« 『香港 アジアのネットワーク都市』浜下武志 | トップページ | 三國之見龍卸甲(2008/香港・中国・韓国) »

《香港電影類型論》覚え書き:羅[上/下]「香港類型電影之武侠篇」(その2)

 《火焼紅蓮寺》的功與罪(《火焼紅蓮寺》の功罪)

 政治が比較的安定している時代の社会では、伝奇カンフー映画はもちろん、三級のポルノやバイオレンス映画も人気になるが、たとえ盛んに作られて人気を呼んだとしても、多くの古い考えを持った人々に非難されて、検閲で修正されることになるが、そういうことは珍しくない。

 しかし、政治的に不安定で、動乱期にある社会では、このような「邪道」ともいえる映画たちは、必ず統治者によって激しく批判され、公衆に向かって晒し首にされるように犠牲となった。また、往々に社会の道理として、このような作品は人を邪淫や不正に導くとして恐れられたため、それらが反権力に目を向けると考えた権力者は流行文化を叩いたのである。

 30年代、ヒトラーの専制政治が行われたドイツでは、リアリズムで描かれたサスペンスやフィルムノワールが上映禁止となり、多くの製作者がアメリカへ亡命せざるを得なかった。20年代末に作られた張石川監督の《火焼紅蓮寺》(1928年)は、当時の中国で大ヒットを飛ばした作品である。これが伝奇カンフー映画のはしりであり、上海の多くの映画会社はそれに乗じた「火焼片」を競作した。当時は小学生にまで人気を呼び、彼らはこの映画を観るために家出をして帰ってこなかったというニュースまであったくらいだ。その内容もエログロや博打等を盛り込んでいたため、市民を堕落させるという否定的意見もあり、一方映画はフィクションだからという意見もありと賛否両論を呼んでいた。
 しかし、満州事変後、日本軍が東北を占領し、革命に失敗した共産党が地下活動を始めたことがきっかけで、時の政府はこれら動乱に乗じて、《火焼紅蓮寺》のような伝奇カンフー映画は社会に対して悪影響を及ぼすと非難した。そして民国21年(1932年)、国民を悪影響から守るという名目で、映画の上映を禁止し、フィルムも没収して焼却しまった。こうして、「伝奇映画」は民国33年(1934年)以降は作られなくなってしまった。

 《火焼紅蓮寺》はこのような経緯で糾弾され、悪名を残した映画とされているが、客観的に作品そのものを見てみると、この映画は映画製作において大きな成功を収めている重要な作品でもある。まず、この映画が大々的にヒットしたことで、映画市場が盛り上がり、ひいては中国映画が東南アジア諸国へ販売ルートを開拓するきっかけとなった。次に、各映画会社がこぞって《紅蓮寺》の続編やシリーズを作ったことで、壁を走ったり空を飛ぶような映像を見せるためのワイヤーアクションやアニメーションのようなアクションや特撮技術が生み出され、これらの技術は30年代末までに大きく発展した。また、この映画では彩色を施して鮮明にすることも試みられた。このように、すでに30年代には大胆な映像が作られて新たな創造が見られたのだ。

 国情が不安定化すると、為政者は人民の思想を統治するために、「清潔さ」をもって思想を正しいものへと整理しようとする。その状況下、異端な作品にはその政権が本当は腐敗していて無能であることが反映されるので、それを取り締まって排除するだけでは、何も解決しないのである。

 あまりにも多くの誤解をうけているのが惜しいのだが、この新しい試みに満ちた異端の作品には、庶民の生命力が湧き出ていて、その流れをよくし、経済と民衆に大きな助けをもたらしている。これらの「火焼片」で使用された特撮技術がもし禁止されなければ、中国映画のアクションシーンが今よりももっと優れたものになっていたかもしれなかったのである。その技術が遺憾なく発揮されるのは、60~70年代以降の香港カンフーアクション映画の登場まで待たねばならなかったのだ。

----------------------------

 またまた超抄訳で失礼します。
 これは、中国語映画初期に作られた、いうなれば武侠映画史で重要な位置を占める映画《火焼紅蓮寺》がなぜ人気を集め、そして批判されたのかということについて書かれた文章。

 政府お墨付きの名作よりも、とあるジャンルに限定されながらもそれを飛び越える類の映画には、その後の映画製作の方向を位置付けるものが生まれるが、その過激さから糾弾されやすいリスクがある、ということか。これはポルノ映画が多くの個性派監督を生み出し、ホラーが国内ばかりでなくハリウッドでも受けた日本映画界に通じるところがあるのかもしれない。アジア以外で言えば、B級作品を偏愛するクエタラや、オーストラリアでお下劣スプラッタを作りまくってたらいつの間にか『指輪物語』3部作でビッグになっていたPJなんかも当てはまるかな。それを考えれば、今大ヒット中の日本メジャー系TV局映画が揃いも揃ってつまらないのは、ほとんどの監督がTVやCMのディレクター上がりで、誰にでも親しみやすい無害な映像ばっかり作ってきたから…とか書いたら毒吐き過ぎか。

 ちょっと抄訳がうまくいかなかったが(後で聞こう)、ワタシの先生は5番目のパラグラフに大きく共感していた。《火焼寺》をバッシングした時の政権は国民党政権だったけど、こういうことは共産党政権でもあったことだから、と言っていたのだ。それはよくわかるな。そして、日本だって同じことじゃないって思うところはあるもんな。いずれにしろ、映画は異端な方が面白いものが多いってことか。と、この場はコレで締めたいと思う。もしかしたら別項でまた書くかもしれないけどね。

 次回は、次回は、93年に香港で起こった古装片ブームにつながる伝奇カンフー映画の流れを辿る、「略談神怪武侠粤語片 並評介《如来神拳》《聖火雄風》」。結構長い文章だけど、うまく抄訳できるかどうか…。

|

« 『香港 アジアのネットワーク都市』浜下武志 | トップページ | 三國之見龍卸甲(2008/香港・中国・韓国) »

香港電影研究学習記録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14197/45390028

この記事へのトラックバック一覧です: 《香港電影類型論》覚え書き:羅[上/下]「香港類型電影之武侠篇」(その2):

« 『香港 アジアのネットワーク都市』浜下武志 | トップページ | 三國之見龍卸甲(2008/香港・中国・韓国) »