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《香港電影類型論》覚え書き:羅[上/下]「香港類型電影之武侠篇」(その1)

  では予告通り、本文の要約を覚書としてアップ。
 最初は各段落ごとに抄訳しながらまとめようと思ったんだけど、訳していったらきりがなくなってきたので、大雑把なところもあるかもです。
 後で修正を加えるかも。

 黄飛鴻家族:精神與繁衍
(黄飛鴻ファミリー、その精神と増加)

 香港カンフーアクション映画は30年代半ばに誕生してから、今日に至っているが、最初のブームは40年代に訪れ、関徳興主演の《黄飛鴻》のシリーズが特に人気を博した。その後、60年代に広まった広東語映画では当時出版されていた武侠小説の影響を受け、特に67年前後、ショウブラザーズが生み出した“武侠新世紀”映画が主流となり、張徹やキン・フーなどの名監督や多くのアクション俳優を生み出した。70年代は李小龍の登場で「カンフー映画」というジャンルが初めて国際的に知られるようになり、その後多くのフォロワーを生み出した。李小龍亡き後70年代末期にその勢いは一度衰えたが、サモ・ハンや成龍などの新世代が登場し、彼らはカンフーにコメディを絡めた変化球で勝負した。この流れはまた80年代に、現代の市街地を舞台に大きく変化し、アクション映画となって発展した。80年代半ばに徐克や程小東が登場し、伝統的カンフー映画にポストモダンの流れを導入した。さらに同時期、成龍たちは極限のアクションに挑み、それは海外の観衆を大いに驚かせることになった。そして90年代、香港映画は再び国際的な注目を浴びることとなり、李小龍以来の盛り上がりを見せている。

 このように、香港映画のカンフーアクションというジャンルの伝統は今に続いているのだが、そこで重要な役割を果たしているのが《黄飛鴻》である。「一代宗師」であった関徳興は亡くなったが、彼の出演した《黄飛鴻》の中で描かれる精神とそれが及ぼす影響を改めて調べてみた。

 1949年の《黄飛鴻伝》二部作以来、関徳興は映画77作と全13回の連続TVドラマで黄飛鴻を演じ、それらは全て名作と称されている。その理由は、黄飛鴻をめぐる伝説をもとにして構成されていること、関徳興の持つ強烈なキャラクターが主人公とその世界観にマッチしていること、そして演出陣が安定しており、主演キャストにも大きな変化がなかったため、シリーズ全ての構成が安定しており、次世代に及ぼす類型を内包していたということが考えられる。

 儒家の倫理

 慈しみを持ちながらも厳しいという、黄飛鴻の持つ父親的イメージは、今日の青少年たちには受け入れにくいものであるかもしれないが、これらの映画に現れる精神やイメージは、現在でも受け入れられる要素がある。例えば、理想の父親としてのイメージは、彼の経営する寶芝林薬局やその家族・師弟関係で描かれる。彼の弟子は全て庶民の階層から集まってきており、あれこれと性格的に弱点を抱えている。梁寛や鬼脚七を始めとした弟子たちや母弟子、兄弟子たちは自立している擬似家族の形態をなしており、彼らの起こすトラブルを黄飛鴻が解決し、教訓を与えるという構成になっている。これは典型的な儒家倫理の道徳観に基づいている。鴻飛鴻は儒家の智・徳・勇の美徳を具現化しており、このシリーズでは父親を中心とし、仁愛を基とする人倫世界を唱えている。武術はひけらかすものでも征服に使うものでもなく、自分の身を守り、必要な時には争いを止めさせて秩序を維持するための唯一の手段として用いられるのだ。

 《黄飛鴻》のシリーズは、清朝末期の乱世を舞台に、自立心のある家族像を描き出し、さらに智・仁・勇・忠・恕などの美徳を用いて、海外からの侵略に抵抗する人々にとっての心の支えを描き、それに通俗的な演劇術や武術技法に忠実な大量のカンフーアクションシーンを加えたことで、娯楽の中に儒教の教えを取り入れたのだ。

