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『男たちの絆、アジア映画』に思ふ。(その2)

 “香港ノワール”と日本独自で呼ばれる香港の映画群は、映画に詳しい人からは日活アクション映画や東映ヤクザ映画の影響を受け継いでいるとよく言われる。しかし、父母の世代が熱狂した日活アクション映画の時代にはまだ産まれておらず、父が憧れた寡黙な高倉健の映画の時代にも物心ついていなかったワタシのような人間には、そんなこといわれても観たことないからよく知らんし、マッチョなオトコを一方的に礼賛しているようなイメージしかない日活アクションにもヤクザ映画にも興味ない、とその意見を一蹴してしまうと思う。それよりも、洋画で育っていることもあってか、それらのアクション映画に日本的な泥臭さ&男尊女卑な家父長制度の悪影響を感じ(それは新選組にも帝国軍ものにも同様のものを感じる)、所詮はジャンル映画だし、そんなオヤジのロマンなんてどーでもいい、なんて若いフリして(苦笑)思ってしまうものであった。 
 一方、純愛やトレンディに背を向けるように花を咲かせるやおい(含むボーイズラブ)な文化。現在でこそオリジナルのBL小説やBLマンガが百花繚乱してはいるが、ワタシが学生時代の頃は、人気マンガ(それも少年ジャンプ連載のもの)や人気アニメの男子主人公たちが男同士で恋に落ちてア~ンなことこーんなことしちゃうネタ満載の同人誌が全盛期で、小さい頃はアニメ好き、ちょっと大きくなったらマンガ好き(それも少年マンガ)だったワタシは「え~、ちょっとこれはどーよ」とかツッコミつつ、結構面白く読んでいたりしたのだった。そういえば、やおいのネタにされた人気マンガって、どれもバリバリのオトコ(正確に言えば少年)の世界だったよなー。
 時を経て、若い頃よりBLものに一定の理解度を示すようになり、トニー・レオンの存在を知ってから香港映画にハマっていったもとはしは、その1でもちょっと書いたように、恋愛ものよりオトコっぽい映画を好むようになった。それも李小龍や成龍さん、リンチェイがばしばしカンフーを決めるものではなく、“挽歌シリーズ”に代表されるウーさんや、現在ノリにノッているアンドリューさんやトゥさんが描く、香港の闇で暗躍する男たちの熱い友情と裏切りを描く、冒頭にも挙げた“香港ノワール”ものにひかれるようになった。時々「こいつ、こいつを愛してるんちゃうかー?」などと錯覚しつつ、凄腕のスナイパートニーを潜入捜査官と知らずに執心し、自分の手元に置きたがるアンソニーさん(fromハードボイルド)や、『無間道』で互いに逆の立場におかれつつ、思いっきりお互いを意識しまくるトニー&アンディの姿などにはもし傍らに彼氏でも親友でもいたら、相手の肩をガシッとつかんで、ねっ、いーだろいーだろ、このシチュエイション!これがオトコってモンよね!!なんて言いたくなる気分になったものだった。

 しかし、いま挙げた日活アクション映画、東映ヤクザ映画、少年ジャンプの人気マンガ、そして香港ノワールでは、主人公たちの間に強い絆は生まれても、決して相手に対する恋愛幻想は生まれない。それを腐女子たち(含む自分?)は妄想モード全開で彼らの絆を恋愛と置き換え、ア~ンなことこーんなこと想像して萌え、もとい悶えちゃう。こんなこと考えちゃうと、腐女子じゃなくても一般的にはホモソーシャルとホモセクシュアルの区別なんてつきにくいんだろーねー。と思うのであった。じゃ、ホモソーシャルってどーゆーこと?というのをアジア映画をネタに学術的に分析してくれたのがこの本。

『男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望』四方田犬彦・齊藤綾子編(平凡社)

