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ある香港電影迷女子の作られ方(その1)

 金像奨ネタで途中になっちゃったけど、前回の話題を受けて、今回はもとはしがいかに香港電影迷になっていったかを振り返りたい。

 子供の頃、香港電影といえば成龍さんの映画しかなかった。当時は東京以外の関東地方でも2本立てで映画が上映されていた頃で、父はよく、成龍が好きだった弟と私を映画館に連れて行ってくれ、ダニエル・オートゥイユ主演のフランス映画『ザ・カンニング』と成龍さんの『ドラゴンロード』の二本立てを楽しく観たくらいのものだった。
『男たちの挽歌』と出会ったのは、以前書いたとおり大学の中国の授業だった。しかし、中国語はいつも赤点すれすれだった。そのころは中国文化理解の助けになるかと思って、文芸坐で行われた中国映画祭でイーモウやカイコーのレアな作品を観ていた。
 台湾留学が決まったので台湾映画が観たいと思い、シャンテシネまで観に行ったのが、ご存知『悲情城市』。…ここで出会ったのが、後に私が首ったけになる(大笑)トニー・レオン。 これで香港映画に足を踏み入れたらよかったのだが、そうはいかなかった。数年後、『恋する惑星』で再会したことにより、香港電影迷まっしぐらになったのだ。

 その当時、私が映画情報目当てで読んでいた雑誌はリニューアル前の「CREA」。当時のこの雑誌での、アジア映画に対して敬意を払っているような編集の仕方がホントによかった。それに比べて今は(以下略)
 学生時代は「ぴあ」もよく読んでいた。確か当時は大和晶さんがまだ現役の専属ライターしていたころだったと思う。今でこそ大和さんはレスリーを語らせたら右に出る人はいないライターさんだけど、この頃は『悲情城市』を始めとしたアジア映画全般を専門に、適切な文章を書かれていた方だったような気がする。あとは「キネ旬」。映画雑誌の種類が今より少ない頃で、ミーハー系の『ロードショー』、独自の人名表記の『スクリーン』はすでにあわなくなっていた。…そんなところかな。

『恋する惑星』の地元上映がきっかけで、香港映画サークルが発足し、ワタシも参加。揃ったメンバーは發仔迷、レスリー迷、星仔迷、学友迷、イーキン迷、華仔迷…とそうそうたる面々。今ほどネットが発達しておらず、情報は人から人へとやり取りしていた時代。ここでのいろんな人々との出会いは本当にいい経験になった。そこでの第1回上映は『君さえいれば・金枝玉葉』と『月夜の願い』だった。最初から素敵なラインナップ。これが1996年のことだ。思えばこの頃の香港映画上映事情はかなり素晴らしかった。1年後の中国返還を控え、社会一般的な香港ブームも後押ししたこともあったかもしれないが、クエンティン・タランティーノの強力リコメンが後押しした王家衛ブームもあったし、『恋する惑星』で金城武が紹介され、玉石混交ながら主演作が大量にリリースされたことも影響がある。 …しかし、ワタシの周りはこのへんには意外と冷静で、王家衛なんてたいしたことない!とか、金城くんってどこがいいの?などとみんなで言っていたものだった。
 そうこうしているうちに年が明けて当の97年。古惑仔シリーズなどエンタメ系の香港映画の公開が相次ぐ中、レスリーの初コンサートに、『ブエノスアイレス』がまさかのカンヌ出品&監督賞受賞などで大騒ぎしていた。そして7月の返還をはさみ、念願の初香港に『ブエノス』日本公開でかなり舞い上がっていたのであった。

…ますます長くなりそうなので、続きはまた。

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