 もちろん、映画製作の形式から見れば、このシリーズに不足しているものは多数ある。製作規模が貧弱で粗製濫造されており、脚本、演出、演技のバランスが取れていないようにも見える。そこで、その部分をおろそかにしないように、当時の主流だった北派だけでなく嶺南派の武術を取り入れたり、劉シ甚、劉家良、袁小田、唐佳、韓英傑などの名匠を起用した。これらの努力が、今日までの香港カンフーアクション映画に大きな影響を及ぼしている。

 劉シ甚(林世榮が当たり役だった)を父に持つ劉家良は、70年代のアクション映画では黄飛鴻シリーズが持っていた武徳と人倫秩序を強調し、彼とその兄弟たちは《黄飛鴻》の伝統を最も色濃く受け継いだ。一方、袁小田を始めとする袁家の者たちは、『酔拳』などのカンフーコメディ作品を作り出し、成龍の新しいイメージを作り上げて、彼の快進撃に火をつけた。劉家良と唐佳はショウブラザースで張徹作品のアクション指導を長く務め、彼の作り上げる激しく暴力的なアクションイメージを作り上げるのに重要な役割を果たした。唐佳はまた、王羽出演・監督の《龍虎門》(70)のアクション指導を手がけ、韓英傑はキン・フー作品の助手と李小龍の2作品でアクション指導を務めた。李小龍、王羽、サモ・ハン以降の数多くのカンフー映画には、もちろんアクションに重きをおきすぎてカッコばかりになってしまったような作品もあるにしろ、ほとんどの作品が《黄飛鴻》に何らかの関係を持っていた。

 伝統を知る

 時は流れ、時代も変わり、かつて黄飛鴻シリーズで描かれたような儒家の教えが世間に受け入れ難くなってきている。90年代には全く新しい黄飛鴻シリーズが生まれたが、そこでも関徳興をリスペクトして伝統を継承している。伝統を知ることは新たな創作の基点となるのである。
 《黄飛鴻》を作ってきた各時代の映画製作者にとって、関徳興はその規範を築いてくれた、大きな存在なのである。

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 あくまで抄訳にして、一部超訳もあるので、細かいところが違うかもです。
先に謝っておきます。

 黄飛鴻といえば、成龍さんの『酔拳』かリンチェイorウィン・チャオ(趙文卓)のワンチャイだろうと思い出してしまうワタシが若輩者なのはいうまでもない。
 関徳興さんが亡くなられて、もう10年以上過ぎるが、作品自体は観たことなくてもなぜか名前は知っていた。当時の中華芸能系メディア&サイトでも、彼の追悼記事では「黄飛鴻を当たり役としていた」という紹介がされていたからね。

 その生涯で80回近く黄飛鴻を演じていたという関師父だが、短期間でこれだけ大量の作品を産み出せるのはさすが香港映画だよな。同じ頃の日本ではテレビの普及で映画業界が衰退し始めた頃だけど、その頃を思えばこれだけ大量に作品を撮れたのはすごい気がする(と当たり前のことに感心してスミマセン)。

 しかし、エンターテインメントに儒家思想を持ち込むというのはわりとオーソドックスな手じゃないかな。とはいっても当時の観客が果たしてそこまで意識して観ていたかまではわからないけど、まぁこの文章は論文だから、そこまで読み込まないといけないってことね(これも当たり前だって)。

 関師父の黄飛鴻は、日本語字幕で観られるのかな?
たとえなかったとしても、香港電影資料館には映像があるはずだから、今度行ったときにでもチェックするか。 
 というわけで、この章終わり。

 次回は、1930年代に大陸で大人気を呼びながら、公共良俗に反するとして政府から上映禁止とフィルム焼却の命令が出たという伝奇武侠映画《火焼紅蓮寺》について描かれた「《火焼紅蓮寺》的功與罪(《火焼紅蓮寺》の功罪)」について。

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