ひとが香港映画を好きになるきっかけって、なんだろう。小さい頃に李小龍さんや成龍さん、リンチェイのカンフーものを通った人、ホイ3兄弟の《Mr.Boo!》が好きだった人、長じてウーさんとユンファとティ・ロン、レスリーによる愛と裏切りの“香港ノワール”映画だったりと、入り口はいろいろあるんだろう。
もちろん、王家衛の映画もいまや香港映画への入り口として認められている。王家衛の映画に出演したトニーやレスリーにひかれて、彼らの出演作品をあれこれ観てハマっていった女子迷も少なくないはずだ。
だけどその一方、王家衛を香港映画の主流と一切切り離して見る傾向もまだまだある。王家衛映画の人気は東アジアから欧州に広がってきているという事実があるからというのもあるが、それは成龍さんや星仔、そしてジョニーさんなどの香港メインストリーム映画の焦点人物や作品も同じように欧州に紹介されているのだから(だってジョニーさんの作品は2年連続でカンヌに登場したもんね)、王家衛だけが特別というのはないだろう。だけど、なぜか特別視されてしまうのだ、王家衛の映画は。それは日本だけなのかもしれないけどね。
何度かこのblogで書いてきたけど、かつて王家衛の作品は香港ブームの真っ最中に、熱烈な香港映画ファンからは「王家衛なんて香港映画じゃない」と拒否される一方、彼の映画(特に『恋する惑星』&『天使の涙』の2部作、あと『ブエノスアイレス』もか?)に耽溺しまくったオシャレ系の人々はそれだけを語り、ほとんどの人は他の香港映画にまで触手を伸ばさなかった(ような気がする)。香港映画がブームになり、悲しいけれど今やすっかり下火になっていたのは、一般のオシャレ系映画好きが王家衛だけを追っかけ、『ブエノスアイレス』と『花様年華』の3年のブランクを待ちきれずに(&その前に発表された『2046』の方に一般大衆が過大な期待を抱いたため)ブームとして消費してしまったからじゃないかなんて思うのだが、どうだろうか。
そう、王家衛の映画はオシャレ系に評判が高い。で、そのオシャレ系と呼ばれる人々にも定番があるような気がする、昔からね。服ならアニエスb(そーいやぁ自分、アニエスの『花様年華』Tシャツを持っているっけ)、ケーキならキルフェボン、そして映画はフランス映画、それもヌーベルバーグ。まぁ、自分がオシャレ系じゃないからあくまでも独断と偏見でイメージとしてのオシャレ系ブランドを羅列してみただけ。
ところで自分、ヌーベルバーグって意識して観たことないです。ゴダールだって『勝手にしやがれ』しか観たことないし(“足のない小鳥”のエピソードが登場する『はなればなれに』ってゴダールだったっけ?)、オシャレとは思ってものめりこむまでには至らなかったなぁ。むしろ個人的にはイギリスやアメリカンインディーズのほうが好きってこともあるんだけど…。
そんなこんな言っているとますます脱線していくのでやめておこう。
ともかく、こんなblogやっている自分は、昔から王家衛を「全くコイツ、なった気(岩手弁でかっこつけるの意)しやがって…」とかなんとか言いながら、その作品を愛してきた。…え、オマエの場合は作品じゃなくてトニーだろ?ハイ、ごもっともざんすm(_ _)m。そして、そんな王家衛もまた、生まれこそ上海だが香港で育った子で、一見ステロタイプな香港映画と一線を画した作りに見えながら、実はオーソドックスな香港映画や中華文化を下敷きに、これでもかこれでもかとスターを投入してゴージャスに作っている(だから時間と金がかかる)香港の映画人だとワタシは考える。だから彼もまた“香港映画の子”なんだよねー、なんて、いつぞやの金像奨授賞式で、成龍さんと家衛が並んでプレセンターを務めていた図を観て思ったことがある。(ふっふっふ、香港映画界をよく知らない映画評論家だったら驚くだろーね、全く接点のなさそうなこの二人が並ぶなんてさ)

そんな自分の認識を自覚しながら、この本を読んでみた。…すぐ読めた。そして気がついた。
なぁんだ、この本は序章にある通り、“王家衛論”じゃなくて、“王家衛の映画にインスパイアされてあれこれ書いてみた随想集”なんだ。それならあう人がいればあわない人がいるのは当然だよね。だからちょっと紛らわしいよね。
この本が題名どおり“王家衛映画の恋愛論”に終始していれば、キルケゴールとかドゥルーズとかのフランス哲学(すみません、西洋哲学はよくわかりません)や、ヌーベルバーグやポストモダンなどの小道具を使いこなさなくても、「自分はこれを見てこう思う」という結論に収められるのに。でも、そうしようとして収まりきれず、いろいろと引用してみたのかなぁ、なんて。比較文化論などでこの小道具を使われたら、それはそれで興味深いんだけどね。
かといって政治云々もどうかなぁ。『2046』や『花様年華』に政治的背景を見出して云々言うのは嫌われるのかもしれないけど、それはそれで考えの材料にはなる。政治が及ぼす物事の考えも理解の一助になるから。でも、哲学や思想は決してやさしく要約できるものではないから、それがわかっていないと辛い。だからすみません北小路さん、第2章はきちんと理解できたかどうか自信ありません。
あと、王家衛の映画では結果や過程がぼかされて描かれている事柄が多い。例えば、『ブエノスアイレス』ラストのモノローグ「オレは確信した。逢いたいと思えば、いつでもどこでも逢える」の『相手』が具体的に示されていないとか、『花様年華』でチャン夫人が連れていた子供はチャウの子なのか否か(そうしたら、チャウとチャン夫人はいつどこで関係を結んだのか)とか。後者については、初見時に「あの子はチャウの子じゃない?」と断定して、あの二人がどこで寝たのか自分の意見をいろんな人に延々とぶったことがあったんだけど、思えばそうじゃないのかも…なんて考え直したりもしたな。その、あいまいに描かれた部分を北小路さんはやや断定気味に「こうじゃないか?」と書いているけど、まぁ、そういう意見もあるもんね、と思った次第。うん、人はいろんな考えがあるからね。
北小路さん、この本の中で取り上げられた王家衛作品の中では、もしかしたら『ブエノスアイレス』がお好きなのかな?なんて思ったんだけど、よく見たらそれは公開時に書かれていた論だった。『2046』については書き下ろしで論じられていたけど、まぁ、こういう取り上げ方や観点、考えもあるよね、ということで。では自分がそれらに納得できるかできないかと聞かれると、もちろん、できないと答える(苦笑)。
最後に、この本のタイトルだけど、英題の「外宇宙よりの愛(直訳)」を先にして、副題で「王家衛映画から考える恋愛」というようにした方がよかったんじゃないすか?
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