「ホモソーシャル」とは、社会における同性同士の人間関係においては強い絆が生まれ、そこでは異性はその絆の外に置かれて軽んじられ、さらには、自分にかかわる異性を絆の強化確認に利用するというシステムだとか。1985年にアメリカの英文学者イヴ・セジウィックが発表した『男同士の絆』は英米文学をネタにホモソーシャリティを考察した論文で、この本ではこの論をきっかけにしてアジア映画のホモソーシャリティを探ることになり、考察していった論文&記録集である。
 ここでは、ジェンダーの揺れと中国近代史を絡めて描かれた名作という評価のある『覇王別姫』を、ホモソーシャルの物語として読み替えたアン・ニ氏、香港返還前後に制作された《非常偵探》『ホールド・ユー・タイト』『千言萬語』で描かれた香港人のホモソーシャリティを考察したメアリー・ウォン氏、そして先に書いた“香港ノワール”の主人公たちが抱える悩みを読み解いたハン・イェンリー氏の論文から、もとはしがいろいろ考えたことを書きたい。
 一般的には、京劇の名女形にして終生自分の相方を愛し続ける蝶衣を演じきったレスリーの艶やかさや、文革への強烈な批判を主題としているとのことで評価、そして京劇学校での少年たちの描写も絶賛されている『覇王別姫』だが、主人公たちが活動する京劇集団のホモソーシャリティにはなかなか眼が向けられない。蝶衣は相方の小楼を慕い続けるが、女性と同じような恋愛というよりは、過酷な訓練と無理やり女役にされた京劇学校の生活の中で生まれてきた、相手を強く慕う感情であるというような考察は新鮮だったという。それゆえ蝶衣は、小楼と結婚した女(それも娼婦の)菊仙にあれだけ激しく嫉妬するのか、というのも納得する。今度『覇王別姫』を観る時には、そのあたりを考えながら観ると、また新しい発見ができそうだ。
《非常偵探》は未見(&『千言萬語』はすでに話を忘れているから詳しく書けない…)だけど、『ホールド』はホモセクシュアルではなくホモソーシャリティの話であると言うのも、映画を観た時にはそれほど気にしてはいなかったけど、この論文を読んだらちゃんと理解できた。じゃ、『ホールド』を意識して作られた《愈堕落愈英雄》はホモソーシャリティをオーバーにパロったものなのか?このへんはどー考えているんだろーか、論者のメアリーさんは。
 そして、この本のために書き下ろされた(他の論文は明治学院大学文学部藝術学科の公開シンポジウムの講義より構成)ハンさんの“香港ノワール”論。この言葉は日本独自のもの(『挽歌』宣伝時に生み出された造語というのは有名)だけど、このジャンルに属する『挽歌』や『狼』や『無間道』が香港社会の周辺に置かれた男たちが社会の中心であるホモソーシャル集団には入れない絶望とそこからはじかれることを恐れつつも、そういった同志で強固な絆を結んでいくという共通点で結ばれるという結論を出していて、そこも興味深かった。
 これらの映画で描かれる男たちのホモソーシャリズムを、ワタシたちはしばしば「これってオトコのロマンよねぇ、ヒロインの描き方が弱くて当たり前よねぇ、むしろいらないくらいだわん(はぁと)」とか言ってあれこれ妄想してしまう。ここに描かれる物語は完全なフィクションだから、きっと容易に感情移入できるんだろうな。

 でも、現実のホモソーシャル集団(それも自分とは異性の)に係わってしまうとかなり厄介。そこでは男尊女卑(逆パターンもあるな)が平気でまかり通り、世間の常識は非常識になる論理が展開されるのだ。なぜそう断言するかと言うと、実はワタシの仕事場がそうだから(爆)。ワタシの職場は男子職員が圧倒的に多いので、時々ホモソーシャルだよなこいつら、と思うことがある。そこでは少数派の女子は退け者にされ、こっちが意見してもはじかれたり、めんどくさがられたりってことはしょっちゅうある。やっぱし、ホモソーシャルな世界はフィクションだから酔えるのよねー(大笑)、なんて思いつつ、終わるのであった。

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コメント

こんばんわ、初めまして。いつも楽しく拝見しております。特に美味しそうな中華デザートの数々(^^)

ところで、この「ホモソーシャル」という傾向は、ブレイクしたり一部に熱狂的なファンを抱える作品や個人・グループ等に如実に見られるような気がしますね。
昔、関西でアイドル並みの人気を獲得した頃のダウンタウンさんなんかもこの傾向を知っていて、戦略的に利用したのではないかと、当時のポスター等を見ると思ってしまいます。ご本人さんが同人誌即売会場に現れたことがある、と友人に聞いたことがあるのですけど、真偽の程は不明です。しかし、松本さんも浜田さんもタイヘン頭がよく、クールな面があるのでさもあろうかと納得してみたりします。

これからブレイクを狙う何がしかの関係者には有益な参考になるのではないでしょうか。ただ、「演出」が見えるとシラけてしまうのでさじ加減が難しい高等テクニックではあると思いますが。

投稿: 南生@Namson | 2004.06.03 00:05

初めまして!お名前はあちこちで拝見しておりました(^_^)。コメントありがとうございます。

ダウンタウンのブレイク時はその頃の状況がわからないのですが(恐らく日本にいなかった時期のようで、帰国したら彼らがいつの間にかTVに出ていた、という状態だった)、同人界で盛り上がったという話は小耳に挟んだことがありますね。でも、ホモソーシャル傾向を戦略にしたのでは?という考察は興味深いです。

ホモソーシャルな世界といえば現在イケメン(←ちょっと抵抗感のある言葉だわ)輩出で大ブレイク中の特撮ドラマも、昔の作品を思い出して考えてもまさにそのものだよなぁ、なんて観ていて(苦笑)時々思うところがあります。(対象が幼年男子だからってのを考慮しても、最近はドラマ面等で女子もターゲットにしているようだし)戦隊ものでは女子戦士もいるけどなんかあまり女子扱いされていないようだし(笑)、女子のホモソーシャル集団は『セーラームーン』もあるしー(あれ、ちょっと違うかも?)♪ってことで。

投稿: もとはし | 2004.06.03 22:51

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