、巧みに女を演じる才能を持ち、毅然と生きる一人の人間のことである、というようなことを誰かがおっしゃっていたような気がするので…たまに会って食事したり意見交換したりするには魅力的に思えても、毎日一緒にいると鼻持ちならなくなるのかもしれませんね…。(アサイヤスの見さかいない浮気を、両親の離婚を体験しているマギーが我慢できなかった、と報じてるメディアも当時あったな…)。唯一の私的相棒にするには向かなくても、仕事上ではよき理解者、よき相棒なのかも。
それにしてもマギーの歌……それがネックで……いやいやむにゃむにゃ。

投稿: nancix | 2009.10.14 15:07

 女優(or監督)として愛しても、プライベートではうむむ…という関係だったんでしょうかね、お互い。マギー&アサイヤス夫妻の蜜月がいかがなもんだったかはなんとも想像しがたいもんですが。
 日本人でもこの夫妻に遭遇した人は少なくないみたいで、この夫妻&どちらかに出会っていた皆さんに話を聞いてみたいもんだと思うんだが、そりゃ無理だって(やや妄想入り中)。

投稿: もとはし | 2009.10.15 23:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14197/46413693

この記事へのトラックバック一覧です: クリーン(2004/フランス・イギリス・カナダ):

« どん底から復活へ。女は強くあらねば。 | トップページ | 東京国際、今年は不参加だけれども。 »