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胡同の理髪師(2006/中国)

 人は、いつか必ず死ぬ。そして形あるものは、いつかなくなる。
 こんなごくごく当たり前のことを、ワタシたちはつい忘れてしまう。古きものは新しきものにとって代わられ、年を追うごとにその変化が急速に進んでいく。それは子供や若者にとっては歓迎すべき自体なのかもしれないが、年を経た大人や老人はそれについていけず、いつか消えゆく古きものを懐かしむ。日本だけでなく、全世界的に起こっているような気がするレトロブームも、そんな思いがあるからなのだろう。
 だけど、いくら懐かしんだって、一度失われたものは戻ってこない。必死に古き伝統を残そうとしても、それは形を変えずに永遠に残るものとは限らない。そして、自分を含めた人間だって、いつかこの世に別れを告げなければいけないのだ。そのときが来るまでどうやって生きるのか、ということも大切だが、どのように「死」への準備をしていくのか。ワタシはその一例を、『胡同の理髪師』に観た。

 北京の旧城内。鼓楼の背後に胡同が広がる、什刹海の后海地区。
 ここに暮らす敬(チン)おじいさん(チン・クイ)は90歳を越えた現役の理髪師だ。毎日6時に目を覚ますと、毎日5分遅れる年代ものの時計を直し、身だしなみを整える。時計の遅れが気になって、一度時計屋に修理を依頼したが、「年代ものなので修理がわからない。完全に止まったら持ってきてほしい」と言われている。
 敬おじいさんは荷台つき自転車に乗り、胡同に住む古い顧客を訪ねて、午前中は毎日散髪をしている。今や北京有数の名店と化したモツ煮込み麺屋の主人張さん、黒猫のニウニウと一緒に暮らしている足腰が弱くなった米さん、家族との同居を拒んで胡同に住み続ける趙さんなどがお馴染みさんだ。みんな敬おじいさんと同年代。午後は休憩中の張さんの店や自宅に友人を招いて麻雀を楽しみ、夜9時に就寝する。敬おじいさんには別居している60歳を過ぎた一人息子がいるが、工場を定年退職したものの、息子の嫁の出産を控えており、さらに自らも体を壊しているので、病と貧しさに苦しんでいる。おじいさんも息子の窮状をわかっているので、世間話をしながら自分の分け前を息子にやることがある。ある日、政府の役人がやって来て、敬おじいさんの住む地域を再開発地区に指定する。おじいさんは「取り壊される頃にはワシは生きてないから、別に構わんよ」と悠然と構えるが、それを聞いていた息子は複雑な気持ちになる。
 その頃から、おじいさんの顧客たちに変化が現れる。米さんを訪ねたおじいさんは返事がないのに気づき、救急を呼ぶ。主を失ったニウニウを引き取り、一緒に暮らすことにする。また、趙さんは郊外に住む息子夫婦に引き取られるが、息子の散髪を拒否し、すっかり衰弱してしまう。息子は敬おじいさんを自宅に招いて、趙さんの散髪をお願いする。息子家族による趙さんの扱いのひどさにおじいさんは腹を立て、料金を受け取らずに仕事を終える。しばらく経って、趙さんの訃報が胡同に届いた。
 親しい人々が逝ってしまうのを見送った敬おじいさんは、ある決意をする。人民服を新調し、道端に店を出しても閑古鳥状態の自分より若い理髪師に散髪してもらう。写真店で写真を撮り、店を継がずに美大で画家を目指している張さんの孫に自分の肖像画を描いてもらう。そして、12月のある寒い朝、全ての支度を整えたまま眠るおじいさんの部屋の時計がついに止まる…。

 人生の酸いも甘いも味わい尽くした90代なら、ゆったり生きることができる。
…でも、そこまでたどり着くことを考えると、それはなんて遠いことなんだろうか。いくら長寿時代に入ったとはいえ、その境地にたどりつくのは容易じゃなさそうだ。後半、おじいさんが自分の半生をテープに吹き込む場面がある。そこでは、彼が中華民国初期から今まで大きな時代のうねりに巻き込まれながら21世紀まで生きてきたことが語られる。おじいさんを演じるチン・クイさんも実際に理髪師をしているから、ここではまさに彼自身の人生をそのまま語っているんだろうな。

 そんなおじいさんが、ふと捉われるのが自分の死への思い。
 周りの人々が次々と逝ってしまう。自分もこの胡同で一人逝くことになるのか。そんなことを思ったからこそ、自ら死への準備を行う。将来、自分もそういう覚悟で生きなければいけないのだろうか。まぁ、それはその時にならないとわからないのかもしれない。

 それに加えて、街からも古いものが次々と失われる。もちろん、それを残そうとしている努力もあるんだけど、時代も急激に進むのだから。だけど、そんな時代を横目に話はすすんでも、その時代性を決して否定しない。ただ古いものをただ無条件に称賛しているわけではないのだ。そういう作りをしているのがいい。
 おじいさんは、思いやりのない者には敵意を抱くが、敬意をもって接してくれる若者(画学生くんや若い理髪師など)には心を開く。決して下の世代をぞんざいに扱っているわけじゃないのだ。そういう、異世代とのコミュニケーションもきちんと描かれている。

 今日はちょうど敬老の日。やっぱり、年経た人々は尊敬しなくてはね。
 そして、たまには自分が年経たのちに迎えることを、少し考える余裕をもっていいのかもしれない。そんなことを思った次第。

原題:剃頭匠
監督:ハスチョロー 脚本:ラン・ピン 撮影:ハイ・タオ 音楽:チャ・カン
出演:チン・クイ チャン・ヤオシン ワン・ホンタオ ワン・シャン

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