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プラットホーム(2000/中国・日本・フランス)

 またまた映画からかなり遠い枕にて失礼。

 日本では昭和ブームである。でも、昭和といっても64年間あったわけで、ブームの中核を担っている某三丁目のなんたらの時代である昭和30年代と、ワタシが青春を過ごしたバブル期でもある昭和末期とでは、生活水準も景気も清潔度も公害の発生も全然違う。だいたいにして30年代なんてこっちは生まれていないから、懐かしがる理由すらもないはずなのである。これについて語るとますます脱線していくのでこのへんにしておく。

 振り返って中国である。前回と同じような論法で失礼。
日本でいう三丁目のなんたらの時代、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れ、行き過ぎた共産主義が資本主義を敵とみなし、ブルジョア階級を糾弾しては若者に労働を呼びかけた。その時代の狂気を映画によって告発したのがイーモウやカイコー、田壮壮たちのように文革時に青春期を過ごした“第5世代”の監督たちだった。それは80~90年代の世界映画界で注目されて賞賛を浴びたが、当然政府はそれを問題視し、彼らの映画作りを制限していた。この世代の監督たちが国内でも自由に作品を作れるようになり、特にイーモウやカイコーがハリウッドにも匹敵する規模のアクション大作を撮るようになった現在、『太陽の少年』や『小さな中国のお針子(これは厳密に言えば中国映画ではないが)』のように、文革を単なる時代背景の一つとして取り上げ、テーマとしては特に重要視しない作品が登場したり、ポスト文革の若者を描く作品が増えてきた。監督の世代交代で起こっている現象だろう。
 文革真っ盛りの1970年、山西省に生を受けたジャ・ジャンクーもまたポスト文革世代である(と言っちゃっていい?)が、彼の長編第2作である、この『プラットホーム』は彼の幼少期にあたる80年代を舞台にして、ポスト文革の若者たちの魂の彷徨を描いた作品である。

 明亮(王宏偉)、瑞娟(趙涛)、張軍(梁景東)、鐘萍(楊天乙)は山西省[シ分]陽の文化劇団に所属し、各地を回って歌を歌い、演劇を上演していた。張軍と鐘萍の交際は親も認めていたが、互いに愛し合う明亮と瑞娟は、親密な関係に今一歩踏み切れず、おまけに瑞娟は親からしきりに縁談を薦められていた。
 文革終了後間もなく、文化劇団は毛沢東思想に基づいた劇を上演していたが、中国の改革開放に合わせて台湾や香港から流行歌が中国各地にやってくるようになり、文化劇団でも西洋音楽を積極的に取り入れた演目が上演されるようになる。張軍は親戚のいる広州に行って最新の香港ファッションや音楽をどっさり持ち帰り、鐘萍はパーマをかけてフラメンコを踊る。
 改革開放による自由を謳歌する若者たちだが、恋愛関係や周辺の状況は変化していく。瑞娟は明亮との間に距離を感じ始め、鐘萍は張軍の子供を身ごもるが、産むのを反対されておろしてしまう。さらに文化劇団への政府からの援助が打ち切られ、最年長者を団長にして新たな出発をすることになったが、瑞娟は街にとどまることを決意する。
 旅回りに出た文化劇団は明亮の従兄弟三明(韓三明)のいる炭鉱の村で公演をすることになり、明亮は炭鉱で働く三明の過酷な状況を改めて知る。さらに別の街では、結婚していない張軍と鐘萍が一緒に部屋に泊まったことで警察に連行される。自分たちは夫婦だと言い張る鐘萍をよそに、張軍は罪をあっさりと認める。失望した鐘萍は[シ分]陽に戻った後、張軍たちの前から姿を消す。
 80年代後半、劇団には明亮と張軍に加え、かつての仲間の二勇と新たに加わった双子のダンサーしかメンバーがおらず、「深[土川]ロックンロール・エレキバンド」と名を変えて明亮の歌うロックとダンサーのブレイクダンスをメインに旅回りを続けていた。しかし、彼らの活動も限界を迎え、二人は劇団の解散を決意する。[シ分]陽に戻ってきた明亮を迎えたのは、今は税務署で働く瑞娟だった…。

