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迷子(2003/台湾)

 昔、といっても90年代末、レオス・カラックス監督&ドニ・ラヴァン主演のフランス映画『ボーイ・ミーツ・ガール』『汚れた血』『ポンヌフの恋人』―いわゆる“アレックス三部作”をまとめて観たことがある(今でこそこーんな人間だが、かつてはアタシだってオサレなおフランス映画をちゃーんと観ていたのだ)。このアレックス三部作は、ラヴァンが演じる、いつも同じ名前の主人公アレックスと、ジュリエット・ビノシュの演じる男女を主人公に、この二人がさまざまな形で出会って恋をしていったり、事件に巻き込まれたりしており、物語はいかにもフランス映画といえる悲劇的かつ内省的なものだった。なにせこれらの映画が公開されたのはバブル期真っ盛りの頃。確か学生時代に『ポンヌフ』が上映されて単館系映画としては大ヒットを記録したことを覚えているけど、当時はあまり観に行こうという気が起こらなかった。なんでかしら?
 で、数年経ってからこのようにまとめて観る機会があったのが…うーーーーーん、なんか自分には合わなかったわ。好きなヒト、どうか気を悪くしないでねm(_ _)m。ヒット当時に観ても多分受け付けなかったんだろうなぁ。
 え?なぜいきなりカラックスの話をするのかって?…実はこの三部作を観る前に、ちょうどワタシは蔡明亮&シャオカンコンビの作品をいくつか観ていて、なんとなーく、カラックス作品とミンリャン作品には、なにか共通するものがあるように感じたのである。それはなんだったのかな?どこか焦りを感じさせる展開と、どことなく後味が悪く感じる幕引きが…?ともかく、そう感じたので、しばらくはシャオカンを“台湾のアレックス”と呼び、ドニ・ラヴァンを“フランスのシャオカン”と呼んでいたことがあったのだ。あと、ミンリャン映画ってフランスで受けそう…とか思っていたら、『ふたつの時、ふたりの時間』はパリで撮影し、『西瓜』はフランスの資金で撮ったわけだから、あの時思ったことは結構関係あったんだ、と思った次第。
 そんなわけで、怒涛の蔡明亮花祭り(爆)の掉尾を飾るのは、彼の分身、相方、または愛人?(こらこら)であるシャオカンこと李康生の記念すべき初監督作品『迷子』である。

 台湾郊外の街、中和。ある夏の日、おばあちゃん(ルー・イーチン)が公園のトイレで用を足している間に、孫のシャオイーがいなくなってしまった。血眼になってシャオイーを探すおばあちゃん。近くの交番に届けても、園内放送をかけてもらっても、大事な孫が現れない。公園内の人全てに孫の行方を尋ねると、急いでるからと邪険にされたり、放送をしてもらえば?とすでに役に立たないアドバイスをされたりと、反応はさまざまだ。
 その公園に、おじいちゃん(苗天)の用意してくれた弁当を捨てた中学生の小杰(張捷)は、学校をサボってネットカフェでオンラインゲームに興じていた。シューティングゲームにどっぷりはまり込んだ彼は、隣に座った常連の男ともオンラインでしか会話をしない。さらにその男が発作で倒れても、彼が戻ってこないことに気づかずにゲームに没頭していた。
 おばあちゃんは公園から街に出る。大根餅屋の車にスピーカーで呼びかけてもらい、通りすがりの男のバイクに無理やり乗って、強制的に孫探しを手伝わせる。さらには郊外の軍人墓地まで行き、死んだ夫の墓前で彼に謝り、孫を探してくれるように願う。
帰宅した小杰は、認知症のおじいちゃんが切り刻んだ新聞紙のくずが、死んだ金魚の水槽の中だけでなく、マンションの通路や部屋一面に散らかされているのを見る。最初は気にせずに、自室にこもって三国無双をして遊んでいたが、おじいちゃんが帰ってこないことに気がついて、彼を探しに街に飛び出す。
 小杰が昼間通ったあの公園に行くと、街ですれ違ったおばあちゃんがいた。迷子を捜すのに疲れ果てた二人が、フェンスで囲まれた広場の中で座り込んだ時、その裏からは、風船を手にした男の子と、彼の手を引く老人の影が映っていた…。

 いつも寡黙で、遠くを見ていて、引き締まった筋肉の持ち主なのにちっともセクシーじゃなくて、むしろドンくさい童貞少年(爆)のようだと感じていたシャオカンなのだが(ちなみにパンフレットにあった撮影当時らしい写真は、ちょっと太っていてオッサン度が高い。多分『西瓜』で身体を絞ったんだな)、本人がそうだかどうかはさておき、いくらミンリャンの一番弟子だとはいえ、作風が師匠と一緒だったら絶対キツいぞーと、観る前はかなり不安になった。これはホントのこと。
 しかし、映画が始まってしばらくして、おじいちゃんと小杰の場面からおばあちゃんの場面に変わったときに、これはミンリャン映画と明らかに違うということを確信した。ミンリャン作品の登場人物は本当にごくわずかで、その他の人々はほとんど登場せず、ひたすらの沈黙で人々の孤独を描いている。しかし、シャオカンは孫を見失ったおばあちゃんを公園の喧騒に投げ込み、その姿をワンシーンでひたすら追い続ける。公園の丘の向こうにおばあちゃんの頭が見え隠れして、声だけしか聞こえなくなっても、カメラはおばあちゃんを追う。パンフによると、この場面はなんとワンシーンワンカット10分だったそうで。ミンリャン映画のような人工的な風景と対照的に、周りの風景やら多くの人々やら、いつもの街角を映しているのはシャオカンの個性なんだろうけど、喧騒の中におばあちゃんの孤独を浮き立たせるのは師匠譲りというかなんというか。
 
 おばあちゃんをやっているのはシャオカンママでお馴染のルー・イーチンさんってことはわかっていたんだが、なんか急に老け込んだ?と思ったら特殊メイクしているのね。もともとイーチンさんはそれなりの美女なんじゃないのかと思うのだが、ミンリャン映画では常にシャオカンママ(除く『西瓜』)だし、どこかヨゴレ系な役割も引き受けている(…これは『河』と『西瓜』だけか)ところもあるからなぁ。
 ガッコをサボってネットカフェにこもる小杰の姿には、もうかなり前に観たミンリャン&シャオカンのデビュー作『青春神話』がかぶっちゃってしょうがなかったかな。彼を演じる張捷くんは、けっこうなハンサム君であるんだが、今後はどんな役どころに挑んでくれるのだか。
 苗天さんは出番こそ少ないけど、ラストのシャオイーの手をつないで歩く姿がとても印象的だった。なぜこんなに叙情的なんだろうと思ったら、この映画の前に父親を亡くしたシャオカンが、自分がかなえることのなかった「孫と手をつないで歩きたい」という彼の願いをかなえたくてその場面に思いを託したと知り、大いに納得した次第。

 最後に、ちょっと気がついたどーでもいいことを。
ミンリャン映画は圧倒的に台詞が少ないのであまり気がつかなかったのだが、このシャオカンの映画では、久々に台湾語の言葉を聞いた。街を行く大根餅の移動販売車が台湾語だったので、そのへんが妙に印象的だった。シャオカンが本省人か外省人かはよくわからんのだけど、やっぱりこの子も台北の雑踏でフツーに育ってきたんだなぁ、なんて思ったのだった。

原題:不見(The Missing)
製作:ツァイ・ミンリャン 監督:リー・カンション
出演:ルー・イーチン ミャオ・ティエン チャン・チェア

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