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胡同のひまわり(2005/中国)

父と息子、母と娘は永遠のライバルである。これは古今東西、さまざまな文芸作品の中に登場する、非常に普遍的な題材である。
家族の結びつきが希薄になり、本来なら耐えられるはずの些細な不満を我慢できずに、子が親を、親が子を手にかけてしまう現在でも、親子や家族のあり方を問う文学や映像作品はよく話題に挙がる。イマドキの若者にとっての親は確かに「ウザいもの」であろうが、その親が自分を産み育ててくれたのであるし、いつかは彼らも親になる(…ここに親になれなかった人間が一人いるけど、それはしょうがないと諦めている)。長い未来を見ていけば、子にとっての親は「乗り越えなければならないもの」であり、「この世から排除しちゃっていいもの」では決してないと思うのだ。

…とこんなことを書いている自分をなんだこの偉そうなヤツめと、つい自己批判してしまうのだが、先週、『こころの湯』の張楊監督の新作『胡同のひまわり』を観てきた。
北京の胡同を舞台に描かれる家族模様、というのは『こころの…』を始め、過去の中国映画にもよく登場してきたモチーフだが、この映画では芸術家の親子の葛藤が描かれる。

1967年の夏、北京の胡同に住む張家に男の子が生まれた。一面に咲くひまわりにちなみ、子供は「向陽(シャンヤン)」と名づけられる。画家だった父親庚年(孫海英)は息子に自分と同じ道を歩ませたいと願った。しかし文化大革命が勃発して間もなく、父は摘発されて農場に送られる。
1976年、9歳の向陽(張凡)は胡同を縦横無尽に駆けながら、隣に住む劉軍(洪一豪)といたずらをしては近所の人々を困らせる悪ガキに成長していた。そんな時、家を6年間空けていた父親が帰ってきたが、幼い向陽は彼のことを全く覚えていない。彼が母の秀清(陳冲)と夜の営みに励むのを目撃した向陽が「ママをいじめるな」と怒鳴ってしまうくらい(?)覚えていないのだ。父は文革時の下放で利き手の親指を折られて絵筆が握れなくなってしまったため、向陽に自分の後を継いで画家になるようにスパルタ教育を施すが、遊びたい盛りの向陽はそれを強要する父が気に入らず、自ら手を傷つけてしまうくらい嫌がっていた。しかし、北京を襲った大地震で父が自分を守ってくれ、やっと彼は父親として彼を認めることができたのだ。
1987年冬、19歳の向陽(高歌)は学校をサボっては、公園のスケート場で物売りをして稼いでいた。進学しなかった劉軍(李濱)がいずれ広州に行くというので、彼について行こうと計画していたのだ。しかし、父親から強要されるのはいやであっても、いつのまにか彼は絵を描くのが好きになっていた。バイト中に見かけたスケーターの少女于紅(張?)の姿をスケッチしてしまう向陽。警察の手入れが入り、逃げ遅れた向陽を助けてくれたのは彼女だった。たちまち恋に落ちた二人は、一緒に広州へ行こうと誓う。しかし、父は向陽が学校をサボって金を稼いでいたことを知り、逃げた向陽を列車から引きずり出し、妊娠して北京に戻ってきた彼女を産婦人科に連れていって堕胎させる。向陽は父を激しく憎み、凍った湖で喧嘩になるが、薄氷に脚を取られた父を、彼は一瞬躊躇しながらも助けたのであった。
1999年。32歳の向陽(王海地)は結婚し、北京の美術シーンでも注目される若手現代画家となった。しかし、母は胡同から脱出したいがために父と偽装離婚をして念願の高級アパートを入手し、それぞれが離れて暮らしていた。父と自分のこれまでの関係から、子供を持つのにためらう向陽だが、ある日妻小韓(梁静)の妊娠が発覚する。父と母は当然喜ぶが、結局向陽と小韓は堕胎をえらぶ。
ある日、向陽は父を訪ねるついでに劉宅を訪ねる。劉軍の父俊楓(劉子楓)は父の画家仲間だったが、文革の時に劉が自分を密告したと知って以来、仲たがいをしていた。しかし、二人はそれでも隣同士の家に住み続け、庭先の将棋盤でわずかな交流をしていたのだ。向陽の展覧会が開かれる日、父は招待状を持って劉を訪ねると、居間で彼が死んでいるのを発見する。友の骸を整えて展覧会に向かった父が会場で見た向陽の絵は、今まで写真に撮ってきた家族の記録をモチーフに描かれた、張一家の肖像だった。その夜、父はあることを決意する…。

芸術と父子というテーマだとカイコーの『北京ヴァイオリン』を思い出すけど、あの映画になかった「子の父への憎悪」がこの映画には含まれている。
このお父さん、ほとんど星一徹状態。さすがに“画家養成ギプス”なんてーもんは開発しないけど、道を断たれた自分の代わりとして、一人息子に夢を託して画家として鍛える。しかしその息子も腕白盛りの遊び盛りで、絵を強要する父に激しく反発する。かといって向陽自身、絵を描くことが嫌いではないようで、父のいぬ間にせっせと絵を描いている。彼自身、それが父を乗り越えるのに一番適した方法であるということをわかっていたのだ。だから父を殺したいほど憎んでいても、決して手をかけることなどしなかった。それでいいのだ。そして、彼は自分のやり方で父を超えることができ、認められた。なんのかのいいつつも、向陽が父を愛していたということは間違いないことだ

あと、美術好きなワタシとしては、クライマックスの展覧会のシーン(ギャラリーは昔の工場を改装したところとか)で向陽が描いた絵として登場した、中国の現代美術家・張暁剛の連作『大家福』も印象深かった。モノクロの画面で輪郭も表情もぼかされ、どこか儚く、時には不気味にも思えるけど、それでいてなぜか静かにココロの中に刻まれた。自分の中に眠る記憶を呼び覚ましてくれるこの絵は、確かに向陽の絵としてピッタリだと思ったな。

原題:向日葵
監督&脚本:張 楊 製作:ピーター・ローアー 撮影:ジョン・リン 撮影顧問:クリストファー・ドイル
出演:ジョアン・チェン 孫海英 劉子楓 張 凡 高 歌 王 海地

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» 映画の秋☆ [めそのたわごと]
最近観た映画です(ビデオ、テレビも含む) {/kame/}胡同のひまわり{/kame/} 1976年の北京。胡同(フートン)と呼ばれる下町に暮らす母子のもとに6年ぶりに父親(スン・ハイイン)が帰ってきた。文化大革命に伴い強制労働に借り出されていたのだ。母親(ジョアン・チェン)は夫の帰還を喜ぶが、9歳のシャンヤン(チャン・ファン)はあまりおもしろくない。父親は絶たれた画家への夢を息子に託すべく、厳しい教育をほどこしていくのだが、... [続きを読む]

受信: 2006.10.08 11:52

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