 開発バブルに浮かれる中国、と書くと非常にありきたりであるが、今思えばこの国は20年以上前から急激に社会が変化していたということを忘れてはいけない。ジャンクーと同世代のワタシであるが、そういえば高校の地理の授業で中国のことを学ぶと、中学校で学んだ人民公社が高校では登場せず、人民公社の解体による自由化で、裕福な農民が増加してきたということを言っていたような、ということを思い出す。大学ではもちろん専門的にやっていたのだから、より詳しい状況を知ることができたのは言うまでもない。
 でも、そこではもちろん各地の状況も詳しくはわからない。今でもそうだが、どうしても大都市の大きな変化ばかり目が行ってしまうからだ。そんな調子なので、山西省出身のジャンクーが、自らの故郷を舞台に時代のうねりとポスト文革世代の若者たちの群像をリアルに描いてくれることは、中国の現代を理解する手助けになってくれてありがたい。(それが面白いか否かはまた別の話)
 観ていて興味深かったのは、主人公4人の考え方。彼らは旅回りの劇団に所属しているからというわけじゃないけど、生まれた街を捨て去ってまで都会で成功したいという野心が薄かったような気がする。彼らを動かすのはテレサ・テンやジョージ・ラム(実はレスリーの「モニカ」も挿入曲に使われる予定だったらしい)など香港や台湾の80年代ポップスやユンファのファッションなどであるが、それを求めて広州まで買い出しに行っても、手元に置いて楽しむだけで都会に行きたいという意志を見せない。(いや、もしかしたら失踪した鐘萍は広州から香港へ行ってしまったのかもしれない)旅に青春をおいた彼らは、そこで出会う人々やモノゴト(初めて汽車者を見た時のはしゃぎようといったら!)が彼らの好奇心を刺激するので、大都会に出なくても十分満足していたのではないだろうか、などとちょっと考えてみたりする。
 そんな刺激的な旅もいつかは終わりが来る。劇団と共に青春を送った張軍は腰まで伸ばした髪を切り、明亮は瑞娟と結婚してカタギになり、青春に幕を引くのだ。張軍の愛は鐘萍を失ったことで終わり、明亮は三明を見て厳しい現実を知る。青春の夢が泡沫と消え、彼らは現実で生きていくことになるが、もし彼らが実在したら多分40代後半くらいだ。いったいどういう生活を送っているのだろうか。
 
 確かに2時間半の上映時間は長いし、時代背景がはっきり語られないのと省略が多いので(それはホウちゃんや家衛や青山真治の作品も同じだが)、ちょっと退屈してしまうのはいうまでもない。実際ワタシも途中で意識が(苦笑)…なんだけど、これが世界に絶賛されたというのは充分わかる。この作品がデビュー作だった趙涛の初々しさ、香港ファッションをまとっても黒ぶちメガネは手放さない王宏偉の「あの頃の」今時の若者っぽさ、3作品通してみても全然印象がぶれない(しかもまた名前を聞いてちょっと笑った)韓三明の朴訥さなど、役者たちもいい味わいがある。

 ところでジャンクーの次回作は王朔の『刺青時代』の映画化で、しかも主演にジェイが予定されていると聞いたんだけど、それはどこまで本気なんだ?それを聞いたのもかなり前の話なので、もしかして企画倒れになってるのかもしれないけど。

原題:站台
監督&脚本:ジャ・ジャンクー 製作総指揮:森 昌行 製作:市山尚三 撮影:ユー・リクウァイ 音楽:半野喜弘
出演:ワン・ホンウェイ チャオ・タオ リャン・チントン ヤン・ティエンイー ハン・サンミン

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