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陸育ちの抜け忍、ひとり海路を走りぬく。

 連休の前半に、『カムイ外伝』を観に行った。
本来ならこのblogで感想を書く映画じゃないんだけど、周知の通り、これにはイーキンが出演し、谷垣健ちゃんがアクション監督として参加している。それに加え、もしかしてこれは邦画というよりもアジア映画としての可能性が秘められていた映画だったんじゃないかな、なんてことを考えたので、こちらに書くことにした次第。

 被差別階級に生まれ、貧困から抜け出したいがために忍びとなったカムイ(松研)。激しい訓練を受け、大頭(イーキン)率いる忍びの一派として多くの人を暗殺したが、ただ人を殺す日々に嫌気がさして忍びの里から逃げ出す。かつての仲間からも追われる抜け忍の身となった彼は、ある日藩主(佐藤浩市)の馬の脚を斬って盗んだ漁師の男半兵衛(小林薫)と出会う。彼の住む島に流れ着いたカムイを助けたのは、かつて自分が幼い頃に追ったことのある年上の抜け忍スガル(小雪)と、彼女と半兵衛の娘サヤカ(大後寿々花)だった。カムイはスガルに自分を追ってきた追忍の手先だと思われて命を狙われるが、サヤカには想いを寄せられる。事情を察した半兵衛はカムイに漁を教え、サヤカの気持ちも汲んで彼を島に引きとめようとするが、そんな平穏な日々にもカムイを狙う追忍の足音がひたひたと聞こえてきた…。

 いくらマンガ好きと普段から言いつつも、ワタシの好きなのは手塚治虫御大や石ノ森章太郎などの、いわゆる超王道ものばかりなので、残念ながら白土三平作品には出会わずにここまで来てしまった。彼の手がけた劇画というジャンルは、まずはワタシのようなオンナコドモには手の出せないジャンルではあるし、彼のライフワークである『カムイ伝』から外伝までで描かれる差別問題等は、これ以外の小説やノンフィクションからも知ることができたから、読む必要がなかっただけなのだ。
 そんなわけで、今回は原作未読のまま超偏った視点からの感想になると思うので、予め謝っておこう。

 忍者だった男が主人公であるこの映画を、王道の時代劇として描くことはもちろん可能だったのだろうけど、あえてそうせず、アクションを軸にして問題意識をチラッと覗かせるようにしたつくりになったのは、多分監督の崔洋一さんの意向が強く、それでいて日本映画というよりアジア映画を目指したのではないのだろうかと思った次第。
 コリアンジャパニーズである崔さんは、『月はどっちに出ている』や『血と骨』などの、自らの出自と同じように朝鮮半島からやってきて日本に暮らす人々を描く作品を手がけているし、韓国に渡って向こうの資金で映画を撮ったこともあるという。もちろん、日本映画でのキャリアもしっかりしている。そんな彼だから、もしかしてこれをドメスティックな邦画の枠に押し込めず、アジア映画としての広がりをもたせたかったのかな、ということを映画全体から感じた次第。朝日新聞のインタビューで、数ある外伝の中から唯一南海が舞台という『スガルの海』を選んで映画化したのにもそんな意図があったと読み取れたものなんで。
 韓国方面のスタッフを使うのかとも思ったけど(CGでは使っているみたいだが)、ここで香港映画のスタッフを起用したのは、意外にもこれが彼が初めて撮るアクション映画であり、邦画におけるワイヤーアクションの可能性を試したかったのかなということも窺える。もちろんイーキンの起用もその延長線であるんだろうし、えらい野心的だなー。
 最近の邦画時代劇の中には、あえて世界基準を狙うが如く、タイトルをローマ字にしたり、若手の監督を起用して荒唐無稽にもほどがあるような作品が多いのだけど、彼はさすがにベテランだけあって、全体的な作りはしっかりしていたと思った。本当の意味でのアジア映画としてこれを作った崔さんのその野心、大いに買いたいもんである。

 しかし、誉められるのはここまでかな。全体的に見れば、やっぱり弱いよなーって思うところが大きい。
 せっかくワイヤーを使っているのに、日本の役者だとどうも限界があるのか、途中でいきなりCG丸見えになっていたり、アクションに肉体性を感じさせられない部分が気になった。具体的にいえば、冒頭からしばらく展開される、カムイと元仲間の追忍たちとの死闘で、カムイの必殺技紹介を交えながらのくだりでそんなことを感じたっけ。それは、彼らを追うカメラが常に固定されていて、その動きをっ全体からとらえちゃっているから不自然さが際立つというのもあるのかも。こういうアクションシーンでステディカムをうまく使って、ドイル兄さんばりにカメラをぶんぶん振り回して(爆)撮っていけば、もっと迫力が出たんじゃないの?
 CG単体でも合成が画面に馴染んでない場面(特に動物絡み)も多くて、そこがかなり薄っぺらく見えた。かつて『中華英雄』を観たとき、息子の剣雄(ニコ)と会ったものの、彼を冷たく突き放した主人公の英雄(イーキン)がいきなり月まで飛んでいってしまった場面に失笑してしまった(伊迷の皆さんすみません。確かに実話です)身としては、アレみたいなCGの合成レベルだったので、かなりガッカリしたのよ。
 沖縄ロケを敢行した島の場面はもちろん、美しかった…。でも、クライマックスのアクションでも、その美しさをうまく利用せずに撮った感があって、もうちょっと頑張ってほしかったなぁと思った。
 多くのことを要求してはいけないけど、全体的に観ればとにかく残念であるほうが大きいかったな…。

 役者陣でいえば、松研、寿々花ちゃん、薫さんは安心して観られた。松研&寿々花ちゃんは演技が安定しているから特に心配はしていない。薫さんは言わずもがな。イーキンは出番が少なくて、特に初登場時(若い頃のスガルを追ってきたところ)は暗闇だったので、「どこにいるの~?」状態だった。わからなかった原因はもうひとつあって、台詞が日本語吹替えだったからなのだ。しかも、声優さんの声がホントにシブシブでねー、イーキンを知らないパンピー観客ならよくても、彼の生声を知っているとなると、その吹替えにどうしても違和感を抱かずにいられなかったりするのだった…。で、誰がイーキンの声を吹き替えていたの?
 小雪と英明は…うーん、もともと彼らの演技は買っていないんだよなぁ。顔を見るたび、たかが知れてるなーと感じちゃう。このお二人が好きな方すんません。スガルの役は当初菊地凛子小姐だったそうだけど、彼女が演じるとかなり変わったのかもしれないな。しかし小雪、余計なところで話題を作る必要あったの?そんなに演技に自信がなかったの?と、この映画封切直後のゴシップ報道を見てこうツッコミたくなったのはワタシだけなんだろうか。いや、どーでもいいことなんだけど。

 そういえば、この映画をアジア映画たらしめている要素は音楽にもある。岩代太郎さんのご担当だったのですよー。でも、大河ドラマ風だった『赤壁』のそれに比べ、今回の音楽はオリエンタリズムが強まっていた感がする…。

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