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『上海ベイビー』衛 慧

 10年位前と比べれば、中国映画もフツーに観られる時代になった。
 でも、中華圏現代(当代)小説の分野に関しては、日本に普及するにはまだまだ数が足りないのではないだろうか。もっともそれは、日本が出版不況に陥っていて、国内の作家の本を売るので手一杯なため、海外(特に非英語圏文学)の作品セールスまでカバーできないのは惜しい気がする…とつい生意気を書いてしまうワタシ。

 そんなことを思いつつこの夏読んでいたのが、今から9年前に中国で話題になったこの本。
当時はベストセラーになりながらもその内容の過激さから当局から発禁処分を受けた、というスキャンダラスさが売りで、日本では2001年に文庫で発売された。
 で、アタシは実はこれを読んでなかったですよ、未だに!
 読まなかった理由としては特にないんですけどね!
 これを読むきっかけをくれたのはワタシの仕事の師匠で、夜遅くまで奥運会と中国を巡る話を展開させていたとき、「まだ読んでいないなら是非読みなさい」と言われて借りたのである。

 ココこと倪可は25歳。大学を出てから初めて書いた小説『蝶々の叫び(衛慧自身もこの題で小説を書いている)』が注目され、それから転々と職を変えてカフェのウェイトレスをしている。彼女はカフェ
の常連客であるアーティストの天天と恋に落ち、同棲することにしたが、ココにとって不幸なことに彼は不能だった。性的には満たされないものの、ココは天天を心から愛し、カフェを辞めて本格的な執筆活動に入ることになった。天天を通じて彼の同級生だったマドンナ、彼女の年下の恋人ディックちゃんなどと知り合い、ココは上海で夜遊びに興じる日々を過ごす。
 ある夜、マドンナが主催するパーティーで、ココはドイツ人のビジネスマンマークと知り合う。次に出会ったとき、二人はベッドを共にした。彼女は天天を愛しながらも、マークとの情事に溺れていく。冬になり、天天が海南島へ旅行しに行くが、彼の不在に、ココはますますマークに激しくのめり込んでいく。彼には妻子がいたが、ココはそれにも構わなかった。そして、マドンナもココがマークの愛人となっていることを知り、天天には秘密にすることを誓う。
 天天から預金通帳を持ってくるよう頼まれたココは海南島へ行くが、そこで彼女は天天が麻薬に手を出したことを知る。二人で上海へ帰り、天天を薬物治療センターに通わせる。薬物から脱した彼はココへの思いを一層強くし、ココもまた天天への思いを新たにした。天天の母親もスペインから帰国し、ココは改めて自分たちの仲を天天の母に認めてもらう。
 しかし、そんなココの生活もマークが帰国することで崩れてしまい、全てを知った天天はふたたび麻薬に溺れることとなる…。

 ネオン煌く夜の街、夜毎パーティーに繰り出し、身も心も果てしなき快楽に委ねる若きヒロイン―。決して珍しい設定ではないし、愛する恋人と身体だけの恋人を使い分ける二股だって珍しくない。(え?)だけど、これが日本やアメリカだったら珍しくなくても、中国だったからここまでセンセーショナルになったってことなんだな、当たり前だけど。
 中国だっていろんな側面を持っている。近代都市と未開の地と、悠久の歴史とそれを平気で否定する暴挙と、共産主義と拝金主義と、反米と半日と中華思想と。人民帽とマオカラーの時代はすでに遠くに過ぎ去り、急成長を遂げようとしているのだから、その上で生活を享受している人だって少なくない。ヘンリー・ミラーやココ・シャネル、アレン・ギンズバーグを愛するココは一見西洋かぶれかと思わせながらも、中華民族である自意識も持ち合わせている。まるでオリエンタリズムに自らの身を浸して、上海というコスモポリスを泳ぎまわっているみたいだ。
 そんな彼女だから、当然ナルシチズムも強い。自らの恋愛遍歴や天天との性的に満たされない恋愛、その反動でマークとはしたなく交わる姿、これはあまりやりすぎると鼻につく(そして、当然作者自身と同一化されて読まれてしまう)。だけど、中国で言われていたほどに衝撃的ではないと思った。日本でもこれ以上にはしたないナルシスト小説は珍しくないし(芥川賞受賞小説の某にもそーゆーのあるぞー)、むしろやり過ぎないように計算しながら描かれたんじゃないだろうか、と思わせられる。衛慧って、かなりクレバーな女性とみた。いや、もしかしたら翻訳でかなり抑えられたのかもしれないけど。

 恋愛と性愛と街の煌きに身を浸して生きてきたココだが、その快楽は果てなく続く…わけでは決してない。ココを本気で愛してしまったマークが彼女に思いをぶちまけ、そしてマークとの恋が天天の知るところとなったことから、彼は破滅してしまう。マークも帰国し、天天を弔った彼女は、天天から遠ざけられた彼の祖母と行き逢ったことで、自分が空っぽであることを確認する。ココは、愛と性でしか自分の性を確認できない女性だったのだ。だから、愛を失った自分が誰なのか、と自問することでこの物語が幕を閉じることとなる。

 この小説、いわゆる“恋愛至上主義”を叫ぶそれとは違うような気がする。それは、ココという女性に“上海ベイビー”という名前を与えることによって、20世紀末上海の揺らめきや虚飾を描き出し、そこから現代中国の最先端に生きる人々の不安定さを読み取ることができるからだ。だからこれは恋愛小説ではないし、中国当局がうるさく取り締まったこともなんとなくわかる。
 …なんていうのは、あまりにも深読みしすぎだろうか。

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