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『〈鬼子(グイヅ)〉たちの肖像』武田雅哉

 実はワタシが未だに『マッスルモンク』を観られないのは、セシリア演じるヒロインに日本兵の亡霊がとりついているだかなんだかという設定があることにもある。また、リンチェイと金城くんの『冒険王』では、日本軍が敵役として登場し、ラストで日本の敗戦が未来像として、おそらく米軍が記録したのであろう敗戦直後の焼け跡の中での日本人の姿が映される。それを観た時に心が痛くなってしまい、やっぱり香港人はかつて一時的に日本に占領されたことがあるから、実は日本に恨みを抱いているのだろうかなんて考えてしまったのだ。
 もっとも香港映画での、特に戦前・戦中期を舞台にした作品での日本軍の扱いは、ハリウッドでのナチス・ドイツ軍と同じようなものだといわれているから、思い入れはそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。日本の戦争映画ではひたすら己の内面を描き、敵を描かずに終わるから、そういうものに慣れていないってのもあるし、実際自分もイーストウッドの硫黄島二部作を観て、今までの戦争者への偏見をなくしたから、違和感を抱いたり悲しく思ったのは仕方がないのかもしれない。

 しかし、中国映画では違う。戦時中を舞台にした映画では、日本軍は徹底的に憎むべきとして描かれる。張藝謀の監督デビュー作『赤いコーリャン』でもクライマックスに日本軍が酒屋を襲うシーンを入れているし、彼が撮影を担当した『一人と八人』も抗日戦争の話だから、悪役日本兵が登場する。このへんの作品を観ると凹むのだが、中国当局から、映画における日本兵をひたすら残虐な殺人鬼として描くように指示されるという。その証拠に『覇王別姫』で登場した芸術を愛する日本軍将校や、『鬼が来た!』で香川照之が演じた日本兵との人間くさい触れ合いなんかは非難されて、後者では姜文さんに7年間の映画活動を禁じたってくらいだ。でもその後彼は役者としては活動できたから、映画制作の禁止って意味だよな?…それで今年やっと新作をヴェネチアに出品できるのか。
 それはともかく、2年前に大々的に報道された反日デモやアジアカップの際の暴動で、多くのパンピー日本人の間に「中国はイヤな国だ」というイメージがすっかり染み付いてしまい、その影響は今にも及んでいるんじゃないのだろうか。ここ最近じゃアメリカ当の報道から始まった中国製品の「毒」騒動なんかもそうで、ただでさえプロパガンダな中国報道を真に受け、それよりも大げさに日本国内で報道されたことで、なんとなく「中国製品はすべて毒」なんて思いこみがついちゃっているんじゃないの?いや、別にアタシは中国の肩を持つわけじゃないけど、マスコミやネットの情報に踊らされるのは愚かだよなーって思っちゃうもんで。ワタシの住んでいるところなんて田舎だから、中国語を学んでいることや中華芸能が好きなんていうとものすごく物好き扱いされるし、数年前に外国人窃盗団が地方を襲っていた時期には、なぜかアタシに「日本で一番犯罪が多いガイジンって中国から来てるんだってねー」なんていう輩がいて、だから何なんだ?たって気もしたんだが、異端扱いされてしまうのはしょうがないと思う。それでも韓流と一緒くたにされると悔しいのだが、それはまた別の話として。



なんだかますます前置きが長くなってきて申し訳ないけど、この本では、日本人を〈鬼子〉と呼ぶ中国人は、これまで当の我々をどう見てきたのか-というのを清朝末期に発行された絵入り新聞『点石斎画報』の日本人についての記録を手がかりに追っていくものである。この新聞、もともとはイギリス人によって発行されたものの、中国人向けのメディアであるので、当然執筆は中国人である。それゆえに日本人の描き方に違和感があるんだけど、それは同時期(江戸末期~明治初期)の日本が画報で描いたガイジン-特に西洋人の姿に通じるものがあると考えればなんとなく受け入れやすいような。
 ここに書かれる日本人ネタの面白いこと。もちろん「それってどーよ」とつっこみたくなるネタも多少あるけど、この『点石斎画報』、ノリとしては東スポというか、現代風にメディアを変えれば、某『○界ま○見え!』に通じる世界ビックリニュース的な扱いで見られているのである。なーんだ、時と場所が変わっても、人はビックリネタが好きなんじゃないか!って思うと、思わず大笑いしてしまう。
 しかし、ふと思った。中国側が日本軍のことを非難する時によく「日本鬼子は無抵抗の人々を殺し、妊婦の腹を引き裂いて胎児を引き出し、殺戮をほしいままにした」と言うけど、そういえばその描写は『三国志』や『史記』などの日本語訳を読んでも普通にでてくることであるということ。いや、だからと言って別に中国人が残虐だってわけじゃなくて、冷静に考えれば中国文学の描写は過大な比喩表現に満ちているから、殺した野が事実としてもそんなに残虐じゃないだろうと一歩引いた見方をしなければいけないのかもしれない。
 戦争で犠牲になるのはいつでもどこでも名もなき人々であるし、中国でも日本でも罪のない人が戦争のせいで殺されている。いくら負けても命があれば生きられるのに、自決を強要するまで死ぬのもやはり愚かなことだ。靖国神社の戦犯合祀とか従軍慰安婦問題やらでまだまだ先の戦争のことが尾を引いていたり、憲法改正問題で日本も軍隊をとかなんやらと、この夏もまだまだ戦争に繋がる問題を考えさせられたものだが、なんのかの言っても悪いのは現在の国とか昔を知らない人間などじゃなくて、戦争が一番悪いんだとしかいいようがないし、それを起こそうとする暴力もいやだ。だからワタシは反戦主義なのだ自分のサイトのトップページで掲げているのである。

 …なんだか妙に熱くなってしまって、自分もまだまだ青いなー。たまたま読んだ時期が今だったこともあって、ついついシリアスに考えすぎちゃったんだけど、それを抜きにしてもかなり興味深い本ですよ。著者の武田雅哉さんは北大(もちろん北海道大学)大学院で中国文学を教えている方だそうですが、著書には図像から中国に迫るというものが多く、近著の『楊貴妃になりたかった男たち』もちらっと読んだ限りではかなり面白そうざんす。これも読んだら感想書きますね。 


 …しかし、相変わらずまとまりのない感想で申し訳ない。今日の記事には多少政治的に感じられる言葉があるかもしれないけど、そのへんに関するツッコミや横道誘導はこのblogではできませんので、まぁこんなことかと流しておいて下さいまし。

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